[1-2]あやかし専門の薬屋さん
田んぼの
普段なら徒歩で三十分くらいかかるところだけど、今回は十五分くらいで着きそう。
まだ午前中なのにジリジリと強い日差しが肌を焦がす。
いつもなら日焼けを気にするのに、今はどうでもよかった。たったひとつの命が消えそうになっているのに、他のことなんて考えていられない。
大きな杉の木を背負うように建った小さな一軒家。ログハウスみたいに丸太を組み合わせた、いかにも手作り風のお家。
普通の人なら素通りしてしまいそうなこの家があやかし専門の薬屋さんだった。
「
呼び鈴も鳴らす時間さえ惜しくて、ドアを開けて家の中に入る。礼儀もなにもあったものじゃないけど、緊急時だから仕方ない。叱られたら、ちゃんと
でもきっと
「
足音がすぐに近づいてきたあと、
朝ごはんの時間だっていうのに、彼はジーンズに紺と白のボーダーラインのTシャツに着替えていた。丁寧に切り揃えられた黒髪にひとつの乱れだってない。
「えっと、起きたら男の人がいて。いきなりポンっていって、猫みたいなあやかしが倒れててっ」
ああ、もう頭の中ぐちゃぐちゃ。うまく考えがまとまらない。わたしってば何言ってるんだろう。
訳のわからないこんな話を聞かされて、
暑さのせいなのかな。頭がクラクラしてきた。
わたしは要領が悪くて不器用だ。
腕の中にいるあやかしは今も苦しそうに息してるっていうのに。この子を救う手段がわからなくて、今も右往左往するだけ。あまりの不甲斐ない自分が腹立たしくなってきて、目頭が熱くなった。
「どうしよう、
幼なじみとはいえ、朝一番に突然やってきた挙げ句、目の前で泣かれて。普通の男子だったらきっと困り果ててしまうと思う。
だけど
「泣かないで、
☆ ★ ☆
板張りの廊下を進んでいくと、ツンとした香りが強くなっていく。
庭で育てたハーブを室内で干しているからかな。
ラベンダーやタイムといったわたしでも知っているものから、聞いたことのない名前のものまで色んな種類の薬草を
いつだったか、自分は魔女だと
ハーブや薬草を扱う知識と技術を持ち、あと不思議な力を少し入れて、普通のお医者様には作れない特別な薬を作れるんだとか。
わたしたち人間にはもちろん、人外といわれる存在、あやかしたちによく効くんだよね。
わたしが住むこの田舎町ではあやかしを見かけることが多い。
そのせいかカッパさんとか豆ダヌキさんが怪我をしては
だからわたしは、
「おや、
通してもらった部屋は居間だった。
外観は洋風なログハウスなのに、内装は純和風だったりするから
やっぱり朝ご飯の途中だったみたいで座卓にはご飯とお味噌汁が一人分置かれている。
その向かい側に座っている男の人が、頬杖をついてにこにこと笑いかけてくれた。
オレンジと白の前合わせの着物、なのかな。平安時代みたいな和装がとてもよく似合う男の人。
くせひとつない真っ白な髪と頭の上あたりにある大きな三角耳、そして背後で絶えず揺れる九本の尻尾。鋭いきんいろの瞳。一目見ただけで、彼が人ならざるもの――あやかしだとわかる。
「
「うん? 別に構わないよ。
九尾、というのは名前じゃない。彼は九尾の狐というすごく有名なあやかしなの。でもあやかしって普通は名前を持たないんだって。
だからわたしも
九尾さんは
「んんー? 珍しいものを連れているね。この子は
「バク?」
「夢喰いのあやかしだよ。獏は真っ黒な子が多いんだけど、この子は白いね。私とおそろいだね。かわいいね」
やっぱりあやかしだったんだ。
でもおかしいな。子どもではなかった、と思うのだけど……。
窓から朝日が差す部屋の中で見たのは、紛れもなく精悍な顔つきの男の人だった。
強くつかまれたあの感触はまだ肩に残ってる。
吐息がかかる至近距離で言われた、あの言葉も。
――おれの女になれ。
思い出した途端、顔がまた熱くなってきた。
わたしってば、こんな時になに考えてるの。
「ほら、九尾どいて。その子診るから」
いつの間にかいなくなったと思った
「うん? 診るまでもないよ、
「あっ、そういえば倒れる直前にお腹すいたって言ってたかも」
「え、そうなの? 見るからに獏っぽいし、しばらく食事にありつけてないのかな……。まあ、いいや。九尾、この子に少し妖力分けて、食べさせてあげて」
「うん、いいよ」
一つ返事で快諾すると、九尾さんは尻尾のひとつをつかんで、先っぽをぶちんとちぎってしまった。
痛そうと思ったけど、血は出てないし尻尾は欠けていない。手のひらには蛍の光のような球体が浮かんでいるだけだ。
一体、どういうカラクリになっているんだろう。
すぐ近くに来た九尾さんは光の球体を猫のからだに押しつけた。みるみるうちに球体はからだの中に吸い込まれていってしまう。
食べさせるといっても、口からじゃないんだ……。
「これでしばらくは大丈夫なはずだよ。呼吸も安定してきたみたいだし」
口元に手を近づけてから、
よく観察してみると、だらんと出ていた舌は引っ込んでいたし、呼吸も規則正しくなっている。
「よかったあ」
「とりあえずはね。それよりも
「うん」
お薬を作る仕事をしているせいか、
言われてみれば、落ち着いてきたせいかお腹がすいてきちゃった。慌てて出てきてしまったせいで、今日はなにも手土産を持ってきてない。ただご馳走になるのは心苦しいけれど、今日だけは少し甘えちゃおうかな。
やだ、ちょっと気分も悪くなってきちゃった。急いで走ってきたせいかな。
「じゃあ、
「えっ、そんな、悪いよ。お手伝いくらいさせて。突然押しかけたのはわたし――」
立ち上がった途端、頭に鋭い痛みが走った。
まるで鈍器で殴られてるみたい。ガンガンする。頭が割れそうに痛い。
「
「ま……しおん……! ……ぶ?」
あ、れ。おかしいな。九尾さんと
どうして朝なのに、こんなに暗いんだろう。
ぐにゃりと足もとがくずれたことに気づいたのは、ずいぶん後のことだった。
目の前が、世界が、闇色に染まっていく。
「……
わたしは自覚がないまま意識を手放した。
倒れる寸前。
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