第27話


 1986年、12月1日。

 

 この週の日曜日に、発売される新曲が、

 一番早くお披露目になったのは、FM神奈川。

 AMではなく、音響の良いFMスタジオを選んだのも、理由がある。


 「えー。こんばんは、今村由香です。

  いろいろお騒がせしております。


  いやー、わたしもねー、

  こんなに、騒がれるなんて思ってなかったんですよ?

  ほんっとに。それだけみなさまにお気に止めて頂いたということで、

  ありがたい限りです。ね?

  

  と、いうわけでね、先々週からみなさまに告知致しておりました通り、

  12月6日に、なんと、新曲がね? 発売されます。

  ということで、番組ドアタマから、スタジオ生ライブでお披露目致します。


  これはね? 結構、苦労したんです。いろいろ難航しました。

  それだけに、いいものになったんじゃないかな?

  と思っています。わたしにとっては、とっても思い出深い曲です。

  みなさまの心に届きますように。では、聴いて下さい。」


 あの鮮烈なイントロがスタジオを揺らす。

 シンコペーションが躍動するピアノソロを聴きながら、

 息を吸い込んだ今村由香が、あの歌を、あの雨の中のように、

 迷いなく輝く瞳で、力強く歌い始める。


 1番の歌詞は、途中まではほとんど同じになった。

 サビの冒頭も、そのまま採用している。あの譜割りはマネできない。

 人目を気にせず、堂々と自分の人生を生きたい希望を歌いあげる。

 ただ、新しく加わった「何をぶつけられても」や「誰に触れられても」は、

 ラジオリスナーには特定の事件が浮かぶような構成になっている。

 

 2番は、ほぼ全面的に再編している。

 メッセージソングとしては不要な恋の部分は完全に削除し、

 最愛の父を喪い、拠所だった音楽を踏みにじられた怜那の、

 闇の沼の中に取り残され、淀みの奥底に音もなく沈んでいく

 「涙さえうかばない ひとりぼっち」の日々を掘り下げている。

 これこそが前世の今村由香の真骨頂であり、

 情けないくらいに、「俺」の姿でもある。


 その上で、おそるおそる「手を伸ばし」「心つなげで」

 「ひとりぼっち」を乗り越えていこうとする姿を打ち出す。

 俺の中の今村由香を、そして、佐和田怜那の運命を超えるために。


 心の中で微笑んでくれる父のこと、父を喪っても見守ってくれる母のこと、

 逆境を共有してくれるラジオリスナーやスタッフのこと、

 導いてくれた先達のこと、音楽で繋がったポプ研の仲間達のこと、そして。


 

 『大事なのは、大切な、人と笑顔でいること

  顔あげて、わたしはいま歌う』



 そのために、手を取り合って生き抜く。

 そのために、押し付けられてくる不条理と戦う。



 『昨日より、いまのわたしが好きだと

  胸張って、わらっているために』



 これは、ロックだ。

 明快で、普遍的な、人生の応援歌だ。



 力強いピアノモチーフをバックに、上方で令名を馳せたギタリストが、

 スタジオをはみ出さんばかりの激しいアドリブソロを鳴かせる。

 マイクを持ったまま、笑いながら泣いている怜那の上気した横顔が、

 俺の心を抉りながら揺さぶってくる。


 悔しさも、寂しさも、恥ずかしさも、嬉しさも、そして、歓びも。

 俺は、全身を覆い尽くすような感情の激流に揺られ続けていた。

 いつのまにか溢れ出ていた涙は、拭っても、拭っても、止まらなかった。


*


 1986年、12月中旬。

 

 『だいじなのは』


 まさかこのタイトルに落ち着くとは…。

 某兄弟バンドか、某フェアウェイのリードシンガーみたいになってるが、

 他にないのも確かである。

 

 ともあれ、同曲は初動、2万枚を完売。

 シングルチャートでは14位にランクインした。

 

 「どうしてもっと刷らせないの?

  絶対に初動だけで10万枚はいけたのに。」

 「ノンタイアップでそんなわけないでしょう。」


 正直、2万枚が売り切れたことすら信じがたい。

 今世の今村由香を俺が舐めていたということだろうか。


 前世の感覚が抜けない俺は、基本、ビビリになってしまう。

 晩年の売れ残ったCDが100円で

 山になったワゴンで叩き売られていたトラウマもあるし。


 「それに、あちらとは直接戦争はしたくありませんからね。」


 チャート番組への露出を狙う必要はない。

 カラオケ版権を考えるだけなら、これでも十分過ぎる。

 なにしろ、前世の最高は23位なんだから。


 それに、シングルを売るより、

 アルバムやマニア向けのDVDを売ったほうが利幅もある。


 できるなら、史実通り、野音でこの曲を響かせたい。

 そしてファンで合唱している姿をDVDに撮らせて、

 その場にいたことを無意味に自慢させたい。


 「有線凄いですよっ! 週間8位です!」

 

 おおーっ!

 まったく考えてなかった。そういうメディアもあるんだった。

 許諾権はそんなに大きくなくていい。

 後世、カラオケで歌われればいいんだから、そっちのほうがいいかもしれない。

 21世紀にこんな熱い歌を歌ってくれるか不安になるが、

 徹夜カラオケで3時くらいになったら、お鉢が回ってくるんじゃなかろうか。


 暫くは騒がしいことになる。

 事情を知っている内部の関係者からは、自作自演の謗りは免れないだろう。

 間違いなく、あの局は出禁になるはずだ。

 

 ただ、背景の事実関係が、関係者からぼかして語られていくたびに、

 ファンの中では、物語が作られていく。

 そして、ファン達は、自発的に、自らの神を守る。

 俺がまさにそうであったように。

 

 この歌の物語は、それでいいはずだから。

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