第4話 『喪失のロスト』


空調から暖かな空気が肌をなぞる。

Tシャツ一枚の彼女は目を開くと共に、顔を上げる。

バネの無い硬いベッドの上で眠っていた彼女は自らの腹部に手を添える。


「……あ」


柔らかな感触、狩人として鍛えている彼女ではあるが、腹筋を割らぬ様に内部の筋肉を付けて多少の脂肪をつけていたが、腹部は張っていない。

確かに、鼓動を感じた筈の、岸辺玖との間に出来た子供の重みが何処にも無かった。


「いない……ねぇ、いない、いないの、ねぇ、玖、何処、私、わたしたちの、十世が、どこにもッ!いない、いないの……」


涙を流し、現実と夢の区別すら付かなくなった彼女はそう嘆きすすり泣く。

元来、子など作っておらず、未だに彼女は処女のままではあるが、それでも人を愛し、破瓜の苦痛を感じ、我が子の愛しさを夢の中で体感したのだ。


夢の中で築いた幸せが崩れ、支えとなった夫も、守るべき子も、泡沫と共に消えてしまった。


「玖……ねえ、どこ、玖……きゅ、うぅぅ……」


泣きながら、愛した男の名を叫ぶ。

その声に反応する事は無く。

彼は別の部屋で、別の人間と会話をしていた。


郊外付近の高等学校には、複数の狩人と避難してきた一般市民が住んでいた。

狩人はその拠点の防衛と討伐会から送られてくる任務を確認し活動を行う。

既に学校の一部は狩人専門の医療施設や狩猟奇具の調整や改造を行う為の加工室として改築されていた。


「あれはもう駄目だな」


岸辺玖は冷めた珈琲缶に口を付けて言う。

あれ、とは。獅子吼吏世の事である。

半ば発狂した彼女は譫言の様に岸辺玖の名前を呼んでいた。

精神異常を発生してしまった為に、現実と夢の区別も付かなくなってしまった。


化物には精神を兆す能力を持つ生物も存在する。

だから、獅子吼吏世が狩人から使い物にならなくなったと判断してそう言った。


「酷い言い方じゃないか、玖」


彼の語りを聞く、中性的な顔つきをした人物が可哀そうだと眉を顰めてそう言った。


「事実だろ。精神が狂った奴はもう戻れねぇよ。月千夜つきちよ


男性用の衣類を着込むが、その人物の胸は肥大化している。

彼は、いや彼女は男装をしていた。


東王子ひがしおうじ月千夜つきちよ

それが彼女の名前であり、狩猟十家に該当する東王子家の人間である。

彼女が男装をしているのは、東王子家の正妻が彼女を出産したと同時に死亡、その後女性ではなく、男性として育てられた為だ。


男装の麗人と言う言葉が当て嵌る美形な彼女は、どちらかと言えば女性が惹かれやすい顔立ちをしており、彼女もまたそれを是として女性に対するアプローチなどをしていた。


「けれど、キミの名前を何度も呼んでいる、呼応して向かいはしないのかい?」


「俺が行った所で何になる?余計に混乱するだけだ。俺が出来る事は……あの猿を殺す事だ」


にやりと笑みを浮かべて、彼女を狂わせた猿の事を思い浮かべる。


「舐めたエテ公だ。久しぶりに、額の傷が疼きやがる……」


岸辺玖は長い髪を掻き分けて、左側の額、生え際に刻まれた抉れた痕に触れる。

あの猿をどうやって殺そうか楽しそうな笑みを浮かべる岸辺玖に向けて、東王子月千夜は悲しそうな目を向けて言う。


「楽しそうだね、玖」


「あぁ、実戦よりも、休息よりも、こうして、敵をどうやって殺すか、そう考える事が一番楽しいのかも知れねぇな」


「そうかい、楽しいのなら結構な事だね、けど……玖。一度だけで良いから、彼女に逢ってやってくれ……女性の悲しむ姿は、出来るだけ見たくはないんだ」


お願いを告げて、月千夜は立ち上がる。

岸辺玖は珈琲缶の中身を飲み干すと、片手で缶を潰してゴミ箱に入れた。


「仕方ねぇな。どうせ、無駄だと思うけどよ、ダチの頼みだ、聞いてやるよ」


「ありがとう、玖」


感謝して頭を下げる東王子月千夜。

岸辺玖はポケットに入れた腕時計を確認して、面会は五分だけだと、自分の中でそう設定した。







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