第12話


 1986年3月。

 俺と、佐和田怜那の人生は、予定通り、ここで枝分かれする。

 進学先が、分かれるのだ。

 

 俺は、なんとか、都内の某国立大学に滑り込んだ。


 (古河君さえ良ければ、是非やってもらいたいことがあるの)

 

 あの夏、ヨネさんは、中坊時代の俺の進路を決めた。

 逆行して以来、考えていなかったわけじゃないから、

 何の抵抗もなかったが、ヨネさんが強制力の源泉かと疑いたくなる。

 

 そして。

 佐和田怜那は、「史実通り」、都内の某一流私立大学法学部に進学する。

 彼女の学歴詐称は、今や、存在しない。


 そして、彼女の年齢詐称も、

 まだ残滓が存在しているアイドル路線とは形式的に切り離された以上、

 まったく、必要がなくなる。


 「現役女子大生」は、

 (彼女が作ったことになるだろう)ガールポップ枠としては、

 女子高生よりも遥かに意味がある肩書となる。

 

 史実よりもだいぶん早い展開になる以上、成否は、まったく読めない。

 図式から言えば、新生今村由香は、

 穏やかな低落傾向の道を辿りつつある職業音楽家連合の側に立つわけで、

 興隆する第二次バンドブームと一戦交えるのは、はっきりいって不利だ。


 しかし、この状態の佐和田怜那を野に留めておくのも、もはや不可能だし、

 今村由香の声質は、ロックには、あまり向かない。

 もともと不利な戦いであることは、前世と変わりがないのだ。

 それなら、予算が潤沢で、布陣が整っているに賭けたほうが、ずっといい。


 本当に売れるかどうかは、はっきりいってデビューアルバムの出来次第だと思う。

 ただ、俺が懸念していた彼女の足枷は、

 俺が把握していた限りのものについては、完全に外れたと言って良い。


 あとは、彼女の人生である。

 

 史実の強制力なのか、

 佐和田怜那の芸名は、「今村由香」となった。

 

 今村は、分かる。

 怜那のかつての本名であり、怜那を溺愛していた亡き父の名字である。佐和田家、というよりも、九州の本家が、自分達に近い名字を一般大衆の前で使われたくない以上は、平凡な(そして、いまとなっては縁遠い)今村を芸名にするのは妥当である。


 しかし。

 しかし、だ。

 

 「レナっていう響きはな、お前らの言うガールポップの旗手としては、

  ちいとばかり尻軽に聞こえんだろ。俺の通ってる風俗嬢の源氏名と同じだ。」


 こいつ本当に殺してやろうかと思った。

 それで代わりの芸名が別の風俗嬢の名前だったからもう目も当てられない。

 お前は空想上のド○○エⅨのプロデューサーか。いつか本当に仕留めてやる。

 

 ただ、まぁ、0.000001ミリくらいは、分からないでもなくもない。

 いくつかの芸名候補が選択肢として提示されたものの、

 強制力の為せる技なのか、芸名は無事に(?)由香となった。

 こんな経緯があったとは。確かに、一行たりと書ける内容ではない。

 

 ともあれ、芸名も落ち着くべきところに落ち着いた今村由香は、

 約束通り、大学入試終了直後からレコーディングに入るとともに、

 デビュー前としてはありえないほどの活発な芸能活動をぶちかます。

 

 その最たるものは、ニューミュージックの先端を走っている、再評価後ではシティポップの世界的ゴッド、河上達仁とのまさかの一対一での音楽対談である。

 俺が教え込んだカセットテープの力もあり、50年代末~70年代初頭のマニアックな洋楽ポップスを、音楽理論込みで系譜だてながら、楽しそうに、跳ねるように喋る、凡百のアイドルを超えた眉目秀麗な今村由香の姿は、とっちらかった容姿の大御所がすっかり相好を崩す姿と共に、大手音楽雑誌に鮮烈に刻み込まれた。こんな史実は存在しない。

 そちら側からのプロデュースの申し出は、外資系といえども系列が全く異なるレコード会社としてまったく予期しない恰好だが、黒いスーツ達の密談の結果、達仁のニューアルバムのコーラスをつとめることは事実上決まったらしい。そのうち○ん兵衛のCMの猫役のほうにキャスティングされるんじゃないのか。

 

 と同時に、こちらは史実をかなり早める格好だが、森明日菜への楽曲提供で知られる、ラテンフュージョンの第一人者、竹若直樹とのセッションが決まっている。

 技術的にはともかく、佐和田怜那が史実通りにフュージョン大好きっ子パワーで振舞えば、依怙贔屓に限りなく近い好意的支持を得られるだろう。大御所転がしっぷりは、史実よりもずっとパワーアップしてしまっているのだから。

 

 仕事だけは早いセクハラプロデューサー石澤氏は、その勢いをバックにラジオの仕事をAMとFMで一本ずつ取った。コンテストの共催元であるとはいえ、AMに至っては冠番組である。時間帯は深夜だが、デビュー前でラジオの冠を持つというのは凄まじい。やっかいなことに、本当に仕事「だけ」はできてしまう奴なのだ。

 

 それももう、関係がなくなる。

 ここで、俺と彼女の運命は、分かれる。

 

 3ヶ月前。

 1985年、12月。


「……うん、わかった。」


 俺が国立大学に行く事実を彼女が知った時、彼女は、拍子抜けするくらい、ごく淡々と受け入れた。理数系が壊滅的にできない彼女が、俺と一緒に行くことは無理だと分かっていただろう、彼女は、本当に、ただ事務的に、頷いだ。

 俺と彼女の絆は、所詮は親しいクラスメート、気の合うサークル友達の域を出なかったのだ。日常的に距離感ゼロ攻撃を食らい続けて麻痺していただけだったのかもしれない。

 さすが童貞クラッシャー今村由香。ほんとに危うく勘違いするところだった。罪深いとまでは言わないが、こっちがそうだと分かっていなかったらどうなったことか。


 ……だから、あれは、あの時の、ごく一時の迷いに過ぎなかったと言ったろうに。

 ありえるわけがない。やはり、ありえるわけはない。どう考えたって。


 もう、よそう。

 十分、過ぎた。


 俺にできることは、全てやり終えることができた。フラグは折った。道筋も作った。今世の俺のミッションは、これで、終わったのだろう。思い残すことはなにもない。


 望外に充実した、楽しい夢を見られた。そうじゃないか。

 新生今村由香誕生の瞬間を見られたのは、間違いなく二生に残る思い出となった。あとは、二年後に、某音楽番組の末期に、友達枠で花束を持っていければ、言うことなしだ。まずもってそんな機会はないと思うが。


*


 受験を除いて一番やっかいだったのは、

 俺が、親のマンションから追い出されたことに尽きる。

 12月に、両親が、俺の棲家を勝手に売り払うことを決めていたのある。

 (勝手、といっても、もとより親の家ではあるのだが。)

 

 としての気楽さから、ビジネスライクな折衝態度を貫き、引っ越し代と敷金、礼金、月毎の家賃見合い分を振り込むことだけはしぶしぶ頷かせた。そして、受験準備の最中で焦りつつも、まずは引っ越し先を探すべく動き出した。

 博打のような真似をしたのは、合格が決まってからの不動産探しでは遅すぎるためである。大学が山手線の外と内に分かれているため、その真ん中くらいの場所で出物を探すと、どうしても高くなる。寸暇を使って不動産屋を虱潰しに探し、これはという不動産屋に狙いを定めて集中的に物件を漁った結果、手元予算でぎりぎり動かせる出物を奇跡的に発掘し、即座に手付を打った。

 ひょっとしたら曰くつきの事故物件なのかもしれないが、所詮俺はこの世界では異物なのだから、何の問題もない(謎理論)。


 ともあれ、なんとか大学に滑り込んだ俺は、

 晴れて、逆行前の一人暮らしに戻るわけである。

 今までも実質的にはそうだったわけだが、

 自分が苦労して発掘、契約した物件となると、やっぱり少し新鮮な気分になる。


 新しい人生の幕開けだ。

 これからどう生きるかは想像もできないが、考える時間だけは十分ある。

 

 親の家財道具はあちらで処分してくれるらしい。当然だ。

 俺の家財なんて微々たるものだから、身一つに限りなく近い状態で、

 新居へと洋々と足を進め、ピカピカの鍵をかちゃりと廻した。



 


 「おかえりぃっ!」




 

 ぶっ!?!?

 な、え、は、な、え、あ……

 

 「な、な、なんでいるの?!?!」

 

 完成された超絶美少女が自分の部屋の中で小首を傾げる姿は破滅的にやばい。

 じゃ、じゃなくって!

 

 「あれ? お母さんから何も聞いてない?」

 「な、なにを??」

 

 『わたしが、一緒に住むこと。』

  

 ゃはぁぁぁっ!?

 

 「だ、だれが?」

 「わたしが。」

 「だ、だれと?」

 「智也君と。」

 

 ぷるるるるるるるっ

 

 「あ、ごめん、取るね?」

 

 な、なんでもう電話が繋がってるんだ?

 電話機まだ買ってなかったはずなのに。

 いや、そんなことよ

 

 「あ、もしもし、古河です。

  あ、お母さん? うん、そうそう。智也君いるよ?」


 げっ!?


 「うん。わかった。代わるね?」

 

 満面の笑みで受話器を向けてくる。

 こ、こ、これを取れというのか……??

 

 かちゃっ

 

 「も、もしもし、お、お電話替わりましたが…」

 「あらそう。どう、驚いた?」

 

 むかっ


 「……どういうつもりですか?」

 「貴方こそ、うちの娘と、どういうつもりなの?」

 「は、はぁ?」

 

 「……まったく。ホントに誰に似たんだか。

  まぁいいけれど、貴方って、自分のことになると、

  ほんっとうに、バカなのね。」

 

 い、いきなりド直球でdisってきやがったぞこいつ。

 

 「妙なことだけは鋭い頭で、ほんのちょっとでも考えれば…

  ねぇ貴方、そこ、どこだと思ってるの?」


 は? 


 「山手線内で、その築年数と広さで、

  5桁なんかで、借りられるわけ、ないでしょ?

  本当は6割増しよ? 月15万5千円、貴方、払えるの?」


 え、え、ええっ!?!?

 だ、だって、出物で、事故物件じゃ……

 

 「貴方って、本っ当に、おバカさんねぇ……。

  鋭い時と、抜けてる時の落差が、ありすぎるわ。

  私が、貴方の行動を、なんにも調べてないとでも思ってたの?

  貴方の親とも、話はついてるのよ?」

 

 ぶごっ!?!?

 じゃ、じゃあ、まさか、あの不動産屋は……!?

 

 「だいたい、貴方、うちの娘を、ちょっと買いかぶりすぎよ。

  怜那の学力で、音楽活動なんてものまでやったら、

  普通に考えて、卒業なんか、できるわけないでしょ?

  向こうの広報さん、すっかり乗り気なの。

  うかうかと、中退なんかさせられちゃ困るの。恥ずかしいでしょ?」


 いや、仰ること、ごもっともかもしれないんですが、

 その、しかしですね奥様、中退はむしろ

 

 「どうせ、貴方のことだから、

  『これでもう俺の役割は終わった』

  なんて、考えてたんでしょう?」


 ぐさっっっ!?!?


 「そうは問屋が卸すわけがないでしょうに。

  本当に、どうしようもなく軽率な子よねぇ。」


 な、なんか壮絶に恥ずかしくなってきた……。


 「私だって、お父様相手に、苦労してるんですよ。

  貴方にも、せいぜい、相応の報いは受けて貰います。

  あ、お部屋を壊したら、弁償じゃすみませんから。

  注意して頂戴ね。じゃ。」


 つー、つー、つー……

 い、い、言いたいだけ言って……

 だめだ、マジでリーサルウェポンだ。あの人に勝てる気持ちが一ミリもしない。

 ライフはもうゼロを突き抜けてマイナス…

 

 はっ。

 

 「あ、あははは……。」


 積年の悪戯がバレたような顔で、満面の笑みを浮かべている。

 分かった。分かってしまった。

 俺の進学先を聞いた時から、親子ぐるみでこの悪戯を仕組んでいたのだ。

 いや。ヨネさんのことだから、もっとずっと前からかもしれない。


 「来ちゃった。」


 デビュー目前の今村由香が、映像上の記憶よりも遥かに誘惑的に、

 はちきれんばかりの幸福感を湛えながら、

 今、俺の、目の前にいる。


 「ご、ご飯にする? それとも、お風呂にする?」

 

 今にして、ようやくわかった。

 彼女の言動の、少なくとも10%くらいは、後天的な遺伝だ。

 この局面で、そんなネタに走れるくらいには余裕がある。

 後にラジオ好感度を席巻するくらいの話芸の一部は、ヨネさん譲りだったのだ。

 

 笑えてくる。

 俺はまだ、佐和田怜那のことも、そして、今村由香のことも、

 何一つ、知らないままだ。


 確かに、まだ、始まってすらいない。

 爆誕した天才シンガーソングライター今村由香の行く末を、

 最後まで見守ってやろうじゃないか。




高校生編 了

(大学生編に続く)


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