Interlude:第5話


 1988年、1月。


 『Show your smile』


 レコード会社移籍、第一弾。

 山科万里作詞作曲の森明日菜の新曲は、

 予想以上のチャートアクションとなった。

 

 破局報道の話題性、レコード会社内の不実の暴露、

 久方ぶりのニューミュージック本流からの曲提供と、

 河上達仁の(わりと抑制的な)編曲、

 歌詞に合致した本人の物語性と、失恋に傷ついた本人が他人を慰める構図、

 振った男の目の前で、手を震わせて涙を流しながら、

 明るく未来を見つめてビブラートを伸ばして歌いあげるシチュエーション、

 なにより、見るものを釘づけてしまう明日菜さんの凄まじい表現力。


 売れないわけはなかった。

 ただ。

 

 「まだ一位、って…。」

 

 もう四週目だ。全盛期並みじゃないか。

 史実では零落が始まるはずなのに、歌姫復権を印象づけることおびただしい。

 修正出来高制だと、瞬間的には以前の五倍以上の月収が転がり込む。

 そうそう続くわけはないから、管財担当の腕の見せ所だろうな。

 

 「……こちらの販売計画に差しさわりがありませんか?」

 

 ありません。

 もともと、明日菜さんの売上はこちらとは無関係ですから。

 それよりも。

 

 「明日菜さんのファンが、こちらに流れてくるのは、少しだけ心配です。」

 

 ファンの色が相当違うから。

 ファン同士、仲良くやれない恐れがある。

 武道館公演で不祥事をやらかしたら、逃げ切れるかどうか。

 

 「だとすると、あれは、良かったんですか?」

 

 ああ。

 某ベストテンの二週連続一位を記念した「お電話」で、

 「お友達」枠で「今村由香」がしっかり(声のみで)出演してしまったのだ。

 

 「今回、石澤さんには、ご活躍頂きましたから。

  貸し借りの一環です。相当値切りましたけれども。」


 石澤氏がレコード会社同士の仲立ちを願ったのが、

 明日菜さんが信頼する某ベストテンの名物ディレクターだった。

 演出面では変人だが、後ろ暗いところのない人だから、ちょうど良かったのだ。

 共演・生コーラスから値切り倒したので、これ以上は負けられなかった。

 

 案の定、タマネギ頭の司会者にワールドツアーの話を振られたあげく、

 明日菜さんそっちのけで将来の出演を迫られてしまい、

 二週連続第一位の生歌のBPMが上げられてしまった。

 「今村由香のテレビ出演」で、各方面は大いにざわついたらしい。


 それでも。


 (「…どーしよーかなぁ?」)


 ……「俺」が呼ばれてしまうよりは、ずっといいわけであり。


 それにしても、あの時の怜那は楽しそうだった。

 てっきりお嬢様モードで行くのかと思ってたから。

 ラジオ収録モードの今村由香をはじめて聴いた人も多かったろうなぁ。


 (「明日菜、大ファンなんですよね。

   女の子なら、みんな、憧れますよっ。」)


 あ。


 ……あぁ。

 

 の、感覚が、ズレてたってことか。

 

 俺にとって、森明日菜はだ。

 そして、歴史上の人物の運命は、動かせないもの、動かしてはいけないもの、

 という感覚が、いわば生理的にある。


 だから、あの資料は、

 しただけであり、

 それ以上のものではなかった。


 しかし。

 怜那は、この世界を

 森明日菜と繋がりを持った怜那が、確定するはずの運命を聞けば。

 そして、怜那の無尽蔵な行動力を考えるならば。


 「……

  シングル第一弾の候補は、事前に挙げて頂いてますね?」


 「あ、はい。

  皆さん、それぞれ思い入れが深いみたいですよ。」


 ……だろう、なぁ。


 大先生、お師匠様、ロリコンアレンジャー、レコーディングスタッフさん達と、

 怜那に関わっている職業作詞家、作曲家さん達。

 営業担当者に大手広告代理店、女子社員代表枠にファン代表枠。


 流行と先端、音楽性と大衆性、利権と願望と欲望がまじりあった、

 いたって、肺がんリスクが上がる長い会議になるだろう。

 ……まだ学期中だというのに。俺、夜型じゃないんだけど。



  「と、智也君っ!」


 

 うわっ!

 れ、怜那が飛び込んで来たぁっ!?

 

 「た、ただいま、怜那。

  …ひょっとして、走ってきたの?」


 「う、うんっ。

  た、タクシーが、ちっとも捕まらなくてっ。」

  

 アルバム28万枚超を売り飛ばした、

 いまをときめく才媛売れっ子シンガーソングライターが、

 22時前に、たった一人で、真冬の東京のど真ん中を。

 

 ゲストで呼ばれてた某FM放送局まで、走れば15分くらいの距離ではあるし、

 ダンスレッスンで鍛え抜いている怜那にとっては、難しくない話だけど。

 

 「そ、それはっ。」

 

 ……あはは。あははは。

 ほんと、突拍子もなさすぎる。


 いまの怜那だと、夜道でなくても、一人歩きは危険だ。

 誰から危険物を投げられるか、刺されるかわかりゃしない。


 怜那の赤らんだ可憐な横顔から、湯気が噴き出るように上気している。

 今や、皆を待たせても何の問題もない立場なのに。

 そもそもどうやって出待ちを突破したんだか。

 

 「し、しっかり教育致しますっ。」

 

 うわぁ。新しくついてくれたマネージャーさん、可哀そうに。

 やっぱり塔子さんじゃないと、怜那は抑えられないかなぁ…。

 いっそのことこっちもファンシールドを作ろうかな。


 ま、それも、これからだ。


 「あ、古河君と由香ちゃん、いた。」


 楮さんの、何も見えていない間延びした空気が、いまはなんだか有難い。


 「プロデューサーがお呼びだよー。

  会議、始めるって。もう皆さん、揃ってるよ。」


 役者は、揃った。

 ここから、俺たちの、未来に向けた第一歩がはじまる。


 「行こうか、怜那。」

 

 「うんっ!」

 

 額の汗を蛍光灯に反射させながら、

 あどけなく満面の笑みを浮かべて、

 小走りで駆け寄って来る怜那が、ただ、ただ愛しい。


 あと、一年。

 絶対に、走り切ってみせる。

 怜那とが掴む未来のために。



 Interlude

 了

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