第2話:先祖が偉大だっただけ

 ルリジサは守護精霊アリマキの加護を得て、民を苦しめていた数多の怪物を討ち取った英雄である。その偉業を称え、敬い、ルリジサを慕った民達はルリジサを王として国を作り、今日こんにちに至る。


 男はその国で権力をほしいままにしていた。

 財も、地位も、女も、物も、欲しいと望んだものはいくらでも手に入った。生まれてこのかた不自由などしたことがなかった。男が黒といえば白でも黒になったし、その逆もまた然りであった。なぜなら男は英雄ルリジサの子孫であったから。

 それが楽しくて、たのしくて、たのしくて、男は羽虫や地べたを這う蟻を潰すのと同義に人の命を弄んだ。

 誰も彼もが男の言いなりで、媚びへつらう。恨みのこもった目で見てくるだけで何もできない。

 楽しくて愉しくて悦しくて、いつまでもずっと、死ぬまでこの人生が続くと思うと、自然、笑いが止まらなかった。

 唯一、男の父親だけが男に苦言を呈し、男のいきすぎた振る舞いを戒めようとしてきたが、その邪魔者ももういない。

 あまりにも口うるさく、人を家に閉じ込めようなどとするから、死ぬのだ。

 死んでくれてせいせいした、と男は上機嫌に酒を呷った。

 その夜のことである。

 贅を凝らして作らせた男の部屋は隙間風など入るはずがないのに、冷たい風が項をなでたものだから、男は首をさすって、扉でも閉め忘れたか、と服のあわせを掻き寄せ、部屋を見回した。


「こんばんわ、ルリジサの子孫」


 いつの間にか男の寝所に小娘が入り込んでいた。灯りの乏しい寝所でも浮かび上がるように白い。

 その小娘はにぃこり、と人の好さそうな表情カオで笑った。

 先祖の名を出された男は、なぜこんなこんな小娘が遠い昔、国興しの際、怪物を倒し民を救った英雄の名を口にするんだ、と訝しんだ。

 男は少しばかり混乱しながらも、寝所に入り込んだ小娘を捕らえさせようと従者達を呼ぼうとした。だが口が開かない。それどころか体も動かない。指の一本でさえ動かせなかった。


「君さぁ、やりすぎたんだよね。私腹をこれでもかってくらい肥やすし、誰彼構わず殺すし。君を呪う怨嗟の声、すごいよ。毎日毎日うるさいもん。こんなんでよく生きてこれたね」


 そんなこと知るか。俺を誰だと思ってる。無礼者め。殺してやる。


「一族を思って忠告してたルリジサの子孫ちちおやまで殺しちゃってさあ。あれで決定的になったよ。このバカはもう駄目だって。ボクもそう思ったー。駄目だよー? 守護すべき存在を殺したりしちゃあ」


なんだ、なんのことだ。あんな分からず屋を殺して何が悪い。持っている物を使って何が悪い。守護すべき存在など、俺一人だ。


「そりゃー、君が得た物を君がどう使おうと君の勝手かもしれないけど、人の恨みを買うような真似はしないで欲しかったなあ。ルリジサの名が汚れるだろ」


 それに、と眼だけが笑っていない小娘が続ける。


「君が今持っている物なんてなにも無いじゃないか。持っていると錯覚しているだけで、全部与えられたものや奪ったものなんだよねえ。実は君の持ち物なんてなにひとつないんだよ? 民の為の国なんだからさあ」


 小娘は指折り数えていく。


「この屋敷も、財も、権力も、なにもかもルリジサが残して受け継いできた君以外のおかげじゃないか」


 うるさい、うるさい、うるさい、それがどうした。それがなんだ。持って産まれた俺の幸運だ。産まれ持って来なかったやつが悪いんだ。


「うーん。どーしてこんなに歪んじゃうんだろう。ルリジサの血はうっす~いけど確実に継いでるのに。個体差があるから仕方ないのかなあ。それとも自然界の法則? まあ、なんにせよここでお終いなんだからどうでもいっか」


 なにがだ、なにがおしまいなんだ。お前は誰だ、なんなんだ。


「おや、聞いたことがないのかい? 見当ぐらいつけておいてくれよ、残念だなあ。ルリジサに加護を授けたのはボクなんだぜ? あんまり私利私欲に走るなら加護を取り返しに行くついでに喰うって教わらなかったかい?」


 男はそこで初めて自分が相対していたのが人ではないことに気付いた。

 祖先のルリジサは怪物退治で英雄と称されるに至ったが、それを成せたのはルリジサの力だけではなく、守護精霊アリマキの加護を受けたからだ。ただの人間が一人で強大な怪物を打ち倒せるはずがない。


「精霊アリマキ……? う、嘘だ、いるはず、ない……。そんなのは、お伽噺だ……」


 震える歯を小さく鳴らしながら男は目の前の現実は夢だと自分に言い聞かせる。けれども精霊は消え去ったりはしない。いっそ可憐に笑い、男を見ている。


「アハハぁ、精霊だってぇ。ボクが! 精霊! そうだよねえ、化け物に力を借りたなんて言い辛いもんねぇ」


 なにがおかしいのか、ケタケタと腹を抱えて吹き出した精霊だったはずのものは、その勢いで宙返りしてそのまま浮かび続ける。


「んー、精霊もピンキリだし、まぁいっかぁ。人じゃないのは一緒だし」


 くるりと宙を漂いながら精霊に見えなくなったモノは男を見下ろした。


「ボクは美しい人間が好きなんだ。ずっと見ていたいくらい。ルリジサもねぇ、そりゃあキレイな人間だったんだよ。苦しんでる人々を放っておけない! ってボクなんかの力を借りちゃってさあ。ヒヒ、ルリジサの肉は美味しかったよぉ。年を食ってたからちょっとパサついてたけど、ウン。すっごく美味しかった。今まで食べた中でもダントツだったんだよ。ヒヒヒ、でも強かでさぁ、力をやる代わりに肉をくれって言ったら自分が死んだあとでなって約束させられるしぃ、最期の最期、ボクが気持ち良ーくなってたとこに、国を頼むなんて言ってくれちゃってさぁ、思わず頷いちゃったんだよねぇ。そのせいでボクは未だに人里にいるし、ルリジサじゃない人間の観察もしてるんだよ?」


 朗らかに話していた化け物がその眼を細めた。


「ここまで話したんだから、あとはもう分かるよね?」


 男は叫ぼうとした。逃げようとした。暴れようとした。泣きたかった。けれど、そのすべてができなかった。

 男の顔に添えられた化け物の指の爪が音を立てて伸びていく。その鋭さに男は息を詰まらせた。

 目の前に迫る化け物の、つり上がった口の端の切れ目が広がっていき、牙がむき出しになる。赤くて暗い口の中からのぞいた長い舌が味見をするかのように男の頬を舐めた。


「アハハ、マズーイ。そりゃそうだ、これ以上ないってくらい人に恨まれて呪われてるもんねぇ。不味くて喰えたもんじゃないよ」


 おえ、と吐き真似をした化け物に男はここぞとばかりに言い募った。

 これからは心を入れ換える、先祖に負けないくらい清く生きるから、だからどうか殺さないで、お願いします。なんでもするから、どうか。

 化け物は片眉を上げ、腰を抜かしている男を繁々と眺めた。


「……これからは人間を虐げたり、気分で殺したりしないって?」


 男は首を上下に振った。


「金品を巻き上げたり、支払いを踏み倒したり、まいないを受け取ったりしないって?」


 男は首振り牛人形のように首を上下させる。


「既婚者や相手のいる女や目についた女を奪ったり手込めにしたりしないって?」


 男はそれしか助かる術がないのだと言うように頷き続ける。


「そっかー、心を入れ替えるんだー」


 うんうん、と納得したように化け物が男の顔を覗き込んだ。


「いいよ、そんなことしなくて。ルリジサの血を継ぐ子がもういるし」


 男の希望を無慈悲に断ち切った化け物が嘲笑わらう。


「君が無理矢理手込めにした女達がさ、ルリジサの子孫を産んでくれたから、君はお払い箱なんだよね~。君が手を出した女に興味を覚えない性質たちで良かったよ。ボクが直に育てたんだぁ。ボク好みの綺麗あじになるように!  ルリジサの子孫としては失敗作だった君だけど、種馬としては才能あったみたいだね。君、馬に生まれてたらなぁ」


 天上に住む生き物のように美しい微笑を湛えた化け物の、細く繊細に見える指が男の首にかかった。もう片方の手が男の指に絡む。


「その女達からね、言われてるんだぁ。なるべく苦しませてから殺してくれって。本来なら聞かなくていいお願いなんだけど、ほらルリジサの子孫を産んでもらった恩があるから。ボクが楽しむ範囲なら聞いてもいいかなぁって。

 ねえ、まずはどうやって苦しみたい?」


 ぼりん、と指をかじられ、男は絶叫を上げた。屋敷にいる誰にも届かなかったけれど。


 翌朝、いつまで経っても起きてこない主人を起こしに行くか迷った従者は、どうせまた深酒でもして寝入っているのだろう、と結局起こしに行かなかった。起こしに行って機嫌を損ねては堪らない。

 ずっとこのまま寝ていてくれたら平和なのにな、と従者達は談笑していた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る