ExtraⅠ:第3話


 『あ、あの、ふ、古河君、ですか?』


 ……変わらないなぁ、ほんとに。

 

 「おつかれさま、茶谷君。

  学期中なのにありがとね、いろいろ。」

 

 高校のポピュラーミュージック研究会(ポプ研)元部長、茶谷秀一君。

 今は都内の大学に進学、音楽系同人誌に洋楽評論を書いている。

 商業雑誌にもアーティスト紹介記事を載せたことがあり、

 趣味の域を超えたセミプロ級といっていい。

 怜那のAMラジオでは「チャー先生」としてちょっとした有名人だ。


 茶谷君の旅費はラジオ局から出てる。

 怜那はAMラジオの放送テープを向こうで作っているので、番組製作費名目だ。

 ぜんぶエコノミーの地獄ツアーで、宿も怜那と別だけど。

 

 「そっちはどう?」

 

 バンコクの次はシンガポール。

 そうそうお客が入るとは思わないけど。

 

 『う、うん。

  だ、だ、大盛況。た、立ち見も出た。』

 

 え?

 キャパ1500くらいって聞いてたけど?


 『に、日本人が三割くらいだけど、

  げ、現地の取材が凄くて。

  お、音楽系じゃない人達のやつが。』


 うわ。

 話題性だけで取材が来てる感じなのか。

 それとも、あのオッサンが事前に根回ししたのか。

 

 『れ、怜那ちゃんは

  じ、地元の政財界の、歓迎レセプションに、取られた。』

 

 あぁ……。

 どう考えてもあのオッサンのやり口だ。

 でも、オッサンにしては、規模、でかくない?

 

 「塔子さんじゃ、押さえられなかったと。」

 

 篠原塔子さん。

 帯同してくれてるマネージャーさんのお名前。

 

 『さ、さすがに政治家になると、無理だって。

  国際問題になるぞと、い、石澤さんに脅されちゃって…。』

 

 「国際問題より怜那の体調が大事だと言ってやって。」

 

 それであの人は蘇るから。

 

 『わ、わかった。』


 やれやれ。

 

 『そ、それと、なんだけど…。』

 

 ……ん?


 『そ、その……

  さ、サックスの、ほ、ほ、本間さん、なん、だけど…。』

 

 ……んん??


*


 「……それじゃぁ。」


 がちゃ。

 

 一人きりの部屋で、プラスチックの受話器の音が、やけに大きく響いた。

 

 信じてる。

 怜那のことを、信じている。

 

 だけど。

 …これは。

 

 …正直、まったく予想、してなかった。

 

 本間俊一。

 秀麗な容姿と豪胆かつ繊細な演奏で知られる、気鋭のサックス奏者。

 既に著名フュージョンバンドのオーディションに合格し、

 バックバンドの一員に名を連ねている。

 史実通りなら、いずれ、最年少の正式メンバーに昇格し、

 老舗フュージョンバンドを革新する。

 

 「見向きもしない本間俊一に想いを寄せ続け、

  無残に捨てられた今村由香。」

 

 …史実に、目を、曇らされた。

 

 アルバムチャート、初登場3位。15万枚突破。

 10代女性アーティスト初のワールドツアーを敢行できる舞台度胸。

 圧倒的なスタイルと驚異の脚線美。渋谷X09に看板を置けるほど図抜けた容姿。

 なによりも、人の耳を揺り動かしてやまないバカラ・ヴォイス。 

 

 とは、と。

 

 今村由香は、スポットライトを真向いに浴びて輝きを増し、

 いまや世界に飛び立っている。

 野心旺盛な本間俊一が振り向くくらいには。

 

 と比べてバカラ・ヴォイスに磨きが掛かっていたとしても、

 今村由香は、その本質において、プレイヤーだ。

 だからこそ、本間俊一の繊細な演奏に、琴線を根こそぎ奪われる。


 シンガポール。百万ドルのベイスポット。

 子宮に響くような秀麗で緻密なサックスを奏でられたら、

 怜那の身体は、脳の命令と無関係に熱く蕩けてしまうだろう。

 

 (君のためだけに、弾いたんだぜ、由香。)

 

 うぎゃっ!?

 

 ……って、誰だよソイツ。

 痛い妄想が過ぎる……。

 

 ……考えようによる。ほんとに考えようによるんだけど、

 怜那が本当にそう望むなら、それでも、いいんじゃ、ないか?

 前世の怜那の望みは、それで叶う。

 言いよって来てるのが、向こうだとすれば、無残なことには……。

 

 ……。

 

 『nineteen / ensemble』、か。

 ……お嬢様姿の今村由香が

 祈るように手を組みながら、星空の先を見上げている。

 このアルバムが、まさか15万枚も売れてるなんて……。


 ダメだな、俺。

 所詮、ただの一ファン、それも隠れファンだからなぁ……。

 嘘をつき続けて傍にいるだけの……。

 

 (「てめぇ、怜那から手、離しそうになるじゃねぇか。」)


 ……。

 殺したいほど憎んでいた『敵』から、諭されるなんてな……。

 情け、ない。

 ……ホント、どうしようもなく、情けない。

 

 世界の全てが、俺の敵に廻っても。

 俺の敵達が、俺を谷底に無慈悲に蹴り落とし続けても。

 

 怜那がそう、告げるまで。

 死刑宣告の、その瞬間まで。

 

 俺は、俺だけは、

 怜那を、信じ続けないと。

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