第26話


 1986年、11月1日。


 この詩だけは、今村由香に書いて貰う必要があった。

 はっきり言う。カラオケ版権の都合である。

 

 この曲は、シングルで、売れる。

 知られてさえいれば、たとえその年で売れなくても、

 使われてリバイバルで売れてしまうパワーすら秘めている。

 多重コーラスで名高い河上達仁の寂しいクリスマス曲のようなものだ。


 売れる曲を、外部の作詞家に書かせてしまえば、

 版権収入は全然入ってこない。

 俺の目標は、今村由香の自殺を止めることであり、

 生活基盤の安定は欠かせない。

 

 前世での職業作詞家の歌詞は、凄く良いものだった。

 対比、対句を縦横に張り巡らせる洗練された構成と、

 目標を適切に捉えた、シンプルに選び抜かれた言葉が光る、優れた歌詞だった。

 

 ただ、当時の今村由香の状況を俯瞰して外から見たもので、

 怜那の「内の声」ではなかった。

 だから、メッセージソングなのに、ぎりぎりのところで、

 偽物っぽい雰囲気になってしまうところがあった。


 この詩は、この楽曲だけは、

 ポプ研の総力(締まらない……)を結集して出す。

 

 そして。

 

 「……できたね、智也君。」

  

 それは、形になった。


 この歌詞を作る時だけは、

 怜那に、徹底的にダメ出しをした。

 

 どの言葉が甘いのか、どの言葉が響かないのか、

 どの言葉が音が乗らないのか、

 どの言葉が由香にとって歌いづらいのか、

 どの言葉なら、砂漠に堕ちた人の心を掴めるか。

 (前世にネット上で見た)知る限りの知識で。

 

 レコーディングした時には、また違った課題が出るだろうが、

 いま、詰められるものは、すべて詰めた。

 原曲より、洗練性やテクニックを著しく欠いた、

 だいぶ歪な構成にはなったけれども、

 前世の俺なら裸足で逃げ出すだろう、

 気恥ずかしいほどの「怜那の言葉」を込めた歌が。


 怜那には、辛い想いをさせてしまった。

 でも、これ限りだ。クリエイターじゃない俺はもう、こんな僭越


 

 「……寂しいなぁ。」

 

 ?

 

 「初めてだから。

  智也君と一緒に作ったの。」

 

 !


 また、だ。

 俺はまた、気づいてなかったんだ。


 何もできない、何もしてはいけない、

 何も触れないほうがいいと思っていた。

 それが、怜那を、こんな顔にさせてしまっていただなんて。


 と、同時に。

 …なんて、嫌な奴なんだ、俺は。

 見つけてしまった。この歌詞を、効果的に世に出す術を。


 自殺を止めるために。

 安心できる老後のために。


 「怜那。

  本当に申し訳ないけれど、見えている地雷を踏んでもらうね。」

 

 すまんな、石澤氏よ。

 ここまで来たら、藁人形になってもらう。


*


 1986年、11月中旬。


 「あれはいったい、どういうつもりですかっ!?」

 

 マネージャーさんがまだ怒ってる。

 それでいい。怜那のために、

 俺に怒ってくれる人がいて本当にありがたい。


 奥様からのお呼び立ても、全部無視していた。

 いまは、ご説明ができない。

 正直怖い。そのうち黒服が来て拉致ってくるんじゃないのか。


 石澤氏の「置き土産」では、最大級の事案。

 某ベストテンと並び称された、某大物音楽番組の生収録。

 今村由香の、メジャーでは初の地上波音楽番組への出演となる。

 

 当日、ほぼ全ての茶番演出と、

 男性司会者とのセクハラなやりとりに笑顔のまま全て乗らせた上で、

 当てつけるようにぶちかました。

 

 『わたしを見て』


 副調整室は激怒しただろう。

 リハーサルの衣装では、分からなかったのだ。


 本来は可愛さに解消できるはずの曲なのに、

 歌い方、仕草、振り付けの角度をちょっとずつ変えるだけで、

 そのあざとさが、その厭らしさが数倍に増える。


 


 「……あれは、君かい?」

 「まさか。大西さんですよ。」


 当日、大西健晴はノリノリでコリオグラフィーを指揮していた。

 はっきりいってよくできている。前世と違い完成度の高い地雷だ。

 ご丁寧にお尻の振り方の細かい角度まで替えていて、

 今村由香のスタイルの異様な良さを無駄に再発見してしまうくらいに。

 よくここまでやったものだと笑えてきてしまったじゃないか。

 お師匠様は、あの局を出禁になってしまうだろうな。

 後世あそこで深夜番組の司会をやるはずなんだが。

 

 当然、ドラマ枠から支持していた女性ファンは

 潮が引いたように去っていく。


 一方、今村由香の言動を信頼していたラジオファンからは、

 抗議と心配の声が殺到したが、聴取率自体は維持されていた。

 それどころか、騒動から聞きはじめたにわかリスナーが、

 今村由香の話芸に取り込まれる形となり、

 遂に、聴取率は同時間帯1位を叩き出した。

 

 今村由香は、この騒動を楽しんでいる風を見せつつ、

 飄々とラジオ局を廻り、12月上旬の新曲リリースを告知していった。

 

 すべて、計算通りだった。

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