第15話
「じゃあ、七種さんは僕が再戦を申し込むと読んで、わざと負けたって言うのか?わざわざ自分に花見コウまで作って?」
七種には勝ち越せない。そう言って笑う生市の姿に、何故だか寒気がした。
やはりこの時期は冷えるのか。冷たい風がそよいだからか。あるいは、もっと何か別の理由か。
しかし、そんな紫桜の様子に、生市は軽く肩をすくめて見せるだけだった。
「さあ?実際のところ、どうなんだろうな。俺が考えすぎているだけなのかもしれないし、もしかしたら、俺の考えている以上の事をしているのかもしれない。何考えてるのか、さっぱりわからねえ。そもそもどれだけ強いのか、俺では計り知ることができないからな、
まるで、それが当然だと言わんばかりに、笑う生市の様子を見て、紫桜は思わず声を荒らげた。
「それは、おかしいだろう!君の話が本当だとして、もしも僕が二局目を打たなければ、トータルで勝つなんて芸当できない筈だ!」
すると生市は、紫桜の言葉に端的に返した。
「長考はしたのか?」
紫桜は端的にそう聞かれて、思わず言葉に詰まった。
何故だか、生市からのこの単純な質問に、本能が答えられなかった。
「俺たちがここに来たのは、午後5時前。今は、8時ちょっと過ぎ。つまりは一局一時間ほどかけた訳だ。遊びにしては遅いかもしれないけど、三度の対局を終えた後にしては、随分と短いと思わねぇか?」
「……何が言いたいんだよ」
「お前は、一度も長考することなく、常に妙手や最善手を見つけ続けたんじゃないのか?自然と閃くままに、碁を打ち続けたんじゃないか?それは、いつもの、自分のスタイルとは大きく違ったんじゃないか?」
生市からのその言葉に、紫桜は返すことも出来ずに視線を手元に落とした。
思い返してみれば、確かに七種との対戦は、出来過ぎていたようにも思う。
七種自身、決して侮れない実力と才能を持っている事は対極を通じて理解していたが、三局全てがまるで自分の碁とは思えないほどにスムーズだった。
打てば響くように打つ手が返ってくるのに、それに対して自分も鏡のように瞬く間に打ち返していた。
それが、もし七種による自然な誘導によるもので、自分の実力以上の棋力が発揮されたのだとしたら、それが自然なように思う。
ただ、それでも仕組まれていたと思えないのは、それがごく自然と紫桜の身に起こっていたからだ。
思い返してみれば、不自然な迄に自然に。
思わず背筋に走る怖気に、紫桜は声を震わせながら隣に座る生市の横顔を見た。
「じゃあ、あの対局は、全て、ただ七種さんに仕組まれていた。そう言いたいのか?亘は?」
すると生市は、紫桜の質問に、そっけなく肩を竦めるだけだった。
「そうかもしれない。そうでないかもしれない。ただ、俺が知る限りの事実として、七種さんと戦った人の中に、長考した人間はいない。何故か必ず、常に妙手や最善手を見つけるんだ。そうしていい感じに戦って、時にいい感じに負けて、時にいい感じに勝つ。それが延々と繰り返される。それが七種・雨音の囲碁だからな」
そこで一度言葉を切った生市は、ただ、と言って少しの間黙り込んだ。
その少しの間に、七種との対戦をどれだけ反芻したのだろう。
暫くの沈黙の後に、ゆっくりと口を開いた。
「ただ、結果だけを言うのなら、七種さんを相手に碁を打った奴が、七種さんを勝ち越せた場を見たことは無いし、結果として全員が七種さんの思う通りに動いている。それだけは確かだ」
その言葉に、紫桜は何も言えずに黙り込んだ。
そもそも何を言えば良いのか。何か言ってもよいのか。それすらも分からずに、黙り込んでいたが、やがて素直に訊きたい事を口にした。
「亘は、亘は……どう思ったんだ?」
「うん?」
「亘は、七種さんの碁を見て、何を思ったんだ?」
紫桜からの質問に、生市は一度あー……口を開いて考え込むと、顔に手を当てて答えた。
「……そうだな。葦名、だな」
「あしな……?」
怪訝そうに首をかしげる紫桜に、ああ。と生市は頷いた。
「フロムソフトウェアってゲームソフトメーカーにさ、隻狼ってゲームがあるんだ。その隻狼の舞台が、葦名なんだ」
「……よく分からないな。そのゲームの舞台が、七種さんの碁とどう繋がるんだ?」
紫桜からの質問に、生市は少し苦笑すると、自分の考えをまとめる様にブツブツと口の中で呟くと、そうだな。と、言って口を開いた。
「フロムのゲームは、敵との戦いよりもボスに行くまでの道のりでプレイヤーを殺す。死角からの襲撃や巧妙な罠。複雑な仕掛けや、入り組んだ通路。そう言う人の心理を突いた世界観が、フロムのゲームの真の難しさだ。俺は割と、この道のりの険しさに心折られている」
そう笑うと、生市は両手を組みながら、本当にフロムのゲームは酷い。と、ぼやいた。
実際のところ、紫桜には、それがどれだけ凄い事なのか全く分からない表現だった。
ただそれが、生市にとってとても大きな褒め方をしているのだろうと言うのは、感じた。
「だがそれ以上に、美しいんだ。フロムの世界観は、その道のりは。ひたすらに見惚れるほど。ただ圧倒されるほどに。見た目もそうだが、BGMもそうだ。美しい音楽と美しい景色が、殺意と悪意の広がる世界にただ横たわっているんだ。だからこそ、挑みたくなるんだよ」
そう笑う生市の顔が、紫桜には何故だか今まで見たに見てきたどんな表情よりも腹立たしくて仕方なかった。
「特に隻狼の舞台である葦名は、その美しさの表現に極限まで挑んでいると俺は思っている。四季折々の日本の自然と、美しい日本建築。それを融合した世界観。俺の感じた七種・雨音の碁は、そう言う世界そのものを感じさせる碁だ。まぁつまりは、そう言う碁なんだろうな」
美しい碁。その言葉に、紫桜は思わず身震いした。
七草・雨音の碁は、それは確かに美しい碁なのだろう。
だが自分は、ここまで明確に七草の碁を捉えていた訳でなかった。
自分が今まで漫然と碁を打ち、天才だと、才能があると、周囲の人に持て囃され、その結果が今の自分だ。
神の領域とか、大それたことは分からない。それも悔しい。
だがそれ以上に悔しいのは、それを知ろうともしなかった自分自身だ。
今までこれほどの強さを持つ人間を知らなかった。それだけの強さを持つ者がいる事も知ろうともしなかった。
囲碁以外に何も知らない。そんな自分が、ここまで小さな存在であるとは思わなかった。
それを、生市という人間を通してまざまざと見せつけられている気がして、それがどうにもならないくらい悔しかった。
その時、バス停にバスが止まり、生市が先にバスに向かった。
「おい。何してる。早く帰るぞ」
そうして、バスのタラップに乗った生市は、バスの中の灯りの中で、夜のバス停に座り込む紫桜に声をかけた。
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神の一手か、あやかしの碁か。 嶺上 三元 @heven-and-heart00
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