Interlude:第3話


 その後。


 『森明日菜、レコード会社電撃移籍!』

 

 スポーツ新聞、芸能ニュース、民放ニュースはおろか、

 なんと国営放送にまで取り上げられ、文字通り、列島を揺るがした。


 俺からすると、の世界で起こった話に比べれば、

 震度1程度の小揺れに過ぎないが。


 案の定、版権管理を巡って、

 痛いところを突かれた元所属レコード会社側は不利な条件に立たされる。

 もともと、相当無理をして明日菜さんを所属させた経緯もあり、

 業界内で冷ややかな目で見られる結果になった。

 

 海千山千の早川副社長から見れば、

 移籍条件交渉はネギをしょった鴨相手の如きである。

 下手したら向こう、日本から撤退するんじゃないのか。

 

 家族問題の具体的な対応はこれからだし、

 交際相手との金銭トラブルはどこで手打ちできるかは分からない。

 向こうには、政治家を巻き込んだ闇の勢力が後ろに控えている。

 ただ、船が沈む前に交際関係を終わらせることはできた。


 本人自身の浪費癖がどうなるかは分からないが、

 所属事務所との仁義は守ったし、

 新レーベルのスタッフは生え抜きを相当引き抜けた。

 石澤氏の八面六臂の活躍と言うしかないだろう。


 「さて、古河君。

  君としては、これからどうするつもりかね?」


 それをどうして俺に聞くんだよ眉毛。

 完全に新レーベル案件だよね。連絡疎通が難しいやつだけど。

 

 「君がOREとして手掛けるつもりはないのかね?」

 

 「。」

 

 国民的アイドル。五十年先にも名前が残る伝説の人だ。

 拘りが強い人だし、俺如きの言うことを聞いてくれるわけはない。

 絶頂期の元TAMANのキーボーディストですら手を焼いたんだから。

 だいいち、

 

 「正直、怜那で手いっぱいです。」

 

 そもそも、そんな大それたこと、ひとっつもやってないんだけど。

 

 「……はは。それはそうか。

  ただ、君のことだから、

  アイデアが一つもないわけではなかろう?」

 

 うわぁ。

 さすが眉毛。完全に見透かしておられますね。

 

 確かに、あるには、ある。

 新しい状況を考えると、これは、いけると思うんだよなぁ。

 しかしこれ、ほんとにいいのかな……。

 

 「……話半分で聞いて頂きたいんですが、

  僕というよりも、怜那案件だと思うんですけれども…。」


*


 「ただいま。」

 

 「おかえり、智也君っ。」

 

 いつものように、帰ってきた怜那を抱き寄せる。

 羽織っていたコートを外せば、真夜中でも温かい陽だまりの匂いに替わる。

 

 「…どうだった? コーラスは。」

 

 「…えへへ。

  そりゃぁもう、ばっちりだったよ。」


 史実だと薬指さんがやるやつだよね。

 まぁ、歌う人自体が変わっちゃったし、怜那のほうが確実に上手だと思う。

 なんつっても、あの河上達仁へのコーラスが普通にはまってしまうんだから。

 それにしても、どうしてこっちではお蔵入りになっていたのか。

 

 「明日菜ちゃん、だいぶん落ち着いたみたい。」

 

 明日菜『ちゃん』、って。

 伝説的大スターなんだけどな、向こう。


 「明日菜ちゃん、いいって言ってたよ?

  えへへ。」 


 うっわぁ。

 芸歴も歳も向こうのほうが遥かに上なのに。

 コアファンや芸能関係者、82年組が聞いたら反感買いまくりそうだなぁ…。

 ……いいやもう、なにも言うまい。怜那の規格外は今に始まった話じゃない。

 

 「のレコーディングって、ほんと早いんだね。

  2日で録ってもう出荷しちゃうんだよ。すごいね?」

 

 シングルは異様に早いんだよね。

 2~3か月周期で話題性と鮮度勝負だから。

 チャート番組を筆頭とするテレビ出演で歌い込んで上手くなっていくっていう。

 ほんと異常な世界だ。あとには何も残らないのに。


 「でも万里さん、驚いてたよ。

  智也君、なんでこの曲を知ってたの?」


 怜那が言ったんだよ前世の記憶なだけ

 

 「え、そうかな。

  わたし、覚えてないけど。」

 

 

 忙しかったからね、いろいろ。


 「……うん。」

 

 怜那は単位を取らないとね?

 

 「あー。

  ……智也君、その、

  ちょっとだけでいいから、レポート、書いてね?」

 

 え。

 がいるじゃない。

 

 「……なんかね、違うっていうか、

  わたしが書いたようになっててくれなくて。

  バレちゃいそうになったのがあって。」

 

 あぁ。

 ……神代君が抜けた穴は大きいな。

 俺、法学部じゃないんだけどなぁ…。

 

 「……分かったよ。

  怜那も忙しいしね。」

 

 そう。めちゃくちゃ忙しいのだ。

 地方FMの公開生放送が並んでいるし、

 音楽的なでもあるし。

 

 「……えへへ。」


 はにかみながら、怜那が、俺の脇の下にすり寄って来る。

 

 「ね、智也君。」


 なに?


 「おなかすいた。」


 ぶっ。

 また突拍子もなく。


 「もう11時半だよ?」


 「スタジオだとみんなでラーメン食べいったりするよ?」


 うーん。

 ほんと、30年前とは常識が違うな。

 スタジオが男所帯だっていうのもあるんだろうけど。


 「だめです。

  夜食べると、太るし、寝らんなくなるでしょ?」


 特殊な業界の夜型生活に慣らしていいわけがない。

 あと一年とちょっとなんだから。


 「むーぅ。」

 

 「朝、ホットケーキにしてあげるから。」


 「ほんとっ!?」


 朝5時から蜂蜜とバターたっぷりのパンケーキを召し上がるんだよねぇ…。

 いやぁ、若いって凄いわ……。

 この時代だと発酵バターの調達は一苦労なんだけどなぁ。


 まぁ明日、盛岡だし、いいか。

 移動頻度が上場企業のCEOか、北海道のローカルスター並みだ…。

 考えてみれば、怜那もいっぱしのスターになってるんだよな、いま。


 「ね、智也君っ。」


 ん? なに?


 って、

 ぇ………?


 んあ……。

 ね、寝ちゃってる……。

 歯磨きもしてないし、着替えてもないのに……。


 ……あはは。

 ほんと、幸せそうな顔してるなぁ……。


 ……きっと、明日菜さんは、

 こんな日々が、欲しかっただけなんだろうな。


 まぁ、これで、概ねは、落ち着くところに落ち着いた。

 やってしまったことはやってしまったこと。

 この件が何をどう動かすかは、もう、関知しない。

 あとは、怜那の引退まで、走り切るだけだ。

 

 そう思っていた時期が、俺にもあった。

 

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