ExtraⅠ:第5話


 ぱちっ。

 

 (………。)

 

 借り住まい感が薄れた部屋が、すごく広く感じる。

 怜那が、いないからだ。

 

 ワールドツアー前は、レコーディングスタジオで、

 なんだかんだと顔を合わせられていたから、

 離れている日々が続くと、さすがに、寂しさが募る。

 半身を捥がれているような違和感と喪失感。

 

 そこまでして、狙った成果が上がったのか、と言われると、

 残念ながら、禍根を断ててはいない。

 それどころか、最初から、とんでもない勘違いだったわけだ。


 (「なんで怜那はこんな奴を好きになっちまったんだろうなぁ…」)

 

 あの男は、怜那のことが、好きだったんだろう。

 にそうだったかは、分からない。

 でも、今世の怜那は、見る人皆に、好かれてしまう。


 ……それは、そうだ。

 

 少し長めの睫毛、好奇心旺盛にキラキラと輝く悪戯猫のような瞳、

 妖艶さとあどけなさを併せ持つ魔性の唇、

 異様に整ったスタイルと、その象徴たる、見事としか形容しようのない脚線美。

 そして、何の脈絡もなく、性別を問わず発動される、

 ボディタッチつき距離感ゼロ攻撃。

 

 なによりも、あの、声がある。

 あざといのに、暖かく、丸みがあって、そして深みがある。

 心が揺り動く、身体が甘く痺れるような声が。

 

 こんな少女が隣にいて、気にならないわけがない。

 変身直後の佐和田怜那なら、

 斜に構えた一誠少年を、そうだと意識せずに、篭絡してしまったろう。

 

 (『あんときゃ俺も、マジでどうかしてたんだよ。』)


 ……あれは、金閣寺的な意味じゃないのか?

 届きはしないなら、自分の掌に入らないなら、

 いっそ穢し尽くしてしまえ、という、破滅型の欲望。

 

 ……迷惑極まりない話だけれども、

 ほんの、ほんの少しだけ、分かってしまう。


 親は、子どもからは、選べない。

 親に、あの女母親に苦労させられた、という意味では、古河智也だって同じだ。


 古河智也が「俺」に替わる前の頃、あの女母親は、

 古河智也が怜那のために野球を棄てたことをネチネチ言って来た。

 ただでさえ意識が薄くなっていた古河智也にとって、どれほどの足枷だったろう。

 妄執を宥める無駄な時間が、怜那の父親の命を奪ったと言ってもいい。


 あの男一誠氏の末路は、他山の石だ。

 ああならないようにしなければならない。

 そして、怜那の心が俺を向いている限り、

 怜那を、そして、「俺」を、信じ続けなければならない。

 

 怜那のことは、信じられる。

 でも、「俺」のことは。


 ……。

 あ。

 楮さんに、テープ、貰ってたんだよな。

 

 (「ちゃんと聴いてやれよ?」)

 

 親指、立ててたな。

 …似合わなかったなぁ。なにせチャラいから。

 そういえばあの人、「事件の影にヤッパリ君」に似てない?

 

 えっと、ラベルが……

 ん? 「raw ver.」?…。

 一応、巻き戻されてる…。

 

 まぁいいや。再生しよう。 

 がちゃっ……。 


 ……あれ、このシンコペーションは……

 『だいじなのは』だ。

 あぁ。AMラジオの収録版だ。

 

 『こんばんはー! 今村由香です!

  さて今日はここです! どぉこだと思いますかー?

  だらららららららっ………ででででんっ!

  なんと、リオです! リオ・デ・ジャネイロぉっ!』

 

 あ、もうリオなんだ。強行日程が過ぎるな。

 とんでもない距離、運んできたなぁ楮さん。

 ほんっと、若いなぁ……。

 

 『今日も音楽評論家の茶谷秀一先生が一緒です!

  チャー先生、どうぞー!』

 

 あはは。茶谷君。

 ラジオでも普通にどもってる。

 結構出させられてる筈なのに。

 

 怜那のラジオ、聴かないようにしてたからなぁ…。

 ファンと怜那の関係に、「彼氏」が水を差したくなかったから。


 いや。

 怜那が他のファンに向けて話しているのを、聴きたくはなかった。

 

 ……独占欲強すぎるな、俺。

 ただの一隠れファンなのに。

 

 あぁ。

 隠れファンだった、俺。

 

 今村由香のラジオ、好きだったんだ。

 動画で断片的にしか聴いたこと、なかったけど。

 

 あの時よりも、マイクに声が、乗りやすくて。

 あの時よりも、話の構成が、上手くなって。

 あの時よりも、話の捌きが、滑らかになって。

 

 『告白はねー、ちゃんと自分でしようね?

  ラジオ、想い人が聴いてなかったら意味ないし、

  わたしが告白してうまくいっても、

  〇〇ちゃんの力じゃないから、後、ひいちゃうからね?

  ということで、ここについてる可愛い告白文は読めません。

  ごめんねっ! 自分でやって、いい報告、送ってきてね!』

 

 あはは。

 変わらないなぁ、こういうところ。

 

 『チャー先生も告白、したんだからね?』

 

 うわ。

 流れ弾で壮絶に被弾したな、茶谷君。

 

 『……でも、告白ってね、難しいな、って思う。

  告白するのに、すごくエネルギーがいるから。

  もし、告白された、っていう人がいたら、

  断るのも、なるべく、できるだけ、エネルギーを合わせてあげて下さい。

  

  ……。

  告白、された時、

  わたし、あ、好きだな、

  ほんと、好きなんだなって思ったの。

  

  だからね、

  ……だから、わたし、悪いな、ダメだな、って。

  わたしに、スキがあったからなんだろうなって。

  たぶん、心配するだろうなって思うんだけど。

  そんな心配、しなくていいからって思うんだけど。

  

  ……ごめんね。

  ……ごめんなさい。』

 

 ……こ、これは……。

 

 『……智也君。

  逢いたい、よぉ……っ……。』


 ぷつん。

 

 ……。

 はは。



 (「ぉいてかなぃ……でよ……っ!」)



 「raw verナマモノ.」ね。

 カットされるわ、そりゃ。

 

 ……。

 ははは。

 ダメだな、『俺たち』は。

 ホント、どうしようもなくダメな奴らだ。

 

 独りぼっちの怜那に、

 こんなこと言わせてしまっている『俺ら』は、

 ホント、クズ野郎共だ。

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