最終話


 1987年、10月。


 『nineteen/ensemble』

 

 セカンドアルバム名は、ベタなところに落ち着いた。

 英語とフランス語が共存するあたりに時代性を感じる。

 

 「正直、君が倒れた時は、もう駄目かと思ったけど。」

 

 ……その節はお騒がせ致しまして。


 「10代のアーティストのアルバムとしては、

  随分変わったものができたと思うよ。」


 できあがってみれば、一種のセルフ・トリビュートアルバムである。

 今村由香のベスト盤を経験値の高いプロ達が自分達の道具箱でカバーし、

 それを今村由香が独自の解釈で歌いなおす、という感じだろうか。


 ジャンルの多彩さを隠すように、アイドル曲需要が無くなりつつある

 小村政美大先生に三曲アレンジャーで入って頂けたが、

 すべて違うアプローチで、どれも細心のバランスが整えられた

 珠玉の出来映えだった。流石に引き出しの深さは半端ない。

 大先生の全曲集の解説が二ページは増えるな。

 お師匠様が早めにポップに目覚めそうだ。いや、そうして欲しい。

 

 「みんな、ちゃんと売れそうな曲になってる、っていうのが凄いね。

  若いうちは、もうちょっと自分が作りたいものに走るモンだけどねぇ。」


 カラオケ版権が大事なだけです。

 できれば四枚はシングルを切るつもりですから。うへへへ。


 理想は、政美先生のお弟子さんが

 音大生を引き出しながら将来作るであろうマスターピースだな。

 どこを切り取っても売れそうな曲が集まってる感じでいえば、

 あれ以上のものはないと思う。


 ただ、これだけ史実が変わると、あれも含めて、何がどう出てくるのだろう…

 このままだと、頭脳ドクターの実験が行われずに終わりかねないぞ?

 ま、まぁもうなんっにも気にしない。気にしたら負けすぎる。

 

 「こんな完成度の高いものを作っておいて、アジア戦略と来たか…。

  てっきりアメリカに売りたがるかと思ったけど。」


 「日本の音楽は、アメリカにまったく劣りません。

  トップレベルのアーティストについては、

  技術的にも、機材的にも、日本のほうが優れてさえいます。

  カシオペアやYMOがそうであったように、

  歌モノでなければ、欧米で十分に戦えます。


  でも、アメリカ人には、

  日本人の作詞を受け入れる余地はほとんどないんですよ。

  文化や、言語的な背景、感受性のアンテナが違いすぎますから。」


 向こうが受け入れるジャンルも劇的に変わってしまう。

 のちのJ-Popの主流となるR&B、AOR、ロック由来の流れは、

 いずれもアメリカでは傍流に追いやられてしまう。

 日本人がきわめて優れたものを作っても、ジャンル自体が廃れるのだ。

 一方、アメリカの主流となるラップやヒップホップは

 日本人が取り入れても、向こうより上手くいくものではない。

 シティ・ポップがごく一部でマニアックに受容されるのは30年も先だ。

 それと。

  

 「なにより、向こうは本家なんです。

  よき茶道の家元がアメリカ人だったら、お弟子さんがつくかは微妙でしょう?」


 それに、東南アジア市場は、でかい。

 インドネシアだけでも1億人いる。日本とそう変わらない。

 spotifyワールドチャートを見ていればわかる。

 東南アジアと南米は無視できない存在なのだ。

 いまから種を撒いておけば、30年後に配信利権を刈り取ることができる。


 「そうかもしれない。ただ、君の言い分を上が呑むかなぁ?

  俺ら世代より上にとっては、北米進出は悲願だからね。

  正直、いまの由香ちゃんなら、このアルバムを作れるなら、

  いけるんじゃないかって思ってる連中は多いよ。

  君が思ってる以上に、『今村由香』の名前は大きいんだ。

  ダサいって思われたら、ブランドイメージに傷がつく。」

 

 まぁ、分かる。この時代、「ダサい」は、ほぼ「死」と同義だ。

 フェアウェイ解散騒動の内幕を見れば分かるように。

 それ対策で一応は全編英語の訳詞をくっつけてあるわけだが。


 とはいえ、この発想の元ネタは、

 某末期のピーなアイドルの手法を取り入れているだけだから、

 今世のいま時点の発想的には、そう思われるのは自然なことだ。

 さすがに韓流アイドルのような真似はさせられないし、狙ってもいない。


 それにしても、「あの今村由香」が、

 レコード会社の戦略対象扱いとなっているとは。

 意に沿わぬアイドルもどきで弄ばれたあげく、 

 見捨てられてた前世を考えると、感慨深いなんてもんじゃないな。


 「まぁちょっとこっちで考えるけど、

  早川さんに説明して貰うかもしれないよ?」

 

 うげっ。


 「で、どうしても、クレジットには入れないわけ?」

 

 入れるわけないでしょう。

 俺は、なんっにもしてないんですから。

 ぜんぶ、怜那や、みなさんの詩ですし、曲です。


 「君のアイデアで形になったものが相当あるんだけれどもねぇ…」


 俺のアイデアなんて欠片もありません。

 ただの隠微な役得です。隠れファン冥利に尽きる悪戯の爪痕です。

 パイド系をそうだとわかるように二曲押し込めただけで十分です。

 北米の某猫好き娘の曲の元ネタもちゃっかり押し込めましたし。うへへへ。


 ……前世の他人のヒット曲を勝手に持ってくることだけはやらなかった。

 それだけは誓って言える。製作者に恨まれて殺されかねないし。


 「ほんと、そういうところは強情だよね。

  じゃあせめて、ライナーノーツに一行だけは入れるけど、

  それは、断らないよね?」


 ……さすが聖氏。交渉が上手い。

 最初から落とし所はここだったと見える。


 「でしたら、せめて、oreでお願いします。」


 明智平ロープウェイのように。

 せめてこのくらいは、刻んでおいても良いんじゃないか。


 「おーあーるいー? 何の略だい?

  Orchestral Manoeuvres in the DarkでOMD、みたいなもんかい?」


 「俺」のことを。


*



 『Supervisor / ORE 』



 こ、こ、ごふ……っ……

 special thanksだとばかり思ってたのに…

 

 やばい、すっごい恥ずかしい。なんだこの浮き上がった一文は。

 うわぁ……もう刷り上がってるやつだし手がだせねぇ……


 俺が出入りしてたのはみんな分かってるんだから、

 ミニお師匠様みたいなオーディオマニアは絶対に突き止めるぞ…

 なにスカしてんのみたいな感じになる。絶対なる。

 やばい、このアルバム、後世に残らないで欲しい…


 「……やっと作れたね、一緒に。」


 佐和田怜那、某私立大学法学部二年生。

 光の只中を歩む19歳。

 少し長めの睫毛、キラキラと輝く悪戯猫のような瞳、異様に整ったスタイル。

 そして、心が沸き立つような、跳ね上がるような満面の笑み。

 

 手を差し出すと、待ち構えていたとばかり、少し強く握り返される。

 きゅっと体温が繋がる。身体が、心が、芯の内側から温まる。


 俺はずっと、今村由香の、「売れて無さ」を気にしていた。

 もうちょっと売れれば、死なずに済んだんじゃないかと。

 でも、大切なのは、物理的な生活基盤では、なかった。


 もちろんそれも大事だ。

 これからも、カラオケ版権はできる限り確実にモノにしていく。

 でも、大事なのは、心をかよわせることのほうだ。


 自殺を防ぐのは、物理的な生活基盤以上に、心の栄養のほうなんだ。

 そうだろう? 古河智也。


 「ほんとにありがとう。智也君。」


 俺の手を強く握りながら、ひとさじの憂いも無く、

 生きていることを全身で歓ぶかのように微笑む怜那。

 やわらかな木漏れ日を浴びながら輝いている姿が、ただただ、愛しい。


 まだ何も、終わってはいない。

 九州の実家の問題は、思っている以上に根が深そうだ。 

 ゴールの先にも、想像を絶するような冷たく深い河が、

 俺たちを容赦なく呑み込もうとするかもしれない。


 それでも。

 いや、だからこそ。


 「これからもよろしくっ、えへへ。」


 あぁ。

 こんどこそ、やってやるんだ。




   逆行してしまった俺たちは、

   『推し』の、自殺を、止める。




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