Interlude:第2話


 某外資系レコード会社、早川副社長室。

 

 部屋の主は俺の説明を淡々と聞いてくれた。

 焦燥感が少し軽くなったようでなによりだ。


 「……本当に大丈夫なのかね?」

 

 「大変恐れ入りますが、

  これ以外の有効な方法をご提示いただけますでしょうか。」

 

 常道で失敗しているを知っているからこそなんだが。

 

 「……ふふ。

  腹を立てるべきなのだろうが、

  残念ながら君の物言いに慣れてきたようだ。」


 「恐縮です。」


 「分かった。

  乗りかかった船だ。私も腹を括ろう。

  君の好きなようにしたまえ。

  ご本人には、私から条件を打診しよう。」


 さすが天下の森明日菜様。カウンターパートがいきなり役員級だよ。

 社長が尻込みしているから、実質的にトップ会談になる。

 契約条件では、修正出来高制を呑むかが最大の焦点だろう。

 史実通りなら、これから零落していってしまうわけだから。


 「恐れ入ります。

  移籍に当たっては、別にレーベルを作るほうがよろしいかと。」


 「そこまで考えていたわけか。

  まぁ、確かにそうだな。合わせて提示する。

  ……君だから言うが、正直、気が重いよ。」

 

 まったくだ。

 相手は、いまだ国内最大級の歌姫だ。

 芸能レポーターの後ろには、日本国民がいる。

 

 「心中お察し致します。」

 

 「……なんだがね?」


 「……大変恐縮です。」


 そうとしか言いようがない。

 こっちだって気は物凄く重いんだから。

 


*


 某外資系レコード会社、第三会議室。

 

 「石澤さん、ちょっと怒ってましたよ?」

 

 クラシカルなパンツスーツ姿の篠原塔子さんが、呆れ気味に俺を見る。

 

 そりゃぁまぁ、怒るよね。

 パワハラ役だから。実際そうなんだけど。


 「申し訳ない限りですが、狙い通りです。

  今後のことを考えると、で動じられると困りますから。」

 

 「……あれくらい、ですか。」

 

 30年後に通じるものではまったくないが、

 石澤氏のパワハラは、なんのかんの言って概ねは実績が伴っている。

 世の中で一番タチが悪いのは目標と無縁の暴力だ。

 

 「どれくらい残りそうですか。」

 

 「そうですね。七割くらいは。」

 

 凄いな。

 流石は熱烈なファン。逆に恐ろしいくらいだ。


 「明日菜さん直筆の丸文字のお手紙が相当効いてますね。」

 

 あぁ。契約条件に入れたやつね。

 …実は真面目なんだよな明日菜さん。

 出された宿題をきっちり疎漏なくやるタイプ。

 

 「ファンの方からすれば、末代までの家宝になるでしょうから。」

 

 大げさな。

 …でも、そうだろうな。

 俺だって、あの七文字を大事に保管してるくらいだから。


 だとすると、チーム編成は可能か。


 「では、聖氏にお出まし頂きましょうか。」


 「……古河さんもその表現を使われるんですね。」

 

 やべ。

 これ隠語だったわ。


*


 某外資系レコード会社、第二会議室。


 候補者リストから塔子さんが絞り込んだ出席者は十二名。

 見たところ、三十代から五十代の、

 芸能界とは無縁な、身持ちの良さそうな男女。

 女性の比率が多いのが特徴だろうか。


 「ようこそ。富岡俊一です。

  一応、プロデューサー、ということになるのかな。」

 

 わざわざカーディガンを巻いて出てくる聖氏。

 常識人なんだけど、存在そのものがネタのような人なんだよな。

 目深帽被って後ろの椅子に腰かけてる俺が空気になれてなによりだ。

 

 にしても、ここにいる面子は、

 明日菜さんの新レーベルとは全然関係がないんだけどね。

 向こう側からは何も分からないやつ。


 「まずは石澤さんの面接、お疲れさまでした。

  我が社で皆さんにあのような態度を取るのは彼だけですから、

  どうぞご安心下さい。」

 

 如才なく二世代前のハンサム笑顔を振りまくと、

 女性の出席者達から安堵の笑みが洩れた。

 イケメン無罪はこの時代のほうが強い。


 「なんとなく想像がついていると思いますが、

  皆さんは、それぞれの専門的なお立場から、

  明日菜さんをお支え頂くことになります。


  細かい契約事項はのちほどお示ししますが、

  プロジェクトの性質上、チームワークが求められます。

  秘密を厳守することは言うまでもありません。

  石澤さんにさんざん言われて耳にタコができているでしょうが。」


 また笑いが洩れたところを見ると、

 面接者を相当ネチネチといびったのだろう。

 落ちた三割が恨まないようにフォローしとく必要があるなぁ。


 「では、篠原さん。」

 

 「はい。」

 

 クラシカルなパンツスーツの塔子さんが出席者の前に立つ。

 できるキャリアウーマンそのもの。まだ若いんだけどね。


 「皆さんは明日菜さんのデビュー以来の熱烈なファンの方々ですから、

  昨今の明日菜さんを巡る事情は把握しておられると思います。

  

  特に注意を要するのは、

  所属事務所、所属レコード会社、ご家族、交際相手、

  そして、明日菜さんご自身。この五点になります。」

 

 本質にずばっと切り込む塔子さん。

 さすがにファンの間に動揺が走る。

 

 「皆さんのご協力が無ければ、森明日菜さんの運命は、

  岡野優樹菜さんと同じ道を辿ることになります。」


 俺以外の全員が息を吞んだ。

 岡野優樹菜の自殺は、森明日菜の自殺未遂前では、

 邦楽界最大のスキャンダルだった。


 塔子さんの発言は誇張ではない。

 の時代でいえば、搬送が遅ければ、森明日菜はあの時に死んでいた筈だ。

 なにしろ、傷はだったわけだから。


 「一つ一つ、処理していくことになります。

  まず、所属レコード会社ですが、

  明日菜さんご自身が、私どもへの移籍を希望しておられます。」

 

 さすがに全員が納得する。でなければ、この場に集められている筈がない。

 と同時に、この情報がもう外へ出ていることを意味する。

 ネットもなにもなくても情報が光の速さで伝播するコアファンは恐ろしい。

 

 「所属事務所については、ご自身は移籍を希望されておられますが、

  私どもの契約条件に、現事務所への残留を記載しております。」

 

 これは、絶対条件だ。


 所属レコード会社については、

 レコード会社側に、版権をめぐる明日菜さんへの不義理がある。

 だから、それを突きつければ、業界仁義に逆らわずに手打ちができる。


 ただ、所属事務所は、当時は弱小だと言うだけであって、

 、特におかしなことをしていたわけではない。

 実際、俺の時代では大手芸能事務所になっていた。

 

 切るべきものと、切ってはいけないものを逆に捉えてしまったのが、

 自殺未遂と、90年代以降の明日菜さんの悪夢に繋がっている。

 

 「人事異動については相手方と交渉中ですが、

  概ね、想定した範囲に落ち着くと思います。」

 

 には煮え湯を呑んでもらうとして、

 明日菜さんの育ての親である某ディレクター、

 経験豊富なマネージャー、業界にツテを作った某人物あたりは落とせない。


 これを担っているのが石澤氏だ。

 昭和のレコードマンとして、業界間の仁義や貸し借りに異様に強い。

 石澤氏ならしょうがない、と思ってくれる多い。

 ごらんの通り女性には全く人気がないのだが。


 「ここからは、皆さんのご協力を要する件です。

  まず、ご家族の件です。皆さん、ご存じと思いますが。」

 

 塔子さんがやや直截な物言いをした。

 内容自体はそれなりには知られているのか、出席者は黙って頷いている。


 「明日菜さんが事業資金を出資し、運転資金を贈与して

  御兄弟が事業を立ち上げられましたが、全て失敗しています。」

 

 眼鏡を掛けた女性と、仕立ての良いスーツを着た初老の男性が息を吞んだ。

 この文言の異常さをすぐに看取ったところを見ると、

 名簿のリストではおそらく彼らが銀行員と公認会計士なのだろう。


 「明日菜さん側からは勿論言えませんし、

  所属事務所は言われるがままに支払うだけでした。」

 

 士族の商法に近い。

 秩禄処分をしないと、ただ出血が続くだけだ。

 

 「かなり大胆な処理が必要となります。

  具体的なことは後日詰めますが、腕の見せ所です。」

 

 言うならば、これがメインどころ。


 レコード会社が替わり、事務所の人事体制が一新されるのを潮に、

 石澤氏のパワハラを跳ねつけられるくらいのネゴシエーション能力を持った

 明日菜さんの信者である赤の他人がズカズカと入り、

 すっぱり経営診断をしていくというイメージ。


 やる気があるなら経営指導、ないなら破産手続きをして職場斡旋。

 他人に利用されそうなら、証拠写真を撮って明日菜さんに突き付けると。

 

 四人くらいが熱心に頷いているところを見ると、

 銀行員は初老の人ではないのかもしれない。まぁあとで確認すればいいか。

 

 「次に、交際相手についてです。

  これも端的に申し上げますが、明日菜さんは不貞を働かれています。」

 

 ほんとに塔子さん、あっさり言うなぁ。

 この件はさすがに動揺が走った。まだ順調交際と思っている人もいたのだ。

 

 「交際そのものは男女間の関係であり、

  私どもがとやかく申し上げることではありません。

  ただし、交際相手に対して、

  明日菜さんが億単位の資金を貢いでいるとなると、別です。」

 

 会議室の空気が、止まった。

 この件は、明日菜さんが自殺未遂を起こさなければ、

 大っぴらに漏れることはなかったのだろう。

 

 「見通しの薄い事業案件であることは、ご家族と同じです。

  ただし、お相手の方は芸能事務所に所属されておられますし、

  なによりも、依然として人気がおありの方です。」

 

 交際相手の名前を暴露しているようなものである。

 ただ、それ自体はファンの間では常識なので、皆は神妙に頷いている。

 

 「ご家族相手とは訳が違いますが、逆に申し上げれば、

  通常のビジネスベースで処理してしまう姿勢を示すほうが

  交渉材料になりえます。皆さんのお力添えをお願い致します。」


 塔子さん、整った顔してるのに、えぐいことを平然と言うなぁ…。

 考えてみると、石澤氏の元部下だもんな。

 いろいろやってきたということなんだろう。


 「最後に、明日菜さんご自身です。

  これは本人の心がけ次第のところもありますが、

  アルコール中毒と浪費癖です。」


 うわ。直球で言い切った。

 塔子さんが明日菜さんのファンじゃないから言い切れることだけれども。


 「ただ、ご本人からすれば、

  あれだけのプレッシャーですから、無理もないところもあります。

  それに、これまで申し上げてきたことの積み重ねが、

  そちらに逃避せざるを得なくなる事情でもあるでしょう。

  そもそも、この業界で、この病に掛かっていない成人はごくわずかですし。」

 

 あはは。言い切ったよ。

 ほんと、スパスパ、ズバズバだなぁ。


 「大事なのは、資金繰りが行き詰まらない程度かどうか。

  そして、ご本人の心の隙間が広がっていないか。それだけです。

  

  皆さんは、明日菜さんのお話を良く聴いて下さい。

  怒らないでください。諭さないでください。」


 明日菜さんは規格外の繊細極まりないアーティスト。

 ここにいるのは常識内の一般人達だ。

 感性が根本から違うし、下手に常識に縛ろうとすると反発しかされない。


 「ただ、ご本人が間違った方向に行かれた時には、

  手を引いて、身体を張って止めて下さい。

  皆さんなら、できるはずです。」


 うわぁ。

 なんて言い草だ。弾避けのような感じになってる。

 

 ……そして熱烈に頷く精鋭ファンの社会人達。

 立派な宗教だな、コレ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る