第15話


 怜那は今日もレコーディング。

 ほぼ、泊まり込み状態である。

 

 逢いたい。

 怜那に逢いたい。

 隠れファンの分際ですっかり怜那中毒になってる贅沢な自分が怖い。

  

 ただ、レコーディングに素人が顔を出すのは不味い。

 音楽職人達の機嫌を損ねた瞬間に全ては終わる。

 

 なんらか形になったものに対してはともかく、

 製作途上のものに口を出せば、最悪なことにしかならない。

 コンセプト、イメージ、いくつかのギミックは伝えてあるのだから、

 あとは、プレイヤーですらないズブの素人は口を出すべきではない。


 待ってない。

 電話なんか、待ってるわけがない。


 だいたい、ただの一隠れファンが、

 本尊と繋がりたいなどというのはおこがましいことこの上ない。

 隠れファンは神に仕える喜びを胸に地道に布教に勤しむだけだ。

 

 は? 

 このタイミングでBuild Me Up Buttercup…

 はまりすぎるわっ。


 ため息をつきながらラジオを消し、まだ慣れない新居をうろうろと歩きまわる。

 カップ、歯磨き粉と歯ブラシ、姿見に化粧ポーチと、使いさしの口紅。

 急遽持ち込まれた中古のキーボードに、

 お気に入りの曲達を集めたテープとウォークマン。


 たった二ヶ月程度で、怜那の息吹をそこかしこに感じる。

 レコーディングで週一日も帰らない状態にもかかわらず、

 前世では味わったことのない、「親しい人」の生活感に溢れている。


 柄にも無く顔を赤らめながら、感じた違和感の正体を

 暇に任せて、頭の中で探ってみる。


 そうだ。

 生活感だ。


 前の(売り払われた)家には、今にして思えば、

 不思議なくらい生活感がなかった。

 5年以上も住んでいたはずなのに、俺の中で、あの家の記憶がもう薄くなってる。

 怜那と一緒にいた二ヶ月のほうが、濃厚に感じられるくらいに。


 やっぱり重度の怜那中毒患者だからでは?

 やばいな。俺もう、一人では生きていけないんじゃないのか。

 そんなわけない。そんなわけないんだから、

 いまのうちに一人に慣れておかないと

 

 ぷるるるるるるる

 

 「!!」

 

 かちゃっ

 

 「はい、もしもし?」

 

 

 「智也君!」

 

 

 あぁ……。

 い、い、癒やされるぅぅ………。

 怜那の丸みのある声が、細胞膜にまで染み込んでくる……。


 い、いかん。いかんいかんいかん。

 隠れファン。俺はただの、楽器の弾けない隠れファン。

 

 「おつかれさま。そっちはどう?」


 「智也君、どうして来ないの?」

 

 ぶっ!?

 

 「行きたいけれど、邪魔になるだけだよ。

  前にも言ったけど。」

 

 「えー。

  政美さん、そんなことないって言ってたよ?」


 もう下の名前なのか。相変わらず距離感の詰め方がえぐいな。


 「社交辞令です。

  真に受けないように。」


 「えー? 知らないの?

  智也君、もう有名人だよ?」

 

 は?

 

 「テープ、スタッフさんに出回ってるから。」

 

 ぶぶっ!?!?


 「『なんでこんなの知ってるんだ?』 って。

  わたしもしらないですーって言うしかないから。

  みんな智也君に興味津々だよ? えへへ。」


 や、やばい。youtubeやspotifyのない時代では

 当時の素人には簡単にはアクセスできない音源も確かに入ってる。

 もうスタジオは鬼門だ。近づかないようにしよう。


 「万里さんもねー、会いたいって。」

 

 は? 万里さん…?


 「万里さん、大学の先輩なんだってー。

  いろいろ教えてくれたよー。」


 え……と。

 ま、まさか、

 か、河上達仁の、お、奥様ですかぁ!?

 

 そ、そういえば山科万里は怜那と同じ大学だ。英文学部中退だけども。

 詐称でないなら、出身者としては、親しみを持つのは当たり前だ。

 う、うわぁ……

 

 「そ、そう。良くしてもらったね。」


 「うん!

  大人の女性って感じで、綺麗で、すっごく素敵な人。」


 時系列的には、喉を痛めて前線を引き、

 アイドルにえげつない女性心理をさらっと盛り込んだ歌詞を提供をしている頃だ。

 山科万里と今村由香が絡む世界線はまったく想像してなかった。

 …何もかも激変しちゃってるな。俺の逆行者アドバンテージほぼゼロじゃね?


 「新曲の譜面、見せて貰ったよー。」


 おお……。

 あ、あの山科万里様とも、もう距離感ゼロになってるっ……。


 「まだ人に出す段階じゃないらしいんだけど。

  よかったらどう? 合うんじゃないの? 

  って言ってくれて。だからだいたい覚えたよー。えへへ。」


 ぶぶぶぶっっ……。

 そ、それってレコード会社の縄張り的にはめっちゃまずいことなんじゃないのか?

 く、黒いスーツの大人達は何を調整してたんだ? 

 フラグが多すぎて管理が追いつかない。と、とりあえず話題を変えよう。


 「大学のほうはどう?」

 「むー。いま、話をそらしたね?」


 気づくようになってるな。当然か。

 

 「ヨネさんにも言われてるからね。聞かないと。」

 「むぅー。でも、いまのところ、智也君が心配するようなことは何もないよ?

  みんないろいろ良くしてくれるから。」

 

 知ってる。

 

 出身高校が都心の進学校なので、同級生や出身者が結構いる。

 大学の広報関係者とそいつらを結びつけていて、

 何か異常事態が発生すればヨネさんにご注進がいく仕掛けになっている。


 通うのに時間が掛かることだけが難点だが、

 マネージャーさん(女性)が毎日車を廻してくれているから、問題はない。

 着実に、結構華やかに学生生活を送れてる。

 …怜那のためとはいえ、俺の要らないシステムを作れてしまう俺が憎い。

 

 「ならよかった。そろそろいかなくていいの?」

 「むぅぅー。智也君が冷たいっ!」

 

 スタジオ内で藪蛇になるのを避けたいだけです。いろんな意味で。

 

 「そんなことないけれど。あさって逢えるから。

  あさっての準備は?」

 「もうばっちり! 

  あさってなら、万里さんのやつもいけると思うよー。」

 

 ……後段は聞いてない。

 いや、聞こえない、俺はなにも聞こえない。


 「それは頼もしいね。じゃあ、そろそろ行かないと」

 「……智也君、わたしとおはなししたくないの?」

 

 すっごくしてたいです。このまま2000時間くらいでも。

 

 「本当に時間があるなら、怜那とずっと話してたいよ。」

 

 「……うん。

  わかった。じゃあ、またあさってね。

  あー、はやくマンションに戻りたいよー。」


 そうだね、ほんとうに。

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