第11話


 後から考えると、少なくとも、1985年「だけ」は、物事の表面くらいは、概ね俺の考える(狭い)筋に置かれていたと言って良いのだと思う。やっておくべきことも、やらなければならないことも、それなりに上手くは進んでいた。

 逆に言うと、この年について、俺が言うべきことはさほど多くはない。


 レコード会社預かりの利点は、レコード会社内に分蔵されているレコードであれば、なんでも聴くことができたことである。Spotifyがない以上、アナログのレコードを、アナログにかき集めなければならない。それを物理的な負担少なく、体系だってできるというのはありがたいことこの上ない。


 俺の存在はレコード会社側にとって謎以外の何物でもないだろうが、契約条件の中に、俺のことを押し込んで書いていたヨネさんの細腕の賜物である。

 この時代、勘の良い、コネクションを持った高校生や大学生が、雑誌社の適当な身分などを盾に、好き勝手にメディアに出入りしていた。俺もその手の有象無象の一員に過ぎないわけだが。

 

 こういう場所にいたせいか、某R&Bシンガーの凄いテープをリアルタイムで聴けたり、後にサダデー・ソングリーフに欠かせない存在となる、駆け出しライター時代の鍋亨に逢えたのはちょっと嬉しかったりもする。


 とはいえ、ここで俺が人脈を作る意味はまったくないので、

 俺なりに、佐和田怜那に聴かせたい、押さえておいて欲しい曲をラインナップし、

 カセットテープに押し込んでいくアナログな作業に集中した。

 淡々と、100本くらいは取り込んだはずである。


 時間がないなりに圧縮した録音作業と並んで、

 効率を工夫した上で、二度目の受験勉強に貴重な時間資源を注ぎ込む。

 そして、その二つをさらに圧縮したものを、

 乾いたスポンジ並みの吸収力を誇る佐和田怜那に効率的に落とし込む。

 地盤づくりとはいえ、誠に淡泊で、淡々とした業務遂行である。


 俺と会っていない佐和田怜那は、レコード会社預かりの身として、各種のレッスン、特に、まったくといって良いほど手がついていなかったダンスレッスンをこなしている。確かにデビュー直後のダンスはなっていなかったことを考えると、そこに今まで気づかなったのは、まったくもって俺の落ち度だとしか言いようがない。

 あとは、言葉の種を増やし、詩作を洗練しつつ、曲になるようなメロディーを五線譜に書き溜めていく、シンガーソングライターとしての淡々とした準備作業である。

 

 「お前ら、ちょっとストイックすぎやしないか。」

 

 作曲家デビューに向けた準備に余念がない井伏雅也が、呆れ気味に俺を見る。


 そうかもしれない。この1年間、俺は、受験勉強と、テープ作りと、怜那へのレクチャーで1日18時間を使っている。ハ○パーオ○○ピックもド○○エⅡも○ホー○クに消ゆも全然プレイできていない。


 しかし、ここで「間違える」わけにはいかない。

 絶対に今村由香を自殺させるわけにはいかないのだから。


*

 

 1985年、12月。


 受験勉強の追い込みの真っただ中、

 ヨネさんとレコード会社の綱引きの落としどころとして設定された、

 レコード会社内小会議室での、デビューアルバム製作構想企画会議。


 来年デビューを想定するならば、この時期がキックオフの限度だという。

 勝手にスケジュールを固めているようだが、レコード会社の担当者としては、

 これ以上、上のほうを待たせられない雰囲気のようである。

 

 「2月にはレコーディングに入り、

  5月にはトラックダウンまで持っていかないと、

  予算上、日程が確保できない状況です。ブッキングの都合もありますので。

  こちらも譲歩しているのですから、ここまでは、守って頂かないと。」

 

 予期せぬ事情を抱えて焦らされている俺は、オブザーバーと企画者の中間くらいの位置づけでこの部屋の端に押し込まれている。常識では考えられない。ヨネさんがふんすふんすと鼻を鳴らしている姿が思い浮かぶ。

 

 しがない勤め人であった「俺」自身は、

 なんとなく、向こう側の辛さをも、わかってしまう。


 だが。


 「2月下旬ですね。」

 

 虎を被った佐和田怜那が、生まれつきのお嬢様のような、鉄壁の笑顔を向ける。

 この話題が出ることは打ち合わせ済だ。

 大学受験が最優先。この原則は、絶対に譲らない。

 

 「いや、上旬、せめて中旬くらいは視野に入れて頂けないと。」

 

 「であれば、契約違反となります。違いますか?」

 

 顔が良いだけの小娘にこれだけ強気に出られるとは思ってもいなかったのだろう。

 この場で最も偉いレコード会社側の平取締役級の男性から舌打ちが聞こえる。


 この時代に、10代の小娘が、男性の権力者に対し、

 会議の場で、契約を盾に強気に出るというのは、ありえない。

 本来なら、向こう側のほうが圧倒的に強い立場であり、

 常識的には、向こう側が席を立って、契約破棄をしてもおかしくはない。

 

 できないのだ。

 なんせ、ヨネさんが鮮やかに暗躍している。

 

 「あちら様が、お約束を守られないようでしたら…」

 

 などと、国内大手のレコード会社を焚きつけてしまうだろう。

 相手先が密かに接触してきた際の名刺を、

 白磁のティーカップと共に、いまのレコード会社の関係者の眼前に並べて、

 おっとりと遊んでいるくらいだから、それくらいは普通にしかねないのだ。

 おかしいな、最初からそんな人だったっけ?


 ともあれ、ヨネさんがひとたび本気を出してしまえば、役員待遇の男の下で、

 目に恨みをためながら縮こまっているプロデューサーのクビくらいは、

 簡単に切れてしまうだろう。

 

 ただ、このプロデューサーのクビは、

 少なくともデビューアルバムの時だけは、切りたくない。


 このプロデューサー、今村由香のデビュー時と、同じなのだ。


 ディレクションが下手で、女癖が悪く、典型的な昭和のパワハラ体質だが、

 音楽業界の人脈だけは豊富に持っている。


 デビューアルバムとしては、信じられないほど豪華(かつ、その後の音楽性を考えると、切ないほど無意味)な陣容となったのは、新人アーティストに比較的潤沢な予算を取ってくる調整能力に加え、この男の人脈維持能力の賜物であることは認めざるを得ない。性格や人格と、仕事上の能力は、別物なのだ。

 

 と同時に、佐和田怜那に、

 強気に出るように指示しているのも、理由あってのこと。


 ここで舐められると、史実通り、無残に失敗した中途半端なアイドル路線に陥ってしまう。いや、今の佐和田怜那なら、下手をしたら成り立ってしまいそうであるがゆえに、その路線は強く打ち消さなければならない。アイドル以外の方向へ向ける趣旨と、その価値を、同席している当代第一流の音楽職人達に分かって貰わなければならない。

 

 そのキーマンになる男性は、カーディガンを羽織った細見の身体に、

 端正な顔立ちでは隠すことのできない才気溢れる野性的な笑みを浮かべている。


 真の大ヒットメーカー。

 後の世に彼の業績が正当に評価されるのは死後20年以上先となる、本物の天才。


 小村政美。


 70年代後半から、日本の洗練されたヒットソングの影には、常に彼の優れた編曲技術があった。80年代前半のアイドルブームの立役者として見る声もあるが、彼の活動はその枠にまったく収まっていない。贅沢なまでに貪欲に美しい音色を追求する当代屈指のエゴイストな音の魔術師である。


 究極の職人芸とも呼ぶべき卓越した編曲技術を利用しつつ、その抑えきれない自己主張を畳み込みながら、史実より早く磨き上げた瑞々しいバカラ・ボイスで、一気に表舞台に打って出る。そのためには、彼の納得と支援が絶対的に欠かせない。


 史実では、今村由香は、デビュー時点で何のコンセプトも持っていなかった。

 「何をしたいの?」と小村政美に聞かれた彼女がしどろもどろだったことが象徴的である。そうならないよう、彼の編曲技術を駆使した楽曲の特集テープを、佐和田怜那の海馬にぶち込んでおいたのである。


 この局面で、先手を取る。

 それが、幻のデビュー作を、顕名化するための絶対条件である。


 そして。

 

 「彼女の曲の譜面は見てる。面白いよ。

  粗削りなものもあるが、少し弄る程度で仕上がるものもある。

  予め詰めておけば、二月下旬でも、なんとか大丈夫じゃないかな。」

 

 「必要な人脈」の一人、抱き込んでいた(などと言うもおこがましいが)

 伝説的マニュピレーターの松田武樹さんが、温和な声で援護射撃をしてくれる。

 助かった。凄いテープを横流ししただけの関係なのに。


 隣で小さく縮こまっている井伏雅也の横で、

 キーマンは、アイドル達を焦がす端正な容姿をニヤりと歪めた。


 「今日はアルバムのコンセプトを決めておけば十分じゃないのかな。」


 一言で、会議の流れを完全に掌握した。

 だが、目だけは笑っていない。

 

 「で、佐和田さん。

  いや、怜那ちゃんでいいかな?」


 「はい。」

 

 「貴方は、何をしたいの?」


 痺れた。ぶるっと来た。

 まったくもって史実通りの光景じゃないか。


 佐和田怜那が、鮮やかに、花開くように笑った。

 なにもかもが打ち合わせ通りだ。

 史実を早める。いや、絶頂期の彼女を、潤沢な予算のうちにぶち上げるのだ。


 「私がやりたいのは、ガール・ポップです。」


 可憐さと艶やかさを併せ持った唇から、はっきりと放たれた、

 この時点では、日本国内に、存在していないはずの言葉。

  

 「いまの女性の悩みや哀しみを、ときめきを、恋を、愛を、

  そして人生を、ポップな音色に織り上げて届けたいのです。」


 歌うように、愛でるように。

 佐和田怜那が、音楽的基盤としたいミュージシャンを次々と挙げて行く。

 Bones Howe, Burt Bacharach, Carole King, Roger Nichols, Todd Rundgren, Donald Fagen,Paul Weller…

 キーマンたちの眼の色が、明らかに変わっていく。


 1985年、12月。

 この企画会議は、伝説となるだろう。

 思い残すことは、もう、なにもない。

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