ExtraⅠ:第4話

 

 「済まないね、学期中に呼び立ててしまって。」


 「いえ。」


 某外資系レコード会社、早川副社長室。

 いずれ「副」の名前が取れるかもしれない。

 

 野党から首相になった人にこういう眉毛、あったよなぁ…。

 スーツの仕立てが元首相よりずっといいけど。

 ってか、あの人、この世界でも首相になるのかな…。


 「ワールドツアーの件、

  君のご要望に完全に添えなくて申し訳ないね。」


 最初からここロンドンへ落とすつもりだった癖に。

 ミドルネームバンドの前座、4曲のみ。形だけの「ロンドン公演」。

 そういうカラクリだと普通の日本人が知るのはずっと後になってだろう。


 それでも、「ロンドンで演った」というネームバリューは手に入る。

 …ほんと、食えない人だ。


 「それにしても、君が石澤に頭を下げるとは思わなかった。

  てっきり恨んでると思ったから。」


 あのオッサンはほんの少ししか恨んじゃいない。

 ただ、ディレクションが下手でセクハラ体質で、

 30年後の世界では生きられない男なだけだ。


 「ワールドツアーのロジを廻せる方は、

  私の知る中では、石澤さんだけかと。」


 でもって、仕事はできるんだよ、仕事は。


 「ふふ。君こそ、余程食えない男だと思うがね。

  その歳で石澤に貸しを作るなんて。

  例の事件以来、身の置き所を無くしていたんだからな。

  ま、しっかり働く男に戻ってくれて、ありがたいよ。」

 

 「テレビには出しませんけれどもね。」

 

 「はは。

  お母様にもしっかりと釘を刺されとるよ。」


 狐と狸の化かしあい。

 経験値の量では、圧倒的に向こうが上だ。


 「ま、ありていに言って、

  怜那ちゃんの件は、君を通さないと進められないんでね。」


 スタッフ皆が「由香」の名を呼ぶのに、

 早川副社長は、意図的に「怜那」の名を呼んで来る。

 音楽関係者では、副社長の他は、小村政美大先生くらいだ。


 「俊一には後で私から伝えるが、凱旋公演の件だ。」


 俊一……っ!? 

 ……ああ。聖氏のほう、か。

 もう、ややこしいなぁ……。


 「……君、考えていたかね?」

 

 考えてなかったですが、考えてはいました。

 

 「……断りはしないね?」

 

 「全国ツアーはお断りします。」

 

 「……。」

 

 やば。

 めっちゃ睨まれた。眉毛ぷるんって揺れたじゃん。

 いや、そういうんじゃないんだけど。

 

 「……古河君、分かってると思うが、

  今村由香はもう育成アーティスト枠じゃない。

  親会社向け、株主向け資料にも動向を入れてる。

  私が君と話している意味は、分かるね?」


 「はい。」


 早川副社長が本来のカウンターパートを飛び越えて

 忙しい時間を割いて直接俺なんかと話すくらい、

 いまや、『今村由香』は、profit centerと扱われている。

 先手を打たないと、自由度は、劇的に下がってしまう。


 「だったら。」


 これを、ぶつける時だ。



 「5days。」



 「……ん?」

 

 「日比谷野外音楽堂、5days、凱旋公演です。」

 

 「俺」の、夢を。

 

 「……ちと、狭いな。」

 

 うわ。

 の今村由香ならキャリアの頂点なのに。

 ほんとに発想がバブルだなぁ。

 

 なら。


 「『パブリックビューイング』」

 

 「……ん?」


 「日比谷公会堂を貸し切ってライブ映像をリアルタイムで流します。」


 「……どういうことかね?」

 

 「ウィーンではオペラのチケットが売り切れますと、

  中継した映像を外へ流して、入れなかった客に見せます。」

 

 ……ずっと後の時代の話ですけれどもね?

 しっかり調べられたら終わりだわ。

 

 「……オーディエンスはそれで本当に満足するのかね?」

 

 「ライブは一体感の演出ですから、演出の仕方次第でしょう。

  公会堂側にもカメラと集音を入れて、

  怜那側や演者側からもレスポンスできるように。」

 

 でもってアンコール時に公会堂側に現れる、というね。

 

 「……ふむ。」

 

 「できれば、野外音楽堂の外にも置きたいですが、

  通行の支障になるので、管理者と折衝する必要があると思います。」

 

 俺はやんないけどね。

 先例のない案件での役所相手はゲロめんどくさいから。

 

 「……考えていたね?」

 

 「少しは。」

 

 「……武道館は、使わないのか?」

 

 あはは。

 先に手を打たれていたのか。

 

 「できるならば、来年に廻したいですね。

  いきなり武道館だと、皆さんの反発も強いですから。

  それに。」

 

 「……?」

 

 「怜那の声は、空に響かせたいんですよ。

  街で残業に戻る人にも、届くように。」


 DVDの、あのライブ映像のように。

 さすがに雨は降って欲しくないけど。

 

 「ふふ。

  存外、君もロマンチストだな。」

 

 「恐縮です。」

 

 「まぁ、にもがあるしな。

  地方公演を嫌がるとは思ったよ。」

 

 ……だめだ、しっかり情報、掴まれてる。

 さすが眉毛狸。上司にしたら有難いけど、敵には廻せないわ。


 「それと……。

  いや、これは、君が気づくべきだな。」

 

 ?


 「ふふ。

  ま、期待しとるよ。いろいろとな。」

 

 ……知らないうちに何か重たいものを背負わされた気がする……。


*


 「あ、古河君、いた。」

 

 あれ?

 なんでいま社屋日本にいるんだろ、この人。

 

 「お久しぶりです、楮さん。」

 

 入社4年目のロジ担として

 石澤氏にこき使われてる筈なんだけど。

 相変わらず軽そうだなぁ。神代君のほうが余程しっかりしてる。

 

 「はは。

  『なんでこっちにいるんだ』って顔だね?」

 

 あはは。俺、社会人失格だな。

 すっかり学生気分が染み込んじゃってるな、やばいわ。

 

 「高い送料だと思うよ?

  まぁ、社費だけどさ。」

 

 ん……?

 カセット、テープ?


 「まぁ俺は、仕事も減るし、

  飛行機に乗れる回数が増えるから、

  機内食も食えるし、おいしい経験なんだけどね?」

 

 わっかいなぁ……。

 飛行機なんて極力乗りたくないんだけどな、俺。

 

 「確かに届けたから。

  ちゃんと聴いてやれよ?」

 

 あ、はい……。

 って、なんのこっちゃ。

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