第18話


 

 「もう、貴方のせいで大変よ?

  お父様を口説こうとされる方まで現れて。」

 

 半分笑いながら白磁のティーカップに手を付けているところを見ると、

 向こう側の策略はとんだ藪蛇に終わったらしい。

 

 「お爺様はなんと?」

 

 「そりゃあ、あのお父様よ?

  『穢らわしいトーキーなんぞにうちの可愛い孫を出すか馬鹿奴がっ!』

  すっかりおかんむり。」

 

 予想通りというか、予想を上回るというか。

 首を振るヨネさんの態度からして嘘ではないらしい。

 いったいいつの時代で止まってるんだ。

 史実で今村由香がやらされていた事を考えると慄然とする。

 

 史実では、今村由香は父親のことしか書いていないが、

 デビュー以降は祖父とはどういう関係だったのだろうか。

 

 …ひょっとしたら、縁が切れていた(あるいは切った)のかもしれない。

 5通目の絵葉書には、祖父への不満が切実な筆致で綴られていた。

 もし、あの関係のままであれば、今村由香のアイドルもどきは、

 反発心からの行動だったかもしれない。

 

 しかし、いまは、祖父のテレビ嫌いは、

 我々にとっては最強のシェルターになっている。

 

 本来の先行シングル曲『気づかないで』は、

 高校の文化祭の時に聴いた通りの、いや、それ以上の出来だった。

 小村政美一流の、稠密で、幻想的ですらある華麗な編曲世界に負けない

 新生今村由香の、安定度の高い透明で可憐で温かなボーカルに、全俺が涙した。

 

 『瞳に恋して』は、キー局の中では最弱局の放送に過ぎないが、

 好きな人に好きを伝えられない、それゆえに関係が捻れていく

 大学生達の切ない恋心を描いた群像劇だから、

 河岸沿いに佇んで想い人を心に浮かべる時の夢見るような主人公の横顔と、

 原曲より少し切なさを増した小村政美のイントロとの相乗効果は完璧に近い。

 東京テレビの同時間帯ドラマ平均の倍以上の視聴率を叩き出す

 話題作に成長している。いずれ主要キー局を抜くのではなかろうか。


 関東テレビ『ヴァンカトル』に至っては独立局の低予算番組に過ぎないが、

 低予算を逆手に取った密室会話劇であり、

 リアリティ重視の演出からドラマウォッチャーの話題性は抜群である。

 挿入歌である山科万里提供曲の話題性もあり、

 独立局間の放映が燎原の火のように広がっている。

 いずれ今クールでのキー局で深夜での放送が決まるかもしれない。

 

 そして。

 今村由香のデビューシングル両A面『gare/気づかないで』は、

 遂にシングルランキング17位まで登ったのである。


 全盛期の今村由香のシングル売り上げ最高ランクが

 23位(一週間)止まりだったことを考えると、感慨はひとしおだ。

 『気づかないで』は、作詞作曲で版権料ががっつり入ってくるから、

 俺の今世の目標「カラオケの版権が得られるヒット曲を作る」は、

 今や、達成されつつあるのだ。

 

 で、あればこそ。

 

 今村由香、18歳。

 某一流私立大学法学部一年生。

 デビュー前から河上達仁のコーラスをつとめ、

 山科万里からもレコード会社の枠を超えた曲提供を受ける。

 プロ並みの優れた演奏技術と卓越したヴォーカル、

 アイドルを超えた容姿に恵まれた、新進気鋭のシンガーソングライター。

 

 これだけ属性が揃っていて、注目が集まらないわけがない。

 新聞、雑誌、そしてテレビの洪水的な取材、出演オファーが一斉に押し寄せる。

 自分達を介せずに世に売れる奴は怪しからんと言わんばかりに。

 

 早川副社長は、接待に乗ろうとする部下の面子を笑顔で握りつぶしながらも、

 半分笑い話にしつつ、巧妙にヨネさんへの責任転嫁に成功している。

 従って、ガッツのある連中は、いまやヨネさん詣でにひきもきらない状態だ。

 

 しかし。

 

 「まぁ、私もお父様と同じですけれど。

  皆様には悪いですけども、ああいうものは、やっぱりはしたないでしょ?

  最近はご近所の皆様にもご協力頂いてるのよ?」


 中流上層階級のいたって個人的な偏見を利用したイメージ戦術は、

 現時点では、一応成功している。

 ただ、当然、タダでは帰らない奴らもいる。

 怜那の祖父を口説こうとした連中はその一部であり、そして。

 

 「貴方のほうはどう? 大丈夫なの?」

 

 そう。

 やっかいなことに、「俺」の存在に気づく奴が、現れているのだ。

 想定しないわけではなかったが、想定よりも、ずっと早く。

 

 「今のところは、日常生活に大きな支障はありません。

  チラチラ見られるのは慣れていますから。」


 なにしろ、あの佐和田怜那の隣にいたのだから。

 中3以来、妙に視線慣れしてしまっている。

 この世界が、俺にとって現実感が乏しいからかもしれない。

 

 「貴方、そういうところは妙に神経が図太いのよね……。

  それで、なんでこのままなのか、本当に良く分からないわ……。」

 

 なんのこっちゃ。

 

*


 佐和田怜那の大学生活と異なり、俺は、前世以上にステレスである。

 サークルも入らない、バイトも最低限しかしない。

 講義は教科書を写して済むものは出ず、

 どうしても必要なものは、真ん中後ろで、一人で聴いているだけ。

 

 語学クラスでは一言も喋らない。人に話しかけることすら億劫だ。

 俺ってこんな奴だったっけ?

 

 ああ。

 怜那が、いないからだ。


 4年間、佐和田怜那は、ずっと俺なんかの側にいてくれた。

 怜那の存在が、猫のように替わる瞳が、あざと可愛い仕草が、

 明るい話し声が、ゼロ距離への接近が、予想もつかない行動が、

 空っぽの俺を持ち上げていただけだったんだ。

 助けられていたのは俺のほうだった。

 

 失ってはじめてわかる。あれは、贅沢極まりない時間だったんだ。

 今村由香はいま、まさに世に羽ばたこうとしている。

 史実通り、楽器を思いのままに操る

 プレイヤースキルの高い奏者達を惹きつけるのは、時間の問題だろう。

 

 俺は、俺だけの時間に、

 無味乾燥たる時間が永久に続くことに、慣れなければいけない。

 いけないんだ。


 「古河智也さん、ですね?」

 

 ……いまのところ、怜那と一緒にいたことの、マイナス面だけが現れている。

 なんて憂鬱な大学生活だ。

 

 「今村由香さんとは、どのようなご関係でしょうか?」

 

 笑ってしまう。あまりにもベタな質問で。

 記者って本当に呆れるくらいベタなんだよね…。


 「高校の時、同級生でしたが。」

 「中学もですね。」

 

 得意げにしてやがる。

 なんて浅い情報収集だ。


 「はい。」

 「この写真をご覧頂けますか?」

 

 あぁ。遂に来たか……。予想よりもずっと早かった。

 今村由香が、俺にとっては、早く売れすぎたんだ。


 「今村由香さんに、間違いありませんよね。

  ご一緒におられるのは貴方ですか?」


 「違います。」

 

 一緒にいるのは、佐和田怜那であって、今村由香ではない。

 まだ今村由香が、地上に存在しない時期だ。

 つまり、相当早い段階だ。いったい誰が撮っていた?


 「今村由香さん、可愛いですよねぇ。

  アイドル並の人気ですって?

  この写真が出たら、困るでしょうねぇ。」

 

 なんだ。

 こういう手合いか。


 「さ、ご一緒に警察に行きましょうか。

  恐喝罪の構成要件は成り立ちますね。」

 

 まだ財物の要求をして来る前だから、典型的には成り立たないんだが。

 

 「け、警察が取り合うわけがないでしょう。」

 「でしょうね。でも、調書は取って下さいますよ。

  貴方のお名前を公文書に残すことも。

  就職した際にお名前が出れば名誉なことですね?」


 慌てふためいて去って行ったところを見ると、

 雑誌への素人情報提供者、というところだろう。そういう手合いは学生が多い。

 そして、将来の存在する学生に対応する術はそれなりにある。


 ふぅ。

 だめだ、こんなことしてるからぼっちなんだ。

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