第14話


 生市の顔を見た途端、再び紫桜の腹が鳴り、思わず恥ずかしさから生市から目を逸らすと、生市はにやにやと笑いながら紫桜に近づいた。


「随分と腹空かしてるみたいじゃないか。とりあえず、これやる」


 そう言って生市は紫桜にコンビニのビニール袋を差し出し、紫桜は思わず怪訝な顔をした。


「これは?」


「こんな時間まで碁を打ってたら、腹減るだろうと思ってな。アンマンと苺大福。後、アイスティーを買ってきたから、やるよ。アンマンはすっかり冷めちまっているけどな」


 言われるまま差し出されたビニール袋の中身を見ると、紫桜は微妙な表情を浮かべて遠慮なく言う。


「……ありがとう。でも僕、アンマン好きじゃない」


「知るかボケ。それより、奢りじゃねえんだから金出せよ。ほら、五千円」


「はあ?どう考えても五百円もしないだろ、こんなもの」


「こんなものとは言ってくれるじゃないか。別にいらねえんだったら返せよ。無理に食ってほしいわけじゃないしよ」


「いや。別にいらないって言っているわけじゃないから。一応食べるから。ただ、コンビニのお菓子程度でそこまでしないだろって言ってるの!」


「はあ?食うんだったらさっさと金を渡せよ!五万円」


「さっきより金額あがってるじゃないか!」


 そんな二人のやり取りをしばらく観察していた七種は、そこでふと何かに気づいたようにスマホを操作した。


『もしかして、立花君お腹減ってたんですか?』

『でしたら、ごめんなさい。気づかなくって』

『夕ご飯を用意するので、食べていきますか?』


 あたふたと困り顔になって頭を下げる七種に、慌ててそんなことはないと伝えると、紫桜は生市を連れてそのままその場を離れた。


 ★★★


 バス停で帰りのバスを待っている間、紫桜は生市に差し出されたアンマンを食べることにした。


 アンマンは手で持てるほど冷めていたが、かぶりつくと辛うじてあんこまでは冷めていなかった。また、皮もモチモチさを失っておらず、アイスティーと共にすきっ腹に流し込むと、よく染みた。

 アンマンはあまり好みでは無かったが、何故だか今までで食べた饅頭の中では一番うまい気がする。

 真冬の夜風に当たりながらそう思う反面、アイスティーを口にしたせいで、思わず身体に震えが走った。


 すると、そんな紫桜を見て、生市は軽く笑った。


「随分寒そうだな。そんなに厚着してるのに震えるとか、おぼっちゃまかよ」


「そう思うんなら、アイスティーじゃなくて熱いお茶を差し入れてくれたらよかったろう。細かいところで気が利かないな」


「うるせえなあ。それよか早く返せよ、金。ほら、千円」


「何その、微妙な高値?」


「手間賃だバカヤロー。お前が七種さんのところにひとりで行けないって言うから、俺がついてきてやったんだろうが。それに対して礼言われてねえぞ?なら金払えバカ」


 悪態交じりにそう言いながら右手を差し出してくる生市に、紫桜は一度深々とため息をついたが、少しだけ考えた後に財布から千円と五百円を取り出して生市に差し出した。


「ほら。これでいいだろ?」


「いや、この五百円はなんだよ?」


「手間賃だって言うなら、この前僕が電車の使い方を教えてくれたことの手間賃も払わないとダメだろ?」


 紫桜がそう言うと、生市は差し出されたお金を見て呆れた表情をすると、五百円玉だけ取って千円札を紫桜に押し返した。


「そう言うんだったらいらねえよ。当てつけにしても陰湿だろうが」


「なんだよ。そっちが手間賃吹っ掛けて来たんだろ?何か悪いこと言ったのかよ?」


「分かんねえならいいよ。とにかく千円はいらん。返す」


 そう言って五百円玉だけ受け取る生市を見て、紫桜は少しだけむくれると、コンビニの袋から苺大福を取り出した。

 コンビニ特有のプラスチックのケースを外して、苺大福を口にすると、不意に生市から質問された。


「どうだった?七種さんの碁は?」


 どこか挑発的に訊いてくる生市の様子に、紫桜は口に入れた苺大福をアイスティーで飲み下すと、ややあって答えた。


「そうだな……。確かに強かったし、トータルでは負けたけど、君が言うほど強いようには思えなかった。むしろ」


「むしろ、後二回か三回か打てば勝ち越せる自信がある。か?」


 まるで心を読んだかのように言い当てる生市に、思わず驚いた表情を浮かべると、生市はそんな紫桜を見て、にやにやと如何にも意地の悪い笑みを浮かべて紫桜を見た。


「当ててやろうか。三戦して二敗したろう。最初に一勝、次に二敗。ついでに言うと、三戦全てで花見コウができただろう?」


 花見コウ。それは囲碁の中でも初歩的なルールの穴だ。

 元々、コウとは、劫の字を当て、永劫などの長い時間を表す。

 囲碁は、縦線と横線を引いた盤の上で、黒石で白石を取り囲む、もしくはその逆を行うゲームだが、その性質上、時に黒石と白石を永遠に取り返し続ける状況が発生する事が珍しくない。

 その状況を、コウと言う。とは言え、余りにもこのコウは起きやすい為、実際の対局では無限反復を禁止するルールを設けている。


 一方で、このコウは、余りにも初歩的なルールの穴であるが故に、重要な戦術要素でもある。

 コウに陥った局面を解消するか、敢えてコウを無視して別の局面に移るか。

 コウにどう対処するのか、その駆け引きは囲碁の醍醐味の一つとも言われており、囲碁の中でもコウに対する格言や用語は数多く、それにまつわる伝説も多い。


 それほど囲碁と言うゲームに密接に関係したルールの穴であるコウは、それ故に複数の種類が存在している。

 ヨセコウや本当 コウと言った勝負に密接に関係したコウもあれば、三コウや循環コウと言った、対局を無勝負とする、つまりは対局そのものを無かった事にするコウも存在している。


 そんなコウの中でも、花見コウは、花見気分でやれると言う由来を持つコウであり、自分が負けてもたいしたことはないが、相手が負けると損害の大きいコウの事を言う。


 まるで見てきたように言い当てる生市に、紫桜は一口だけ含んだアイスティーでむせ、暫く咳き込んだ後に生市を見上げた。

 紫桜の様子に思わず生市が心配そうに声をかけると、紫桜は首を横に振りながらポケットから取り出したハンカチで口許を拭った。

 それから暫く咳き込んでいたが、咳が落ち着いた頃に深呼吸をして、生市に向き直った。


「花見コウがあったのは、それはそうだけど……。七種さんから聞いたの?」


 すると生市は、軽く笑いながら首を横に振った。


「いいや。聞かなくても分かる。雨音さんは大概そうだからな。それもある程度の腕前になると、大体そうなる。あの人と最初に碁を打つと、必ず三戦して、二敗する。次に戦うと二勝できる。そのせいで、トータルで見ると、必ず引き分けか、負け越しになるんだ。何故かは知らない。必ずそうなる」





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