第28話


「……塩を撒いて怒鳴ろうと思ってたけど。

 大変なんてもんじゃないわ。全部、貴方のせいよ? まったくもう。」


 正直な人だ、本当に。

 怜那の率直さは、やはり、この人からも来ている。


「でも貴方、だいぶん顔つきが変わったんじゃなくて?」


 ん?


「男の人の顔になってる。

 前はもう、見てられなかったけど。」

 

 ほ、褒められてるのか、けなされてるのか…。



「怜那を、貴方に任せていいのね?」



 本当に直球だなぁ…。

 でも、この人は、こういう人だ。

 

「はい。」


「……ふふ。

 まぁ、私の先にはお父様がいますけれどね。」

 

「……はい。」


「大丈夫よ。

 お父様、テレビなんてご覧にならないから。きっと知らないわ。」

 

 あれを知られていたらもう命がないと思います…。


「正式な婚約はできないけれど、

 指輪だけでも贈っておくのね。

 男の人って、気にしない人もいるけど、そういうのって、大事なのよ?」


 あ。

 ……ぇぇっと、

 俺、金が、ないんじゃないかな……。


*


 1986年、12月27日。

 

 「いやー、ほんとにいろいろあったねぇ…。」

 

 この二週間、今村由香に対しては、毀誉褒貶が殺到した。

 前世の俺が、ファンになる前なら、貶すほうだったんじゃないかと思う。

 一番おかしかったのは、

 

 『現代のジャンヌ・ダルク?

  ウーマンリブの担い手か?』


 そんなこと、ひとっつも考えてない。

 はっきりいって、この曲のターゲットは、徹頭徹尾、「俺」なんだから。

 村上○樹を翻案した曲でも送りつけてやろうか。


 まぁ、そう考えてしまうのも0.01%くらいはわからなくもないが。

 すっかり機嫌を直したマネージャーさんによれば、

 某音楽番組収録時での今村由香への当たりは、ことさらにきつかったという。


 あの時点の今村由香は、音楽番組のディレクターや、

 アイドル事務所の関係者、当の出演者の一部から相当な嫉妬を買っていたらしい。

 名物女性司会者が不在であり、男性司会者の単独進行であったことも、

 今村由香への「あたりのきつさ」を当然視する空気を作ってしまっていた。

 その後の『わたしを見て』爆弾と『だいじなのは』発売コンボで

 完全に足を掬われた格好になったのであるが。


 「俺」からすれば、最初から出演時に物議を醸すような演出を仕掛け、

 『だいじなのは』の発売までをワンセットで組んでいたのだから、

 想定以上の効果へと増幅してくれただけなのだが、

 外野からは、そんな事情は知るよしもない。


 一番驚いたのは、某ベストテンの10位に入ったことだ。

 有線で6位、ラジオで4位に入ったため、

 最大母数のレコード売上が小さくても、ランクインしてしまったのである。


 この時代のラジオDJ達には、忖度という言葉はなかったようだ。

 面白がって、あるいは賛同してくれているのか、

 ヘビーローテーションがない時代なのに、ラジオから相当掛かっている。

 漏れ聞いた限りでは、ハガキも、

 組織票のアイドルを押しのけるように相当入っていたようだ。

 後追いのように、レコード会社には追加増産の要望が殺到している。


 いまや、今村由香をテレビに出さないのは局側の排除じゃないか、

 という陰謀論が、まことしやかに駆け巡っている。

 絶対に出るわけがない。針の筵になるだけじゃないか。

 むしろ、出ないで済む理由を作ってくれてありがたい限りだ。


 騒がしい世界は、マンションにも、奥様の家にも暴力的に押し寄せている。

 こういう形で、ホテル住まいになるとは思いもしなかった。

 マネージャーさんが、引っ越し先を極秘に選定している。

 あの思い出のマンションは本当に引っ越さないとダメらしい。


 それでも、隣にいる怜那は、はち切れんばかりに楽しそうで。

 シリアスな逃避行のように錯覚していた自分が笑えてしまう。


 「怜那。」

 

 「なぁに?」

 

 呼びかければ返事が来る。

 当たり前のようで、無上の贅沢だ。


 「本当にありがとう、歌ってくれて。」


 前世、俺は、あの曲に、あの歌詞に、あの声に救われた。

 仕事に、人生に絶望して、自殺を考えているくらい落ち込んでいた時、

 幼心に好きだった今村由香の、初めて見る「動く姿」に、目を奪われた。

 雨に打たれながら、濡れた瞳を振り払い、叫ぶように熱唱していた、

 あの姿に、あの歌唱に、俺の心の何かは、溶けるように消え去った。


 俺を奮い立たせたあの曲のコアのメッセージは変えてしまったけれど、

 あの歌のパワーは、何一つ変わっていない。それどころか、

 

 「あの歌を、こんなにも力強く、こんなにも大きく、温かく歌ってくれて。

  ありがとう。ありがとう怜那。」


 怜那の緩い涙腺がぶわりと滲む。

 

 「お礼は……、わたしの、ほう……よぉ……」

 

 今世でも、佐和田怜那は、感動屋さんで、泣き虫だ。

 違うのは、ステージを見上げているわけでも、

 動画で見ているわけでもないことだけ。

 俺の腕が、温かなぬくもりで濡れていく。

 

 今世の俺のストックと、アドバンテージは、もう、尽きている。

 この次、どうなるか、何をやるべきかは、まったく分からない。

 

 ただ、俺は。

 この腕を、この身体を、この心を、絶対に離したくない。


 秘密厳守だけが取り柄の、ただの無機質なビジネスホテル。

 場違いだとは、分かっていても。


 俺は、泣き崩れる怜那のやわらかな髪をできるだけ優しく撫でながら、

 少しだけ、思い出し笑いをしてしまった。


*


 3日前。


 「クリスマスだからな。」

  

 なんですか、これは……

 っ!?!?

 さ、さ、札束ぁっ!?


 「ど、どういうことですか…?!」


 「お前、あの曲、クレジットひとつも入れなかったろうが。」


 と、当然でしょう? 

 俺のオリジナルなんて一つもないんだから。


 「あそこまでお前のアイデア通りに作ったものを、

  俺のオリジナルだと言い張るつもりはねぇよ。

  その金で、買い取ってやる。ありがたく受け取れ。」


 い、いや、もともと貴方の曲なんですけれどもね…?


 「あのなぁ……、

  お前、奥様から聞いてるぞ?」


 え? 


 「告白、するんだろう?」


 !


*

 

 白磁のように輝くリングケースは、

 俺には、まったく不釣り合いなものだ。


 怜那が、息を吞む音が、やけにはっきり聞こえる。

 俺だって、テンパってる。


 金も、モノも、俺が買ったものではない。

 そもそも、俺はまだ、怜那に何もできていない。

 順番、逆じゃないか。


 でも。

 この、気持ちだけは。


 「まだ、結婚はできない。

  でも、僕の気持ちだけは、知っておいて欲しい。


  愛してる、怜那。

  すごく、愛してる。

  ずっと、ずっと愛してる。」


 締まらなかった不器用な言葉なのに、

 必死に止めていたダムが崩壊し、涙がとめどもなく溢れてくる。

 折角選んだ指輪が、まったく見えなくなるくらいに。


 「やっと……、

  やっと、言って、くれた……ぁっ。

  わたしも……わたしの……っ……」


 崩れ落ちるように俺の腕に凭れ掛かり、慟哭する怜那の背中を優しく擦る。

 …明日のレコーディングは、中止になるだろうな。

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