ExtraⅠ:第9話




 「……貴方は、『誰』なの?」

 


 

 凍り付いた。

 世界が、止まった。

 

 バレた。

 バレてしまった。

 

 嘘だらけの「俺」のことが。

 どうして。なぜ。

 

 呼吸が、できない。

 動悸が、耳に、大音量で響き続ける。

 視界が、ぐにゃりと揺れて

 

 「……ち、ち、違うの。

  ご、ご、ごめんね? 戸惑わせちゃって。」


 慌てたように、怜那が、両手を顔の前でパタパタと振る。

 その変わらなさに、ナチュラルなあざとさに、

 瞬間冷凍された躰が、陽だまりに触れたように、端から、少しずつ解けてゆく。

 

 「……その、あのね?

  ちょっと……聞いて、ほしいの。」


 ……聞こう。

 聞くしか、ないのだから。


 「わたしね……、

  中1の時、いっぺんに、人生が変わっちゃった。」

 

 父親が死んで、音楽を、声を否定された。

 古河智也が、避けようとして、避けられなかった悪夢。


 「お父さんがいなくなっちゃったのに、

  わたし、どうして生きてられるんだろうって。

  友達も、もう、友達に見えなくなって。

  もうだれも、いなくなって。」

 

 …「涙さえうかばない ひとりぼっち」の日々だ。

 

 「でも、智也君が、

  ずっと、ずっと、ずっと話しかけてくれて。

  声が、いつも優しくて。

  他の音は止まっていたのに、

  智也君の声だけが、耳から、からだに入ってきて。


  なんでだろう、どうしてだろうって思ってて。

  それで、思い切って近寄ってみたら、

  ほんと、なんていうか、お父さんみたいで。


  もちろん、違ってて。

  でも、なんか、わたしよりずっと、

  わたしのこと、よく知っててくれてるみたいで。

  

  あぁ、たのしいな。うれしいなって。

  智也君が、わたしを見ててくれるだけで、

  あったかくて、ぽかぽかして、ふわふわして。

  

  でも、智也君、急に黙っちゃうときがあって。

  急にいっつもなんか考え事をし始めて。

  わたしを見てないみたいで、すごく不安になって。

  でも、話してくれる時の智也君の瞳は、すごく優しくて。

  

  なんでだろう。どうしてだろう、って、

  ずっと、ずっと思ってた。

  あの時もね? 

  

  ……ううん、こんなこと、言いたいんじゃ、ないんだ。」

 

 ……だな。

 『あの時』のことは、もう、塵一つまで記憶から消し去りたい。


 「チャー先生が話しちゃったらしいけど、

  メンバーさんに、ちゃんとした告白、されちゃって。」

 

 ……あぁ……。

 なんか、えらい昔の話に感じるな……。

 古河智也にとっては、それこそ天敵だった筈だけど。


 「素敵な、凄くカッコいいシチュエーションで、

  あ、なんか、ありがたいな、って思っちゃった。えへへ。」


 ぇっ。

 ゃ、じゃぁっ

  

 「でも、すごく、『ちがうな』って思ったの。


  あの人は、いまのわたしが、わたしじゃなくなったら、

  きっと、すぐに捨てちゃうと思う。

  歌えなくなったら、ぽいってされるなって。

  いい、悪いじゃなくて、そういう人なんだろうなって。

  

  そう思ったら、すごく寂しくて。

  一秒でも早く、智也君に逢いたくて、逢いたくて。

  でも、『逢っちゃだめだ』って。

  

  今だから言えるけど、ツアーに一緒にいってくれない、って、

  智也君に言われた時、わたし、ほんと、すごいショックで。

  

  智也君、浮気してわけでもないのに、って。

  なにか考えてることがあるんだろうな、って思ったけど、

  また、言ってくれないから、すごく不安になって。」

 

 ……怜那に、言えるわけが、なかった。

 止められるに決まっていたから。差し違えるかもしれなかったから。

 

 「でも、智也君と、少し、離れたらどうなるんだろう、って。

  智也君と離れてても、立っていられるわたしでいないと、

  智也君と一緒にいられないんじゃないかって思って、願をかけたの。

  電話もしないようにして、ずっと無理をして笑ってて。

  

  そしたら、告白、されちゃって。

  

  ああ、わたし、ダメだな。

  ほんとダメだな、って思って。

  

  告白させちゃった、っていうのは、わたしにスキがあるってことで、

  ダメだな、ほんとダメだなわたし、って。

  でもほんとに逢いたくて逢いたくて。

  夢にまで見て、隣にいなくて、ホテルでボロボロ泣いちゃって。

  だからクアラルンプールとか、ちょっと歌い方が荒れちゃってたなって。」

 

 ……それはそれで、ちょっと見たいな。

 どんな姿でも見てみたくなるやっかいなディープ隠れファン心理。

 

 「だから、時間があったらずぅっとチャー君と話してて。

  チャー君の中にいる、智也君と話そうって思って。」

 

 ……俺、死んでる人?

 あ、死んでる人だったわ。

 

 「そしたらね、なんか、変だな、って思った。」

 

 ……ん?

 

 「わたしの知ってる智也君と、チャー君の知ってる智也君、

  すこし、違うな、って。」

  

 ……あ。

 

 (怜那に話しかけていたのは、

  お前しかいないんだよ。古河智也。)

 

 あ、あ、

 あぁ……っ。

 

 「智也君なんだけど、智也君じゃないみたいで。

  話し方とか、癖とか、話す内容とか。

  男の子と話してるから当然かな? って思ったんだけど、

  電話で話したみどりちゃんとかも、チャー君の知ってる智也君で。

  

  あれ? って思ったの。」

  

 蟻の一穴とは、この、こと、か……っ。

  

 「で、スタッフさんとか、塔子さんとか、みんなに、

  智也君の話をして廻ったんだ。

  

  そしたら、気づいて。

  

  スタッフさんっていうか、

  レコーディングを一緒にやってくれてる人達は、

  みんな、智也君のこと、『おれ』君って呼ぶんだよね。

  

  政美さんだけなのかな?

  って思ったけど、武樹さんも、龍二さんもそうだし。」

  

 え。

 大先生、わざわざ帯同したんだ。いつ? ピアノ?

 いや、そこじゃない。そこじゃ、全然ない。

  

 「智也君、普段はいつも自分のこと、『僕』って言ってるけど、

  編曲を詰める時とか、新しいアイデアを楽しそうに言う時って、

  いつもだいたい、『俺』って言ってるって。」

  

 うわ。

 ……ぜんぜん気づいてないぞ、「俺」。

  

 「おーあーるいーって、

  『おれ』ってことじゃないのかな? って。」

 

 ……追い詰められる犯人って、こういう心境なんだ。

 逃げられない。ギロチンが首筋に落ちる瞬間まで、聞かずにはいられない……。

  

 「それでいろいろ思い返したら、

  智也君が、一回、ほんとに一回だけ、

  わたしに、『おれ』って言ったことあったな、って。」

  

 (「奥様と、の親は、血が、繋がってたりする?」)

 

  ぁ……。

  あれは、あれだけは本当に意図的にやったんだけど。

 

 「……それで、お母さまと、お電話でちょっとだけお話したの。」

 

 おかあ、さま……

 って、かっ!?

  

 「『智也君、いつからレコード集めてたんですか?』って。」

 

 うぎゃっ。


 「『家の中には、そんなものなかったわ。』って。」


 がぐはぁっ……。

 あ、あの女、「俺」にまでぇっ…。

 

 「……だからね?

  。」


 死刑、宣告………。

 ……ついに、来て、しまった……。


 「それは、わかってるの。

  

  ……でも、ね?

  

  思い返してみたら、智也君じゃないおーあーるいーさんは、

  いつも、わたしのことを、見ててくれて、

  引き上げてくれて、知らないわたしを教えてくれて。

  

  レコーディング中、

  すごいな、すごいな、すごいなって、ずっと思ってて。

  

  ブースの向こうで、わたしが歌ってる時、

  端っこのほうで笑いながら政美さんとかとコソコソ話してる姿、

  いつも見えてたんだからね?」

  

 ……教師側からは生徒の悪だくみはすべて見えるというやつね。

 

 「そうしたら。

  そう考えてみたら、なんか、いろいろ、分かっちゃって。

  

  中学の時から、ずっと、ずっとそうだったんだなって。


  智也君じゃないおーあーるいーさんは、

  ずっと、ずっと、ずっと、

  わたしのこと、見ててくれたんだなって。


  わたしに歌を返してくれたのは

  智也君じゃ、なくて……

  

  だから……、

  その、だからね……?

  

  わたし、智也君が好きで好きで、大好きで。

  だけど、おーあーるいーさんとは、

  ……なにか、もっと、違う、

  わたしのいちばん深いところと、繋がってくれてる気がして。」

 

 ……。

 

 「あ、あはは。

  ご、ごめんね? 何言ってるか、わからなくなっちゃったけど。

  

  ……でもね? 

  だから、教えてほしいの。

  

  おーあーるいーさん。

  『おれ』さん。

  

  貴方は、『誰』なの?」


 闇から、音が、消え去った。


 澄み切った潤んだ瞳のまま、

 口角だけで必死に笑い顔を作る怜那が、

 真っすぐに「俺」の心を射貫く。


 ……。

 だめ、だ。

 もう、隠れたく、ない。

 


 「『俺』は、貴方の、ファンです。」

 


 ずっと、ずっと、ずっと、言いたかった言葉。

 もっと慎重に、もっと飾りつけて告げたかった言葉。

 

 「佐和田怜那さん。

  そして、今村由香さん。

  

  『俺』は、貴方の、ファンです。」

 

 闇の中で、無機質な照明塔の光に照らされた怜那が、

 虚をつかれたように、きょとんとした顔を浮かべる。

 そんな姿さえ、ただ、ただ、愛しい。


 「貴方の声質も、高音域の伸びやかさも、 

  中音域の丸みと温かさも、息遣いも。

  貞淑な姿も、溌剌とした姿も、

  眼を閉じて音を愛でている時の愛らしい顔も、

  日の光を浴びて輝いている時の美しさも。

  

  でも。

  あなたが、『俺』の前で、

  ただ、生きていてくれることが、

  息を吸っていてくれることが、たまらなく、愛しい。

  

  たとえ、貴方の声が枯れてしまっても、

  全身に疱瘡ができてしまい、貴方の原型をとどめ得なくなったとしても。

  髪に頂いた霜が枯れ、自分の名を呼べなくなったとしても。

  

  『俺』は、生きている限り、

  生涯、ずっと、貴方の、ファンです。」

 

 ……一息に、すべてを、喋った。喋ってしまった。

 恥ずかしい。息苦しい。叫びだしたい。

 もっと、違う言い方が、スマートな飾り方があったんじゃないか。


 「そっ……か……。

  

  じゃあ、じゃあ、ね……

  ……『おれ』さん。

  あなたは、わたしの、すべて、です。」

 

 泣き笑いの顔のまま、さらっと言った、

 とてつもなく重量級の想いを詰めきった言葉。


 「どうしても、どうしても、どうしても言いたくて。

  だから、こっそり、英語の詩で歌おうと決めたの。

  日本語では言えなかったことも、

  英語だったら、言えるかな? 伝えられるかな? って思って。」


 …それで、同じモチーフがずっと続くシンプルな歌詞に…。


 「そう、思いついちゃった時に、

  下手なのは分かってるけど、わたしなりにね、一生懸命考えて書いたの。

  ライターさんとか、尾外越さんとか、

  他の雑誌の人とかにも、いろいろアイデア、貰っちゃったから、

  『わたしの詩』では、全然、ないんだけどね?」


 ……。


 「……でも、

  日本語で、本人の前で、言え、ちゃっ、た。

  ……えへへ。」

  

 硝子の光の下で、はにかみながら微笑む怜那が、

 ただ、神々しいまでに愛しくて。


 「だ、だから、もう、二度と離れないで?

  九州には、わたしも行くから、一緒に。」


 ぁ。

 ……。

 

 「全国ツアー、ナシにしたのって、

  お爺様のところに、行かせたくなかったんだよ、ね?」

  

 「………。」


 頷くしか、ない。

 佐和田怜那は、今村由香は、

 前世存在しなかった、『本当の才媛』に成長した。

 隠しておくことは、もう、できない。


 東京の真ん中の、静かな丘の上に。

 車のライトが、さざめくように通りすぎていく。


 想いは、すべて、伝えた。

 すべて、受け止めた。


 言葉はもう、要らない。


 けど。


 ……さすがに、冷える。

 なにせ、もう、10月の夜中だし。

 しかも、怜那は、ワールドツアーから帰国した日なのに。

 

 「……帰ろうか、怜那。

  みんな、待ってるから。」

 

 「……うん。」

 

 月並みな言葉に頷く怜奈が、

 『俺』の腕を、さり気なく取った。

 『俺』は、無機質な硝子管の光を遮りながら、

 ロンドンの匂いがする怜那の唇に、囀るような

 


 『お楽しみだねぇ?』



 「……っ!」

 

 「……? どうしたの?」


 「い、いや……。」

 

 だ、誰もいない……よ、な?

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