Interlude
Interlude:第1話
この物語は、フィクションであり、ファンタジーです。
実在の人物・団体・楽曲とは一切関係ありません。
*
某外資系レコード会社、副社長室。
部屋の主たる早川副社長の眉毛がだらしなく垂れ下がっている。
心なしか、麻布テーラー製のオーダースーツの皺が深い。
なんのかんの言って基本ダンディな人なのに。
それだけ、騒動の衝撃が大きいのだろう。
「古河君。」
やつれてる。
声が、めっちゃ、やつれてる。
まぁ、無理もないけど。
「はい。」
「……きみ、なのか?」
なんて言えば良いのだろう。
「……想定外の帰結です。」
……としか、言いようがない。
*
森明日菜、電撃移籍。
まだ、公にはなっていない。
そもそも、まだ、決まってもいない。
ただ、本人の意思は、梃子でも動かない固さらしい。
少し衰えが見えるとはいえ、依然として50万枚を軽々と超える売上を誇る。
チャート番組の女王に君臨し、ブラウン管の先でその姿を見ない日はない。
前であれば、この後に、日本中を震撼させた事件が起こる。
その原因は、リアルタイムとまったく無縁の俺ですら、目に入って来ていた。
同時代には勿論、10年後にも、20年後にも、30年後にも、
繰り返し、繰り返し調べられ、報道され続けた、邦楽史最大級の大事件だ。
ほんの、出来心だった。
そうなる経緯と原因について要約的に綴った資料を、
めちゃめちゃ重たいワードプロセッサで書きとめ、
怜那に説明しておいただけなのだ。
……それが。
どうも、怜那は、この資料を、
よりによって、本人に、直接渡してしまったらしい。
大阪のAMラジオのゲスト収録がたまたまかち合った時だと聞いている。
ラジオの収録で冷戦が解除されただけの雲の上の存在なのに、
距離感の詰め方の速さは相変わらず異常すぎる。
ただ、あれは、起こりえることが記されているだけの「資料」だ。
対応策も、行動指針も、一切記されていない。
その結果が、まさか、こうなるとは……。
*
「……というわけでして。」
「……なんといって良いかわからんな。
そもそも、君がそこまで明日菜嬢のことを詳らかに知っているのはなぜかね?」
どうしよう。
いまのところ、こういう答えしか持ち合わせてない。
「ファンですから。」
実力的には、間違いなく白眉と言っていい。
この時代には、雨後の筍のようにアイドルが乱立したが、
後世の一般人にまで名が残ったのは、桜木聖と森明日菜しかいない。
「君がか? 正直言って意外だな。
君は洋楽以外は今村由香しか見ていないと思ったが。」
「まったくそうです。
ただ、いまの邦楽市場で、
潜在的に怜那の存在を脅かせるのは、三人しかいません。
森明日菜さんは、間違いなくその一人です。」
残りの二人のうち、一人は、
類稀な歌唱力と可憐な美貌、抜群のダンスセンスを併せ持っており、
ゲーム的なパラメーター上は最強アイドルの素養があるものの、
史実通りロック色の強い方向を志向してしまっており、
本人の強みが生かされずに終わる。
ただ、この人の場合、そっちのほうが、将来、別の道が開けるはずだ。
本当に恐れるべきは、まだ表に現れていないあと一人のほうだ。
「……いかにも君らしいな。
普通、発想が逆じゃないかね?」
「僕の主語は怜那ですから。」
俺は、今村由香の将来の版権価値だけを基準にしている。
正直言えば、邦楽市場全体のことなんて、
最初から考えていないし、考える意味もない。
2020年には、版権収入の半分以上は海外から来るのだから。
「それは、惚気かね?」
「はい。」
「……済まないが、君の冗談に付き合っている時間はない。
どうするつもりかね?」
あらら。
眉毛、ホントに余裕がないんだなぁ。
まぁ、無理もない。
この時期の森明日菜は、取扱いが非常に難しいトラブルメーカーとして
業界内では既に有名になってしまっているはずだ。
業界の仁義に逆らって金が掛かりまくる火中の栗を拾う気にはなれないだろう。
ふつうは。
ほんの一瞬だけ、迷った。
「お申し出をお受けしてよろしいのではないかと。」
俺は、『答え』を知っている。
財産のあり方を。鉱脈の所在を。
「……君、正気かね?」
「その前に、少々、篠原さんをお借りできますか?」
塔子さんならできそうなんだよね、これ。
「……それは構わんが、本当にどうするつもりかね?」
「ごく若干の責任は感じておりますので。」
*
「……わかりました。ただちに手配します。
早ければ今日中、遅くとも明日中に。」
うわぁ。
さすがに塔子さんは優秀だなぁ。海外公演を仕切れてしまうくらいだし。
そんな人が、今村由香のマネージャーをやってくれてるのは
僥倖以外の何物でもない。
「……この発想、由香さんにも使えそうですね。」
「いえ、少なくともいまのところ、その必要はありません。
問題の位相が違いますし、怜那には塔子さん達がおられますからね。」
「……恐縮です。」
あはは。パンツスーツの塔子さんにはにかまれてしまった。
年下の一学生なんだけどな、俺。
*
一週間後。
「リストアップの目処はつきそうです。」
……ほんと凄いな、塔子さん。
俺にゃ絶対できんわ。
明日菜さんくらいのビックネームになると、
明日菜さんを狂わせたタチの悪いタニマチ筋に依存する必要はない。
周辺筋の人脈を一新できるチャンスと捉えられるならば。
アイドルを攻撃するのもファンなら、それを護るのもファンだ。
森明日菜級の国民的イコンなら、熱烈なファンの数は尋常ではない。
その中に、原石はある。広告代理店が見逃すような碧玉が。
ファンクラブの古参会員であること。
熱心に葉書を送って来るリピーターであること。
常識と教養が文章に現れていること。
楽曲をきちんと聴いており、正確な評価をしていること。
明日菜さんの成長を慈しみながら見守っていること。
女性であること。そうでなければ、少なくとも結婚していること。
いまの状況に役立つ職業と、身を護る術を持っていること。
考えただけで気が遠くなるような作業を託せる者達を集め、指揮し、
一週間で成果を出すというのだから、本当にどうかしている。
事務職は手作業が当たり前の時代だから苦にも感じないのかもしれないが、
スキャンの文字起こしに慣れてる俺にゃ絶っ対にできんわ。
さて、と。
ボールが、こっちに来てしまったわけ、か。
たぶん、できてしまうだろう。
でも、本当にやっていいことなのかどうか。
……それを言うなら、怜那を動かしてる時点で、もう、破ってるんだよな。
ええい、ままよっ。
「ありがとうございます。早速副社長にご報告します。」
俺、社員じゃないんだけどなぁ…。
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