第23話



 (はぁ……)


 石澤氏は、今村由香のプロデューサーを外れた。

 史実に近い展開とは言えるだろう。


 しかし。

 早川副社長は、実にやっかいな人を送ってきた。

 

 現在は、大西健晴のカウンターパートのはずだ。

 既に一角獣をてなづけ(遊ばれ)てもいるだろう。

 後に、大手小町を化けさせ、ヒットメーカーの仲間入りをする。

 

 なんといっても、楽器ができる男前。

 彼自身、某著名フュージョンバンドに在籍した経験がある。

 聖ミカエルこと、富岡俊一氏。


 当然、今村由香は、ほぼ一瞬で聖ミカエル氏と距離を詰めた。

 一ファンとして、ただただきゃぴきゃぴしているだけなのだが。

 竹若直樹との伝説の暴走セッションを見ていたという聖ミカエル氏も、

 今村由香には甘そうだ。


 アーティストとディレクターがよき絆で結ばれている。

 それは、とても良いことの筈なのだが。


 なんだろう。

 心が、疎遠になった感じがする。

 

 正直、これなら、石澤氏のままで良かったかもしれない。

 

 いや、そんなことはないんだろう。

 はっちゃけている時はともかく、

 ノーマル状態の彼は、常識人で、礼儀正しく、弁えも良い人だ。

 「普通の人」の集まりだった大手小町に

 丁寧に寄り添っていたスタンスからもそれは分かる。


 今世、彼が今村由香につくのは、人選的には全く妥当なのだ。

 彼はほとんどディレクションに触らず、

 実務の一部だけを担うという話になっている。

 

 なってはいるが、今村由香と一緒にいる、ということは、

 こういうことがずっと続くということだ。


 そして。

 

 (……)

 

 ライブ用バックバンドの候補者を選任する資料。

 後に、今村由香の「彼氏」と推認される人物の名前が、

 滅入るほどはっきり、目に入ってくる。


 時系列的には二年早いが、

 いまの今村由香なら、問題は、何もない。


 こんな縁でなければ、ただ、好きな演者なだけ。

 俺も惚れてくれてしまうくらいの豪快さと、

 確かな技術に裏打ちされた繊細さを併せ持った、

 緻密で秀麗な旋律を奏でる、当代一流のプレイヤー。


 だけど。


 「若いが、実績もある。間違いなく腕は確かだ。

  入ってもらおうと思うが、どうだい?」


 丁寧な、仕事のできる人だ。

 聖ミカエル氏は、ライン上、何の権限もない

 付属物の「助言者」に過ぎない俺に、話を振ってくるのだ。


 そして、オペレーションに関するものに、

 俺が口を差しはさむ合理的な理由は一つもない。

 

 若すぎるんです。

 顔が、良すぎるんです。

 演奏が、上手すぎるんです。


 怜那が、惚れてしまうんです。


 理由に、なるわけがない。

 

 「サックスの本間俊一さんですね。

  申し分ないですね。華のある方だと聞いています。」


 今村由香が惚れ、棄てられたとされる人物の名を口に載せる。

 予想以上に、舌に苦い響きがあった。正直、泣きそうだ。


 「さすがに情報が早い。

  君は本当に不思議だねぇ。ほんと、頼もしいよ。」


 快活に笑う聖ミカエル氏。

 俺は、彼に、ちゃんと笑えていただろうか。

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