大学二年生編(完結編:セカンドアルバム発売まで)

第29話



 1987年、2月下旬。

 混乱を極めた学期末試験狂騒曲もなんとか峠を越えた頃。


 「うん、いいんじゃない?」


 聖氏(……)の一言で、

 セカンドアルバム製作の方向性は承認された。


 怜那の作りためた、そして、いま、作っている楽曲を、

 職業作曲家、職業作詞家と協同で、磨き上げていく。

 

 少なくとも、いまの怜那は、職業作曲家でも、職業作詞家でもない。

 スキルとテクニックは、彼らのほうが圧倒的に優れている。


 でも、彼らにも、いまの怜那は描けない。

 「いまの今村由香」を描けるのは、怜那だけだ。


 ならば、一緒にやればいい。

 怜那のスキルを、テクニックを磨きながら、

 「怜那の音楽」「怜那の言葉」のまま、できうる限り洗練していけばいい。

 幸い、製作予算は、あの潤沢だったデビューアルバムよりも多いのだから。


 アイドルが衰亡した後、バンドブームのプレイヤー達は、

 自分達の曲で、自分達の歌詞を、熱烈に歌った。

 それがあの時代固有の熱狂を呼んだことは間違いが無い。


 ただ、バブル期の熱狂が去れば、

 冷酷なまでにひややかな世界が待ち構えている。

 夢の失われた世界で、臍を噛みながら頂きを見上げている人々にも

 手元に置いて貰える曲でないと、版権収入が入ってこない。

 

 大事なのは、普遍性だ。

 1987年に歌われました、ではなく、

 2020年に住んでいる人の心にも響くような曲と、歌詞でなければ、

 リバイバルヒットもないし、spotifyで再生して貰えない。


 作曲家も、作詞家も、気難しい、プライドの高い一国一城の主達だが、

 プロの職人であるからこそ、話題性もあり、

 版権収入もばっちりのwin-winモデルに乗ってくるだろう。


 それに、今村由香には、ゼロ距離感攻撃砲がある。

 あの森明日菜との冷戦を、ラジオ対談一発でほぼ終わらせてしまった

 脅威のボディタッチ/クリンチホールド攻撃を持っている。

 作曲家も、作詞家も、今村由香との協業は、十分に応じてくれるはずだ。


 同時代性と、普遍性。

 瑞々しさと、洗練性。

 ありのままの自分と、なりたい自分。

 その双方を狙う。


 それがガール・ポップとしてのコンセプトになりえるし、

 「いまの今村由香」ならば、それを十分に狙えるはずだ。




 『って、智也君が言ってました。』




 三時間もかけて吹き込んだものが、

 たったひとことで台無しに……。


 「彼女のスカートの中に隠れるんじゃねえよ馬鹿。

  企画した以上は、責任を取れ。」


 ……そう言われると思ってたから、

 必死で怜那にレクをしたのに……。

 パワポのない時代で喚起力のあるレクは難しいんだよっ。


 「どうせお前、暇なんだろ?」

 

 ……ぐさっっ。

 単位、全部取っちゃったからね。

 必要のない講義を取るほど、大学に張り付いている理由もない。


 「……僕は、なにもしませんからね。」

 

 「馬鹿。お前はそこにいるだけでいいんだ。

  頼むぞ、怜那のご機嫌取り。」


 ……まぁ、たしかに……。


*


 詩作の種のひとつひとつを、怜那に訊ね続ける日々。

 その時の怜那の心情を、心が動いた瞬間を、

 感情の繊細な揺らぎを、恋愛センサーがキャッチしたシグナルを。


 『こんなはずはなかった

  あの人にときめくなんて

  許せない、心が止まれない』

 

 「これね? 

  これはもう、みどりちゃんとチャー君だよ。」

 

 は?

 みどりちゃんって、あのみどりちゃん?

 剣道部でアキレス腱切った「ぱっつんみどり」ちゃん?

 

 「そーだよぉ。

  そりゃあもう最初はね? 天敵みたいなもんだったんだけど。」

 

 竹下みどりちゃんは、文化祭の怜那のライブに感動して、

 ポプ研に殴り込んで来た、潔いボブカットの下級生だ。

 出自通り、ハキハキ、サバサバした子で、楽器もできたから、

 ぼそぼそとチャートをムッツリ暗記してる茶谷君と合うわけがなかった。


 ちなみに、茶谷君は、怜那のAMラジオに出演し(させられ)て、

 ビルボードの翌週のトップ20を予言し、翌週、完璧に当たってしまい、

 怜那のラジオでは、「チャー先生」として、ちょっとした時の人になっている。

 英語の字幕スーパーを入れれば動画で1万回くらいは廻りそうなネタだ。

 

 「いまはもうすっかりラブラブだよっ!

  みどりちゃんを部長に指名したのチャー君だしね。えへへ。」


 「ええ……

  そんな関係になってるの? あの二人が? ほんとに?」

 

 「そーだよぉ。

  智也君、ほんとにまわり見てないんだねぇ。」

 

 ぐさっ!


*


 こ、これは……?

 前世の2枚目のアルバムの、あの歌詞そのものじゃないか…

 ど、どうして?


 「あ、これはねぇ……、高3の時だよ。うん。

  その、クラス、別だったでしょ? ポプ研しか一緒じゃなくて。」


 そうだった。

 俺は忙しすぎて記憶が飛んでいる時期だが。

 

 「あー、なんかすっごい恥ずかしい。顔から火が出てくる。

  で、でもね、今だから言えるんだけど、

  これはね、縄張りを荒らすな! 

  って、猫がフシャーって毛を逆立ててる感じ。」

 

 は?

 

 「あー、その顔は分かってないね?

  智也君、密かに人気あったんだよ。」


 ……ぇぇ?

 

 「智也君のクラスで、狙ってる子がいたんだよ。もう心配で心配で。

  ……その顔、『嘘だ』って書いてあるな?」

 

 ありえない。絶対にありえない。

 大学で、かけうどんを一人で食ってる寂しい俺だぞ?


 「あのさぁー。もうー。

  智也君って、ほんと、どうしようもない鈍感だね。

  お母さんが言ってた通りだよ。」

 

 ぐさっ!!!


*


 どんなに気恥ずかしくても、どんなにのたうちまわっても。

 毎日、お互いが赤面して、そして、顔を見合わせて笑って。

 寂しさは埋めあって、哀しみは肩を寄せ合って、喜びは分かち合って。

 叫び出したくなるような、ただ、幸せな時間。


 そして。

 わかりやすすぎるくらい、

 情景を思い浮かべられてしまうものも、出てきてしまう。


 『毒沼に引きずり込まれても

  心を奪われなかった わたしを信じたい』


 ……これは、このままでは使えないなぁ。

 あまりにも直球すぎる。

 

 「……だいじょうぶ、智也君。

  ものすごく、嬉しかった。ありがとうね……っ。」


 涙を拭った怜那が、穏やかな顔を浮かべて手を握ってくる。


 ……よくはない。全然、まったく、微塵もよくはない。

 いまでも腸が煮えくり返ることがある。

 あの時の処分の手ぬるさは、思い出すたびに反吐が出る。

 

 でも、振り返ることができるくらいには、

 時が経った、ということなのだろう。


 中学3年の時、イメージチェンジを果たした怜那は、

 盛りのついた下司狼どもに集団で拉致された。

 距離感が近すぎた怜那に非がまったくないわけではないが

 人として、絶対に許していいことではない。

 

 「……ほんとに、もうだめだと思ってたの。

  あの時、智也君、すごく冷静だったよね。」


 そうね。びっくりするほど冷静だったよいろいろ。

 狂乱状態の篠塚女史の首根っこをひっ捕まえながら、

 生徒指導の教員を引き連れて、

 野球部の部室棟に乗り込んで…

 

 ……まて、よ?


 あの時、どうして「俺」は、あの無機質な部室棟の中から、

 野球部の場所を一発で見抜いたんだ?

 どれもこれも、ほとんど同じようにしか見えないのに。

 

 生徒指導の教員も、篠塚女史も、俺の後からやってきた。

 だから、「俺」が知っていたとしか考えられない。


 そもそも、どうして、

 野球部員が、犯人だと、「知って」いた?

 

 …どうして…?


 「? どうしたの、智也君?」

 

 「…あ、いや……。」


 い、いかんいかん。進めないと。

 お仕事、これはお仕事ですから。

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