第6話
その後の中学時代に起こったことは、今はあまり詳しくは語りたくはない。
はっきりしているのは、鮮やかすぎるイメージチェンジに食いついた現金な中学生達によって、佐和田怜那のぼっち状態はあっさりと解消されたこと、童貞クラッシャー今村由香の無自覚ボディタッチによる死骸が高校受験前に累々と転がったこと、佐和田怜那の精神破綻を起こすような事態は辛くも避けられたこと、そして、
「ど、……どうかな?」
寝る間を惜しんで叩き込んだ猛勉強の結果、
同じ旧府立高校に、俺と佐和田怜那が入学したこと。
当座は、最後の点だけが重要である。
昭和末期の制服姿の今村由香。ファニーなロリーフェイス。やばすぎるなこれ。
それに、客観的に見て、現役時代の比ではない。
funnyじゃなくてただのpretty sweetだ。
ただでさえスタイルが良いのにめっちゃ可愛くなってる。
どこからどう見てもただの一流アイドルだ。
一挙手一投足がいちいちあざといピンナップ写真のようになっている。
俺はアーティスト路線を早めに深めようとしていたのに、
この状態では原宿でごく普通にスカウトされかねない。
何かが、凄く違う。
「……その……」
やばい。佐和田怜那が怯えるように俺を見上げている。
強烈なデジャブを感じる。
「うん、似合ってる。申し分ない。」
褒め言葉を連ねるのが恥ずかしいので短く区切ってしまう。本当に年甲斐もなく動揺してしまう。どうみてもただのあざといスレンダーな天野春子じゃないか。ムッツリな進学校で童貞がいちいち撃沈される姿しか浮かばない。アーティストデビューできるのかなこの娘は。
「昨日から制服を着る練習をしてたものね。」
「もう、お母さん!」
朝からベタすぎる寸劇を見せられて少し和んだがなんだか居たたまれない。
気取られぬように笑みを貼り付けつつさっさとマンションを出ていく。
「あ、もう、待ってよー!」
ベタの極限。小走りの足音すらただただあざと可愛い。
これで天然でなかったら殺されているんじゃないのか。沼が深すぎて怖い。
*
電車通学は流石に危険(中学末期時点で既に痴漢ホイホイの状態)なので、
少し距離は長いが自転車通学である。
九州のおじいさまに車でも廻して貰ったほうがいいんじゃないのか。
ご機嫌なのか、佐和田怜那は河川敷をバックに鼻歌なんぞ歌っている。
ノーヘルメットなので、彼女の澄んだバカラボイスが耳に響く。
音程は少し外れているが、高音に深い温かみがある。実に贅沢な時間だ。
バカラボイス……
!?!?
う、うたをうたってるぅ!?!?
ま、な、なんだ!?
も、も、もんの凄いチャンス到来じゃないかっ!
「おわっ!?」
ハンドリングをミスって思い切り前輪が縁石に乗り上げた。
な、なまら怖かったぁ…。
自転車をほったらかして佐和田怜那が心配そうに駆け寄ってくる。
近い、距離がいちいち近い。吐息がかかる。
制服のスカーフが胸元で揺れてめちゃくちゃあざとい。
気にしている場合か。千載一遇の機会だ。
「ごめん、驚かせた。すっかり聞き惚れちゃった。」
「……ぇ?」
さりげなく、ほんとうにさりげなく。
「あぁ、君、歌ってたでしょ?」
あざとい天野春子の可憐すぎる頬が真っ赤に染まる。
まずい。まだトラウマがあるはずだ。逃げられる。
瞬間的に、はっと華奢な手を掴む。
「僕は、君の声、好きだよ。」
好きですとも、だってファンだから。
現役時代の晩年に格好つけてライブに行かなかったことが悔やまれる。
「……変じゃ、ないの?」
「ちっとも。」
「嘘ぉっ!」
短く、叫ぶような強い声。
華奢な手が小刻みに震える。
身体から、心から、激しい慟哭が響いてくる。
でも。
「嘘なものか。」
だって、俺は、君のファンですから。
動画でDVDの衣装パターンをほぼ全て見てるくらいには。
「歌唱力をつけると、もっとずっと良くなる。」
歌唱力は現役時代の今村由香のアキレス腱だった。
予算が潤沢な1988年時点で、1994年頃の歌唱力があれば、
まかり間違えば天下にのし上がってもおかしくはなかった。
「……ほんと、に……?」
震えながら堪えきれず溢れだした涙が、頬を、とめどもなく伝っている。
「声」に、これほどまでに傷ついているとは思いもしなかった。
記憶している限り、今村由香による「声のコンプレックス」への言及は
それが克服されたデビュー直後からであり、
中学以前のトラウマの原因について具体的に記されたものは、ない。
なにがあったのか、それはもう、分からない。
そして、知りたくも無い。
「本当に。
僕が、保証する。」
俺は、君のファンですから。
動画で見た、ライトアップされた夏の野音、満杯の鳴りやまぬ喝采は、
俺の目に、今でも焼き付いている。
「だから、だいじょうぶ。」
俺は、聴きたい。
君の声を、君の歌を、聴きたい。
あの時の俺を奮い立たせた君の音色を、もう一度、奏でて欲しいんだ。
「…………うん。」
何かが溶けるような微笑みが、河川沿いの四月の日差しを浴びて輝いている。
やがて、スチルで撮れそうな構図の、大輪の眩しい笑顔が覆っていく。
ようやっと、俺は、今村由香デビュー大作戦の出発点に立ったのだ。
俺たちは、無事に、入学式を遅刻した。
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