大学一年生編Ⅰ(デビューアルバム発売まで)

第13話


 一隠れファンとしては、絶対に持っていてはいけないものだ。

 しかし、捨てられない。これを捨てる時は、俺がこの世を去る時だけだろう。

 これは、神託だから。


 1982年、8月28日。

 六通目の絵葉書に大書された、たった七文字の言葉。



 『古河君が、すき』



 友達すらいなかった佐和田怜那の、

 「心の支え」を勘違いしただけの、ローティーンの、一夏の、錯覚。

 その、はずだ。


*


 史実では、今村由香の恋愛関係は、あまりはっきりとはしていない。

 少なくとも、引退時点では、独身であったことは間違いが無い。

 アイドルもどきをやらされていたこともあり、

 表だった恋愛はできなかったことも尾を引いた可能性もある。


 ただ、交際相手として噂にのぼった人物は、軒並みミュージシャンだった。

 サックスプレイヤー、アレンジャー、ドラマー…etc。

 少なくともそのうち二人は、世上、美男子と称される類いで、

 プレイヤースキルと並んで容姿を商品価値に転換できた人たちである。


 今村由香のプレイヤースキルは、セミプロとプロの間くらいであり、

 その絶頂期において、ミュージシャン達は、

 こぞってプレイヤーセンスのある彼女を喜んで支えた。

 当然、プレイヤー以外には分からない濃密な精神的関係も発生しただろう。


 その状況は、今世でも変わらない。

 今村由香のプレイヤースキルは、フロントとしては相当高い。

 史実と異なるのは、ボイスレッスンのタスク比重が少し高いことくらいであり、

 毎日ピアノに語りかけるように四~五時間ほど戯れる姿は、

 怜那にとって、いたってノーマルな状態である。

 

 デビューアルバムの布陣に属する面々は、皆、一流の音楽職人であり、

 今村由香とは歳が離れすぎている。しかし、それ以降はといえば。

 

 そもそも、「俺」は、古河智也ではない。

 佐和田怜那が好いたのは、古河智也であって、「俺」ではない。

 

 いや。

 そもそも、こんなことは、一隠れファンが考えていいことではない。


 史実より早く、今村由香は、デビューする。

 人生行路が交わるならば、今世での今村由香の自殺を防ぐために、

 俺がやるべきことは、今村由香の「布教」だ。

 

*


 「…貴方って、こういうことだけには、妙に頭が廻るのよね…。」

 

 俺のプレゼンを聞き終わると、ヨネさんは、なぜか深いため息をついた。

 本当に解せぬ。


 「まぁ、貴方のおっしゃりたいことは、だいたいわかりました。

  だけど、石澤氏は、さすがに面白くないと思うわ。」


 まったくだ。

 頭ごなしに決めてしまうわけだから、あの男の面子は丸潰れである。

 あの能力は認めても、そして、あの男を切れない理由があっても、

 怜那の名を穢したことへの意匠返しくらいはしてやりたい。

 

 「どうするの?

  貴方のことだから、どうせ何か考えているんでしょ?」

  

 「というほどのことではないのですが、

  上手くいったら、『氏の功績と喧伝して良い』、

  と、奥様からお伝え頂ければよろしいかと。」


 「ふふふ……貴方って、ほんとに他人には悪いわね。

  でも、ああいう人は、言われなくてもそうなさりそうね。

  効果あるかしら?」

  

 「本当に無かったら、いよいよ考える時かと。」


 「あら。それも何か考えてそうね。

  わかったわ。今回は、貴方のピエロを演じましょう。

  でも、貴方、いろいろ言われるんじゃなくて?」


 「奥様のスカートの中に隠れられるのであれば

  こちらとしては望むところですよ。」


 ヨネさんは、じぃっと俺を眺めてくる。

 

 「……貴方、口禍之門って言葉、ご存じ?」



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