第24話


 相変わらず、今村由香へのテレビ出演への要望は強い。

 石澤氏が異動前に早川副社長をかいくぐるように受けてしまったものもあるが、

 マネージャーさんが聖ミカエル氏をし、

 できる限り差し戻させているらしい。


 テレビへの出演こそないものの、あるいは、そうであるがゆえに、

 今村由香のメディア戦略は、ラジオ、雑誌媒体を中心にこまめに進められている。

 俺が要望したのは、大学生活に支障を来さないこと、

 ライブ数を絞ること、7時間睡眠を厳守することくらいだ。


 前世の今村由香は、(たぶん石澤氏に)こき使われた結果、

 深夜のラジオから、朝の(誰も見ていない)テレビのスポット出演のような

 効果の乏しい強行日程が日常茶飯事だった。

 引っかかるコンテンツもなく露出だけを強行しても意味はないのに、だ。

 ある時期のアルバムの曲がやたらと夜明け前が多いのは、

 睡眠時間が極端に少なかったせいもあるという。本当に地獄絵図だったろう。


 そう考えれば、前世よりは、

 今村由香の生活環境は好転しているというべきなのだろう。


 俺の環境はといえば、

 どうみても、悪くなっている。

  

 コシも旨味もない、安いだけが取り柄のうどん。

 一人で啜っていると、なんだか泣けてくる。


 大学は、俺にとっては、荒涼たる砂漠のようなところになっている。

 学食でも、いつも、一人だけ。

 間違いなく、前世よりもぼっちだと思う。

 逆行したらいいことがある、なんて、ただの嘘だ。


 寂しい。

 どうにも、寂しい。


 一度、懐かしめるかと思って、当時のゲームに手を出してみた。

 ……いろんな意味で、あまりにも虚しかった。

 描画にあれほど時間がかかるドット絵とBEEP音を楽しめるほど

 俺はゲームにストイックではなかったらしい。

 怜那にバレなかったのがせめてもの救いだろうが。

 

 神の使徒としては、このような犠牲は甘んじて受けるべきものだ。

 神の栄光を広めるために、俺が犠牲になるならば、本望であるべきだ。


 それは分かってる。でも、時折、どうしようもなく泣けてくる。

 呼吸が止まる、嘔吐きたくなる苦しさと、掻きむしられるような胸の奥の痛み。

 俺は、何のために「ここ」にいるのだろう。


 ……やっとここまで来たと思ったのに、また、すべてを失うのか。

 また怜那は、あの男達に、無残に棄てられるのか。

 あの地獄から、逃れる術はないのか。あれが怜那の運命だとでも言うのか。


 ……ぇ?

 

 「……本当に、お一人なんですね。」

 

 ……ぁ。

 貴方は……、

 

 「マネージャーさん?

  どうして、こんなところに? 怜那は?」


 「由香さんは初ライブの準備で、移動はありませんから。

  由香さんのアテンドはディレクターが。」

 

 先回りして俺の懸念に答えるあたり、この人も優秀である。

 優秀な人に囲まれているようでなによりだ。


 「なるほど。で、どうしてこんなところに?」

 

 「井伏さんが、見てこいって。

  あいつ、死ぬんじゃないかって顔してたぞって。」

 

 ぅっ。

 み、見られちゃってる…。

 な、なんか凄い恥ずかしい…。

 

 「由香さんも、気にしちゃって。

  練習に、熱が入ってないみたいで。」

 

 ぅぁ。

 そ、それは…。


 「彼氏さんがそんな顔してると、彼女は不安になりますよ。

  ちゃんとして貰わないと。」


 彼氏さん、ね……。


 「あぁ、井伏さんがおっしゃってましたよ?

  『奥様にチクるぞ』って。なんのことですか?」


 ぶがごっ!?!?

 は、鼻にうどんが詰まったっ!


 「ゲホっ、ゲホゲホっ!」


 「ど、どうされました??

  だ、大丈夫ですか?!」


 「い、いえ、なんでもありません。

  別段ご心配には及びません。心配して頂くことなどなにもありません。

  どうぞご安心を。」


 「は、はぁ…。」


*


 あ、あれ?


 「お、おかえり……。」


 な、なんでいるの?

 まだ、ステージの練習終わってない筈なのに。

 

 「『使い物になんない』って言われて

  送り返されちゃったの。

  新しく入ったサックスのスタッフさんになんて、

  白い眼で見られちゃった。……えへへ。」

 

 !?



 (……ほんと、に?)



 お、同じだ。

 あの時と、同じ瞳をしてる。

 所在なげな、消え入りそうに震える瞳を。

 ……どうし、て……


 いや。

 

 (『奥様にチクるぞ』)

 

 ……バカだな、俺は。

 

 将来、どうなるかはまったく、分からない。

 史実通り、鮮やかに寝取られるかもしれない。

 でも、今の怜那の前にいる男は、俺じゃないか。


 「ただいま、怜那。」

 

 目に涙を溜めたままの怜那を、できる限り優しく、抱きとめる。


 「ぁ………っ。」


 あっという間に、溢れだした涙が、

 部屋の光を反射して、きらきらと頬を伝っていく。

 

 情けなくて、哀しくて、嬉しくて、優しくて、温かくて。

 前世では味わったことのない感情がぐちゃぐちゃに押し寄せてくる。

 腕の中の震えるような温もりが、ただ、たまらなく愛しい。


 「ともや、くん……っ…」


 涙を必死でせき止め、鼻をすすりながら、

 怜那が、所在なさげな、消え入りそうな震えるような瞳のまま、見上げてくる。


 寂寥感と儚さに、思わず、息を呑んだ時。



 「……どうして、いつも、おいてこうと、する…の……っ」



 頭が、ぐわんと揺れた。



 「ぉいてかなぃ……でよ……っ!」



 爆発と呼ぶには、あまりによるべなく。

 叫びと呼ぶには、あまりに小さな声の穂先が、俺の胸を鋭く刺し貫く。

 怜那が、俺の袖を引っ張りながら、慟哭し続けている。

 あの、声が、俺の宝が、潰れてしまう。

 そう、させたのは、誰でも無い、「俺」だ。


 怜那が、いつ、俺を、裏切った?

 怜那が、いつ、俺を、捨てた?


 裏切るかも、捨てるかも

 先回りばかりして、距離を置こうとして、勝手に苦しんでいるのは、

 いつも、俺のほうじゃないか。


 醜い俺の姿を見られないように、

 将来の俺が傷つかないように、

 ミュージシャンに寝取られても笑って送り出せるようにと張っていた予防線が、

 を、ずっと、ずっと、ずっと傷つけていたんだとしたら。


 ……最低だ。

 隠れファンとしてじゃない。人として、屑すぎる。


 「……怜那。」


 呼びかけた声に、しゃくりあげながら、

 腫らした瞳で、怯えるように見上げてくる怜那。


 (……その……)


 ああ、そうだ。

 そうだよ、この大バカ野郎が………っ!


 父を喪い、声を、音楽を傷つけられ、

 馬鹿共に身体まで奪われそうになった怜那を、

 俺が、壊しちまって、どうすんだよっっ!!


 「……僕は、どこにも、行かない。」


 「……ほん、と……に…?」


 泣き腫らしてしまった掠れ声。

 罪の意識が、刃のように俺の胸を抉る。


 「ああ。本当だ。」


 そうだ。


 「僕は、ずっと、ずっと、怜那の傍にいる。」


 君に、そんな顔は、させない。


 「いつまでも、どんな時でも。」


 堰を切って溢れだした涙と温もりが、

 俺の罪を洗い流してしまいそうで、怖くなった。

 俺は、いままで、ファンとして、

 いや、人として、許されざることを、していたんだ。


 どんなに傷ついても。俺のすべてが、壊れたとしてさえも。

 俺は、もう、絶対に、怯えない。

 誰からも、俺自身にも。


 たとえ、怜那が俺を棄てて他の男に走ることがあったとしても、

 怜那が俺に幻滅し、俺を罵り、踏みにじる時が来たとしても、

 怜那にそれを告げられるその瞬間まで。


 俺は、佐和田怜那から、絶対に、離れない。

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