第30話


 万事快調。

 を除けばだが、嫌みでなく、アルバム製作は概ね順調だと思う。

 

 今世の今村由香の歌唱力は、全盛期を遙かに上回る完成度であり、

 低音域の難しい部分も危なげなくマイクに乗せる。

 

 作曲家達は、歌唱力やテクニックの高さ、引き出しの多さを把握した上で、

 怜那が作った原曲以上に難しいフレーズや

 洗練度が上がる代わりに、難易度が高くなる構成を挑戦的に押し込んできている。

 そして、今村由香が、それ以上の力を見せつけて返す。

 実力派若手アーティストの幸福な製作現場そのものである。


 『だいじなのは』の原曲の作詞者である某著名作詞家が、

 元世界の某2枚目のアルバムの詞を、今世の今村由香向けに、

 しかも、『だいじなのは』のメッセージまで踏まえてこう替えてきたかと

 誰にも分かりようのないネタでグフフと喜べるのは隠れファン冥利に尽きる。

 逆行してほんとによかった(え?)。


 ……お師匠様のあれは、ちょっと悪戯がすぎる気もするが。

 あのフレーズは、後世に某大御所演歌歌手に出したやつじゃないのか……?


 「ふぅー。休憩きゅうけーい!」


 髪を振り乱した怜那が、水(常温)を手に、

 上気した笑顔を振りまきながら近づいてくる。

 ゆったりした透け感のあるベージュのシフォンシャツがなんとも柔らかい。


 「凄いね、上手いなんてもんじゃない。痺れるよ。

  何度も言ってて申し訳ないけれど。」

 

 いつものようにボキャブラリーの少ない褒め言葉でただただ讃えると、

 怜那が、なぜか陰のある笑顔を見せた。


 「わたしね……、

  本当はちょっと、ほんのちょっとだけ、不安なことがあるの。」


 なに?

 

 「智也君、わたしが、歌を歌ってるから、

  わたしのこと、だいじにしてくれるのかな? って。

  わたしが、歌を歌わなかったら、

  歌えなくなったら、離れていっちゃうんじゃないかって。」


 そんな…。


 「そんなこと、ないよ。

  歌が歌えなくても、僕は必ず、怜那の傍にいる。


 「うん………。」

 

 

 「君のことを、今度こそ守るから。」



 ぇ?

 

 「……どうしたの、智也君?」


 「……あ、いや。

  だから、心配しないで?」

 

 「………うん。」



 ……『今度こそ?』

 どういう、ことだ……?


*


 そうだ。

 どうして、思いつかなかった?


 「…『誰に』似たんだか?」

 

 ヨネさんは、「俺」を、

 もとい、古河智也を明らかに知っている風だったじゃないか。


 そうでなければ、あのヨネさんが、

 いかな怜那が親しくしているクラスメートなどと言ってみたところで、

 夏休みに俺一人を呼び出して、あんな裏話をするだろうか?


 (交際関係のない男女を、

  同じ部屋に住まわせるほど私が非常識だと思ってたの?)

 

 ヨネさんは、おっとりとしていながら毒舌で

 手回しも異様に良くてやっかいきわまりない御方だが、

 こと、男女関係には古風なまでに常識的だ。

 となると、あの夏の日に俺を呼んだのは、

 頭のネジが飛んでいたがゆえの奇矯とは考えにくい。


 それに、俺がノコノコついていく、

 というのも、よく考えれば妙な話なのだ。

 どうして、俺はあの時、一クラスメートの母親しかいない家に、

 訪れたんだ?

 

 そう考えてしまうなら。

 

 (貴方の親とも、話はついてるのよ?)


 これも、おかしくはないか? 

 あのヨネさんが、他人の知らない親に対して、

 やけにすっぱりとした言い方をしていた。

 面識がなければ「親御さん」というはずではないか?


 つまり、ヨネさんは、「古河智也の親」と、既に、面識があったのだ。

 それも、他人同士ではない関係で。


 知らなければならない。

 古河智也のことを。


 そして。

 知るべき時が来たのだろう。

 「俺」が、ここに「いる」わけを。


*


 つってもですね。

 

 (家、売られちゃってるんだよなぁ……)

 

 「俺」の手回り品以外の家財道具は、それはそれは鮮やかに処分されている。

 手がかりの根源が、見事なまでに消去されてしまっている。

 

 消去、されてしまっている、か。

 ……さては、あれもわざとだったのか?

 

 困ったな。調べようとした刹那に、

 手がかりがすべて途絶えてしまったことに気づくとは。


 どうしようかなぁ……。

 

 小学校のアルバムでも探そうと思ったが、

 奇妙なくらい、中学校より前の記憶が、ない。

 それ以前に、「俺」があの家にいた記憶さえも、もはや朧気だ。

 ……これも、奴のしわざなのか?

 

 ただ、断片的な情報は浮かんでいる。

 詳細はまったく分からないが、

 突破口に向けたベクトルは、朧気に、つかめている、とおもう。

 それならば、はっきりいって、ほうが早い。

 

 とすると、詰められそうな候補は、まずは、ヨネさんだろう。

 ただ、これは最後の手段っぽい。

 そんなことをうかつに聞こうものなら、絶対に悪し様に罵られそうだ。

 答えてくれる可能性はゼロに限りなく近い。

 だいたい、ヨネさんが俺なんかに大人しく詰められてくれる人だったら、

 レコード会社をきりきり舞いさせるような真似ができるわけがない。


 となると。


*


 すっかり作詞コーナーと課したスタジオの一角。

 いつもの時間、いつもの空気。


 合っているはずだ。

 おそらくは、いや、そうとしか考えられない。


 「ねぇ、怜那。」


 緊張する。いままでになく、手が震える。


 「なぁに?」


 吐く息が、乾く。

 舌が丸まってしまうような、怯えに似た感覚。

 俺はうまく、声を出せるだろうか。




  「奥様と、の親は、血が、繋がってたりする?」




 「……智也君、なに、言ってるの?」

 

 「いいから。」

 

 「え、ぇぇ…? う、うん。

  智也君のお母様は、家のお母様の従姉妹。だよ、ね?」


 !?


 や、やっぱりそうだっ………!?!?

 

 !!?

 ぐぉぅっぁぇ!?!?


 「と、と、ともやくんっ!!!!」


 あ、頭ぁぁあがっ!!!!

 おぶをぁぇぅあぇぉごが

 うがぁごぐぇあふhぇぇっtね

 

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