第4話「答え合わせ」

「んじゃ、答え合わせといきますか。」


 そういって主君は鞘から剣を抜く。

「?えっと、稽古の続きか?」

「ふ、いや、違ぇよ。」

 そのまま主君は、刀を足元の地面に突き刺した。

 和泉は、それを相変わらず辛そうな表情で見ている。

 そして主君はしゃがみこんだかと思うと、おもむろに口元にある吸いかけの煙草を手に持ち、その刺した刀のそばに、立つように刺した。


「……あ。」

 たまらず、声が出た。



「……わかったか、大倶利伽羅。あの大陸に渡った俺達が、足りなくなったもの、それはな……『墓』だよ。」



 主君の顔は笑っている。

 だけど、その表情にはなにか、言葉では言い表し切れないような、複雑な感情が隠れているような気がした。

「和泉は蝦夷えぞの地で似たような経験をしているから、ある程度察せたんだろうな。」

「…………。」

 主君の言葉に、和泉は曇った表情のまま、何も言わずに俯いている。


「これは、和泉もわかっていると思うし、それが重さの違いだなんて言うつもりは毛頭ない。だけどな、あの戦争は、和泉達が見てきた戦場なんか、比べ物にならないほどの人間が、死んだ。アホほど死んだ。」

「ぁ………。」

 しゃがみこんでる主君の姿に、声に……俺も、何も言葉にできずにいた。

 声をかけようとして、何も、言葉が出なかった。


「同じ隊にいたやつが、馬鹿にも俺を庇って、銃弾食らいやがってなぁ。戦場のど真ん中だっつうのに、少尉殿、煙草分けてください、つってよぉ。俺も唖然としてたから、言われた通り渡したら、その場でてめぇ勝手に美味そうに吸い出しやがって、そんままてめぇ勝手に、満足そうにくたばりやがった。」

 主君は変わらず笑っている。だけどその声には、苦虫を噛み潰したような、苦い声色が混ざっていた。

「隣のやつがその馬鹿を見て笑いながら、線香のつもりですかねぇ、つってな。俺の煙草をなんだと思ってやがんだよ。そんとき最後の一本だったんだぞ、くそったれが。」

 地面に刺した煙草を見つめる主君。うっすら笑みを浮かべながら呟くその姿に、俺達は固唾を呑んで見守るしかなかった。


「そんころからかなぁ。俺が煙草を吸う頻度が、が変わったのは。……当たり前だが、あそこに線香なんて上品なもんはねぇ。あって蝋燭だが、んなもん用意する時間もねぇ。そもそも、死体探す暇すりゃねぇ。もっといえば、こんなもん作る意味もねぇ。」

 主君は目の前の、墓と呼ぶにはあまりにもみすぼらしいを見つめながら、悪態をつきながら、一つ一つ、思い出すように、呟く。

「作ってるときゃ面倒くさかったし、なにより横から上官がうるさくてなぁ……。まったく、言われなくとも、んなことやっても無駄だっつうのは、わかってんのによ。」

「……しゅ、主君。」

「ま、その上官が死んだときにも、性懲りもなく作ってやったけどな。ははは。」

 俺の言葉にも耳を貸さず、言葉を続ける。

 その笑い声には、本当にいろんな感情が込められているように感じた。


「俺は、俺のできる限り、これを作り続けた。俺の隣でくたばった馬鹿にも、俺の目の前で息絶えた阿呆にも、俺の知らぬところで吹き飛んだ間抜けにも。ったく、本当に、煙草が何本あっても足りやしねぇ。俺にも吸わせろっつの。」

「……っ、主君っ!」

「ふ……大倶利伽羅よ、俺がなんで煙草を吸っているか、だったな。その問いに対して、俺の答えは変わらない。癖だよ。」

 俺の言葉に振り返り、言葉を続ける。

「もっと言うと、多分、俺は。未だに、怖がってんだよ。またいつ、どっかの馬鹿が俺の目の前で死ぬか、怖いんだよ。」

 そう言って主君は、その墓の前から立ち上がる。

 俺に笑いかけて見せるその顔には、笑ってくれと言いたいような、そんな卑屈な感情が見えた。

「ほんと、馬鹿みたいな、こじつけたような理由だけどなぁ。お前ら巫剣は、俺なんかより強いの、わかってんのに。……へへへ、もしかしたら俺は、無意識にこいつを自分の分のつもりでいるのかもしれねぇな、ふふ。」

「主君っ!!」

「我が君、変なことを言うな。」

「あ~、悪かったよ、冗談だ。まあそれに、やっぱ理由はそれだけじゃない。俺は向こうに行く前からも煙草は吸ってたし、今も吸いたいから吸ってることに、嘘はねぇ。」

 そう言っていつもの意地悪そうな顔に戻る。


「……湿っぽい話になっちまったな。やっぱ、らしくねぇことはするもんじゃねぇや。さて、俺は稽古で疲れたし、こいつの手入れもしてやらなきゃならんからなぁ。部屋に退散させてもらうぜい。大倶利伽羅、久々の稽古楽しかったぞ。」

「あ、ああ……。」

「あ。あと和泉、誰に頼んでもいいから、俺の煙草買っておいてくれ。自分で買いに行こうとも思っていたが、流石に稽古のあとに歩くのはきつい。」

「…………。」

 主君の言葉に、和泉も言葉を詰まらせていた。

 そんな俺たちを背に、主君は悠々と地面に刺した刀と煙草の吸い殻を抜き取り、いつもように飄々とした様子で自室に歩いて行った。

 俺たちは、動けずにいた。




 主君が立ち去ったあと、俺達はその場に立ち尽くしていた。

 しばらくお互いに声をかけるようなこともせず、ただ立っていた。


 不意に、和泉が声を漏らす。

「……私も、同じだ。」

 顔を上げて、今度は私に向かって言う。

「私も、仲間を失い、一時期それに苦しみ、それを引きずって、生き長らえてきた。」

 俺の目を見て、まっすぐに言葉を紡いでいく。

「しかし、今の時代が、私の、私達の歩んできた道の証明であることに気づいた。我が君に出会い、気づかせてくれた。」

 和泉の瞳には、俺が写っている。

 だけど、きっと見えているものは俺だけじゃない。

 これはきっと、俺に、主君に、今までの仲間に、そして何より自分に言っているんだ。

「私は今も、歩いている。だが、それは他の誰でもない、私自身の意志でだ。今までも、これからも、私は私の意思で歩いていく。」

 鬼の副長は、確固たる意思を、決意を俺に、自分に告げる。


 ……和泉も、つい最近まで前の主と共に、戦場で戦ってきている。

 近い時代、似たような道を歩んできたからこそ、和泉はさっきの主君の言葉を納得できないのだろう。

 例え、主君の言った通り、時代や戦の規模は違えど、そこで流してきた血を背負う意味に、重さの優劣などは存在しない。

 和泉は、そういうことを言いたいんだろう。

「死者に理由を求めてはいけない。それは己が歩みを止める行いだ。私は……私は、我が君に話をしてくる。」

 和泉は主君の元へ、歩き出す。

 言葉の通り、自らの意思で、自らの足で。


 俺は、その後姿を見ていた。

 和泉の言葉は正しい、俺だってそう思う。だから、これで良いはずなんだ。

 俺にはまだ、答えが出ていない、だから、これが正解のはずなんだ。


 だけど



「……ま、待ってくれ。」



 不意に、声が出た。

 自分でも驚いた、和泉も驚いている。

「……大倶利伽羅、何故止める。」

 自分でも、わからない。

 なんであそこで声が出たのか。

「あ……えっと……。」

「小烏丸の持ってきた文書を見ただろう。我が君は馬鹿じゃない。いずれは私達と同じように知ることになる。」

「ち、違うんだ……主君を止めるべきなのはわかってる……だけど、そうじゃなくて……」


「なら何故私を止める。今の我が君の考え方は危険だ。今、気づかせてやらねばならんのだ。あの道を歩んできた私が言わねば、一体誰が言うというのだ!」


「………!」

 珍しく言葉を荒げた、その和泉の言葉に、俺の動きは止まった。


「わかったのなら行かせてくれ。私は、我が君の巫剣として、副長として、今の言葉を伝えねばならないのだ。」

「……違うんだ、和泉。俺、わかったんだ。」

「………?」

 俺も、和泉の通りだと思う。

 そういう言葉を言えるのは、近しい道を歩んできた者だけだ。

 だけど俺は、そういうことを言いたいんじゃないんだ。

 俺が言いたいこと、止めた理由、それを口にする。



「和泉の言っていることは正しい。だけど、だけど俺は、和泉よりも長く、主君のそばにいた。確かに和泉は主君と似た道を歩んできたんだろうが、俺は!」



 そう、俺はそう思ったから、和泉を止めたんだ。

「確かに俺は、伊達家に大事にされてきた身だ……。だから、和泉や主君のように、大きな戦場を、肌で感じたことは少ない……。」

 だけど、それでも、

「それでもこれは、主君の刀として、竜として!俺が言わなきゃ駄目なんだ!!だからこそ、俺が言わなきゃ駄目なんだぁ!!」

 半ば涙目になって俺は叫ぶ。


 、俺はそんな道を歩んだことがない、だから俺にその言葉は言えない。

 だけど、その言葉は本来、自分で気づくべきものなんだ。

 和泉だって、その事実に自分で気づいた、主君も、きっとそうあるべきなんだ。

 主君はきっと、そんな言葉を聞きたいんじゃない。主君はきっと、そんな言葉を知っている。

 そんな言葉、他人に言われたくはないと思う、それがたとえ俺たちであっても。

 なんの根拠もない、確証もない言い分なのはわかってる、我儘なのはわかってる、だけど、俺にはわかるんだ。

「俺には、主君の巫剣として、今を一緒に生きてきた巫剣として!俺が言わなきゃいけないことがあるんだ!!」

 そう、だからこそ、これは俺が言わなきゃ駄目なんだ。

 過去ではなく、今を共に歩んできた俺が言わなきゃ、駄目なんだ。


「……今を生きてきた、か……。」

 和泉がポツリと呟く。

 俺は、少し俯く和泉を霞む眼でまっすぐ見据え、自分の思いを伝える。

「ごめん、和泉。でも、これだけは譲れない。」

 偽りなく、正直に。


 和泉はその言葉を聞き、空を見上げたあと、俺の顔を見て、優しい笑みを見せる。

「……まったく、人をすっぽかしてどこかに行ったかと思えば、随分な口だな。」

「あ、えっと、ご、ごめん……。」


「ふ……いや、問題ない。行ってこい、大倶利伽羅。」

 そう言って、和泉は俺に背を向ける。

「え?……い、良いのか……?」

「私に二度も同じことを言わせるな。我が君の元に行くと良い、私はそう言ったんだ。」

 腕組をして、肩越しに俺を見ながら、和泉は言う。


「……あ、ありがとう、和泉!」

「私のやろうとしたことを、お前がやるんだ。これでもし、何も結果が残せなければ、士道不覚悟で切腹だと思え。わかったな。」

「お、おう!必ずやり遂げて見せる!」

 そう言って俺は和泉の横を通り過ぎて、主君のもとに駆け出そうとする。


 しかし、すぐさま和泉から声がかかり、足を止めた。

「言ってるそばから急ぎ過ぎるな、大倶利伽羅。これはお前と我が君の分だ。」

 振り返ると、和泉の方から小さな何かが飛んできた。

「わ、ととと。」

 慌てて飛んできたものを掴んで、手のひらの中にあるものを見てみると、それは棒付きの飴であった。


「選別だ、本当は戻ってきてすぐ渡そうと思っていたんだがな。我が君にも、煙草の代わりと言って渡しておいてくれ。」

「!!……うん、しかと受け取ったぞ!任せてくれ!俺、行ってくる!!」

 俺は和泉から受け取った飴をしっかりと握りしめ、再び走り出す。

 ただひたすらに、主君の元へ。




 大倶利伽羅がいなくなったあと、私は一人、誰に言うわけでもなく呟いた。

「……言い返そうと思えばいくらでもできただろうに。本当に、私もつくづく甘いな。」

 そう言って懐から棒付きの飴を取り出して、口に入れる。

 自然と口元が緩み、小さな笑みをこぼした。

「……本当に甘いな……。」

 空を見上げて呟く。


 今を生きてきたと言われれば、この私も、このめいじ館で今を共に生きているはずなんだがな……。

 ……私も、もう少し出会うのが早ければ……なんて、考えるのは、らしくないな。


 自らの心に浮かんだ言葉に、今度は皮肉を込めた笑みを浮かべ、身を翻し、自らがやるべきことを成すために動き出す。

「貸し一つだぞ。」

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