ExtraⅠ:第8話


 いいようにスタジオに拉致されちゃってるじゃん……。

 いやもう、まぁ、いいんだけどさぁ……。

 せっかく怜那が帰国した日なのに……。

 俺、貴方たちみたいな夜型人間じゃないんだからね?

 

 うわ。スタジオのスタッフさんがわらわら……。

 林森さんと井伏雅也まで……。

 大先生がいたら『nineteen/ensemble』のレコーディング時と同じだわ……。

 

 「じゃ、聴くとしようか。」

 

 マニュピレーターさんがミキサーのレベルを引き上げる。

 準備していたのだろう。S/N比が低そうな音が……

 

 え。

 

 あ。

 これが。


 あぁ……。

 

 

 (「歌詞の内容を替えておられましたね?」)



 そこからじゃ、ない。

 

 怜那が、今村由香が、

 イギリス人の聴衆の前で、

 英語で、ライブで、スタンダードナンバーを歌っている。

 

 少し硬質ではあるけれど、あの静謐に透き通る声で、

 英語で、しっかりとしたネイティブの発音で、歌っている。

 

 いつ。

 

 (「これは、君が気づくべきだな」)

 

 (「怜那ちゃんの隠し玉が効いた」)

 

 (「悔しいよなぁ…」)

 

 どこで。

 

 (「じゃあ、少し驚いて貰おうかな。」)


 驚いてる。

 そりゃぁもう、驚いてる。


 声が、音が、英語の歌詞を、ちゃんと捉えている。

 英語を歌わされてない。英語に歌わされていない。

 

 英語で、倍音が豊かに広がったバカラ・ヴォイスをホール一杯に響かせている。

 本場中の本場で、堂々と、臆することなく。

 

 あは。

 あはは。

 

 凄い。

 ほんと、凄いな。

 

 (「姫は本物の才媛だよ」)


 一曲ごとに、観客を、確実につかんでいる。

 おざなりのまばらな拍手から、好意的な口笛と歓声へ。


 涙が、出てきそうになる。 

 偽物じゃ、ない。

 そう、認められたことが。


 "Thank you,Thank you so much.

  OK.Ladies and Gentleman,The time is come!"


 あはは、今村由香がイギリスのオーディエンスを煽ってる。

 お客さん、ちゃんと乗ってくれてる。

 歓声と拍手、あちこちから口笛が朗らかにホールに響く。


 ”The last song is original one from my new album

,'it means the world to me!'

  One,Two,Three,Four!"


 あ。

 

 鮮烈なピアノのシンコペーション。

 うわ、さすがライブ版、ギターの自己主張強いなー。

 

 『だいじなのは』の英語版、か……。

 あ、これ、歌詞、違うわ。

 

 アルバムのライナーノーツに英語の歌詞を入れた時は、

 こんな風に使われることを想定していない。

 はっきりいって、企画先行、真に合わせの直訳だ。

 

 でも、これはちゃんと、歌詞になってる。

 原詩と、全然違う言葉で。

 

 (「コンセプトはOREさんから頂いたものの通りです」)

 

 コンセプトだけだわ。

 っていうか、これって、某姉妹の歌い手さんの歌詞にちょっと似て…。


 うわ、年、ぴったりじゃん。

 あ、あー、それで向こうロンドンでちょっと話題に?

 音楽的にも、ルーツが少し、近いし。

 

 ん?

 2番の歌詞、だいぶん、違う。


 The cries of the oppressed……

 downtrodden……

 

 ……重ったい歌詞になってるなぁ。

 なるほど。それで新聞社が来たわけだ。

 確かに政治色を感じるのも分からなくもない。

 

 ひょっとしたら怜那は、「日常に押しつぶされても」

 くらいな意味で書いたのかもしれないけども…。

 これだと時代的には内戦とか、アフリカの飢餓とかも想像できちゃう…。

 ギターのディストーションの強さが、煽るようにメッセージ性を強調してる。


 Means the world to me is to be with you.

 I will keep on singing only to reach your heart.

 All sorrows and joys are just for you.

 All I want is only to laugh with you.

 

 うわ、サビのとこ、急に中学英語になった。

 歌詞の脈絡ないというか、同じモチーフを叩き込むというか。


 ほんと歌詞、相当違ったなぁ…。

 重いとこ、ちゃんと聞かないとだなぁ。


 "That's it! Thank you so much,everyone!”


 割れんばかりの大歓声と口笛。

 手拍子と足踏みでアンコールを熱烈に求められてる。

 鳴りやまない。ずっと、鳴りやまない。

 前座が盛り上げすぎた舞台って、本演者は困るだろうなぁ…。 


 「……確かにこれ、すごい政治的な歌詞に聴こえるぞ。」

 

 意識、あったのか、なかったのか…。

 っていうか、なんで音楽雑誌の人達までいるのよ。人口密度高すぎない?

 

 「でも、Billy Joel的にも聴こえない?」

 

 あぁ。

 Just the way you areの女性版。

 それにしては熱烈な内容だったけど。全然乾いてない。

 

 「youを複数形と見るか、単数形と見るかで違ってくるね。」


 「で、早川副社長が新聞社から弁明を求められたと。」


 「新聞社は外信から問い合わせがあったんだろうな、たぶん。」


 「凄いね由香ちゃん、欧州鮮烈デビュー。ワールドワイド。」



 『で、どうなの?』

 

 

 どうなの、と一斉に聞かれましても。

 …俺、はじめて聞いたんだから。


*


 「……あ、あははは……。」

 

 スタジオの端っこ。コンソールの反対側。

 『nineteen/ensemble』レコーディング時の指定席で、

 怜那が、いたずらっ子のように笑っている。


 もともと、このツアーは、

 「完全日本語」でのステージを想定していたし、怜那も同意していた。

 アジアツアーなら、それで、何一つ問題がなかった。

 

 「俺」が行かないと告げた日からなのか。

 ロンドンが決まった時から、ずっと考えていたのか、

 あるいはその、前からなのか。

 

 ただ。

 気づいていることは、ある。

 

 「怜那。」

 

 「……な、なに?」

 

 「ちょっと、屋上に出ようか。」


 さすがに、聞かせられない話が多いから。

 ……注目を浴びすぎてるし。


*

 

 「2番のあれ、九州の話だね?」

 

 怜那の可憐な容貌から、笑みが、ぴたっと止まった。

 

 「……あはは。

  やっぱり、わかっちゃったね……。

  ……うん。」

 

 政治的意味が付与されたように聞こえたのは、たまたまだろう。

 まだ分からないところがあるけど、

 急に社会派ロックに目覚めた訳ではなさそう。

 

 「一誠氏に面会したよ。」

 

 「……ぇ。」

 

 怜那の、呼吸が、止まった。

 

 「継ぎたくないそうだ。

  怜那にも、継がせるつもりはないって。」

 

 「……そう、なん、だ。」


 やっぱり。

 怜那も、俺と同じ間違いを犯していたということか。

 

 ヨネさんは、しっかり分かっていたに違いない。

 なにしろ、覚書に捺印させた張本人なのだから。

 それでも俺に行かせた、というのは、

 俺に、今の一誠氏の状況を、分からせるためだったのだろう。

 

 「……ねぇ、智也君。」

 

 少し怯えるように、甘えるように俺の瞳を見る怜那は、

 思いもよらない言葉を告げた。

 

 「……それとも、OREさん、かな?」

 

 ……怜那に面と向かって言われると、

 ぐさっと来る恥ずかしさがあるな。

 

 「おーあーるいーさんって、

  『おれ』さん。だよね?」

 

 ぇっ。

 



 「……貴方は、『誰』なの?」




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