第15話 『男装するボーイッシュ』

東王子深月は東王子家の後継者に選ばれた。

だから彼女の名前は男性としての千夜を受け継ぎ、東王子月千夜となった。

名を受け継いだ時、彼女は五歳だった。その時まで女性らしい彼女の生活は一変した。

服装は全て男性のものとなり、女性との接触を禁じられ、紳士としての振る舞いを強要される。

そして何よりも、伸ばしていた髪を断髪されて、男性としての道を歩まざるを得なかった。


『深月、おい……』


アスファルトに座って、彼女は泣いていた。

心の内に秘められた言葉を、彼に向けて話し出す。


『私は……男ではなく、女性として生きたかったんだ……』


東王子家として生まれて、男性として自分を偽り生きて来た。

彼女の人生は一生を掛けた舞台上での演技であり、生涯を終えるまで芝居を続ける演者でしかない。


『私は女性を異性として見なければならない、男性を友人として接さなければならない。私が欲しいのは、女性の友達で、私が好きなのは、男性なのに』


人と接して時に嫌悪感を過った。

女性と交際して違和感を覚えたし、その美貌故に男性から性的な視線を向けられる事もあった。

彼女の心境は複雑だった。自分の感情を吐露する事も出来ぬから誰にも理解されない、苦しんでいる事も悲しんでいる事も、全ては心の内に留めて悠然な笑みを浮かべる、それが東王子月千夜の生き方だから。


『ずっと前……キミと出会って、私は救われた……男女の垣根を越えて接してくるキミに、私は居心地の良さを知った……』


一年前。

化石を移植した岸辺玖は狩人として討伐会本拠点での訓練を受けていた。

その時に東王子月千夜は岸辺玖と接触し、戦闘訓練を行った。

結果は明白で、岸辺玖は負けた。負け続け、泣く程に悔しんだ。

その時からだ、東王子月千夜は、岸辺玖と友人になったのは。

男でも女でもなく、その力に執着する岸辺玖には男女の縺れとなる感情はない。

どちらでもない本当の自分、それを見詰めてくれる彼に、東王子月千夜は恋慕の感情を抱いてしまった。


『男性として生きる覚悟を決めた私に、亀裂を走らせたのが、キミなんだ、玖……私はキミが好きなんだ……だから、私はその心を諦めたのに……』


だが。

当然、二人が恋仲になる事はあり得ない。

岸辺玖の性格上、それは絶対にありえない事であり、東王子月千夜は男性として生きなければならない。東王子家は衆道を認められていない。当然、彼と恋人になる未来はない。

だから隠した。諦めて、その可能性を排除し、友人として徹底してきた。

東王子月千夜はそれで良いと思っていた。叶わぬ恋は、自分を強くする糧になると。

しかし……一度、味わってしまった。


『……酷いじゃないか、こんな夢を見せられて、私が本当の私で居られる夢を見せられて……醒めないで欲しいと願うだろう、此処に居させて欲しいと思うだろう……愛する人と、幸せになりたいなんて、思ってしまうじゃないか……』


夢を見せられた。

それは二重の意味。

まだ、岸辺玖と付き合うだけならば、諦める事が出来ただろう。

けれど、東王子月千夜の将来の夢は、その一瞬で叶ってしまった。


『……玖、私は、大人になったら、お嫁さんになりたかったんだ』


ウエディングドレスを着て。

生涯を誓い合った男性と共に、教会で結婚式を挙げる。

それが東王子月千夜の夢。


『……玖、私は、此処に居たい……けど、戻らないといけない……そう思っている、頭の中では分かっている、けど、この夢の中に居たい、その気持ちしかないんだ……』


毒が全身を巡る様に、幸せが彼女を包み込む。

現実に戻れば、東王子月千夜は男として生きる未来が待っている。

このまま夢の中に居ても、現実世界に居る化物に襲われて死んでしまうだろう。

だが、この夢の中で死ねるのなら―――。


『戻れ、月千夜』


『――――、玖』


彼女の傍に立つ男、岸辺玖がそう言った。

彼女は顔を上げて、涙を流す様を彼に見せてしまうが、岸辺玖は、彼女の頬に触れて、親指で涙を拭った。


『ここは夢で、現実がある。そして、幻を見せられて、此処に居るんだろ?味方がそんな真似しないだろうし……敵にやられたんなら、お前の体は危ない目にあうかも知れねぇ。だから……戻るんだ、月千夜』


彼の呼び方が、深月から月千夜に戻っていた。

東王子月千夜は、この幸せな夢を捨てる事は出来なかったが。

しかし、岸辺玖が、彼女の薬指に結婚指輪を嵌めた。

その指輪は、決して高くないが、それでも、何よりも価値のあるものだと思えた。


『目が覚めたら、お前を好む俺は居ないだろうな……だから、意地でも振り向かせてくれよ、現実の俺を』


東王子月千夜は、薬指に嵌められた指輪を空に翳した。

暗い夜の中、満月に照らされた指輪は、何よりも輝いて見えた。


『あぁ……私の夢なのに、どうしてこんなにも、玖らしいんだろうか……』


指を曲げて、もう片方の手で、指輪を覆う。

命を吹き込む様に、固めた掌に口を寄せて、願う。


『……ありがとう、私の愛しい人』


東王子月千夜は立ち上がる。服は既にレディース用の服ではなく、男性用の衣服に変わっていた。髪は三つ編みからショートヘアに戻って、化粧は薄れて一筋の涙を拭う。


『(意志は揺らぐ、後悔が募る、それでも、覚悟は出来た……夢を捨てる、私は、現実へと戻る……そしてまた)』


最後に振り向く。

景色は既に白紙で、幻想だった岸辺玖の姿は薄らいだ。

薬指に嵌めた筈の結婚指輪は既に消失した、それでも岸辺玖の居た場所に左手を伸ばして。


『キミから指輪を頂戴しよう』


その言葉と共に、東王子月千夜は夢から醒めた。

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