消えることも怖くない

増田朋美

消えることも怖くない

その日も暑い日だった。今年は大雨も多かったが、其の分暑い日も多かった。これから、そういう年が増えるんだろうなと思う。なんとかして、それを止めることをしないと、おかしな気候が随分続いてしまうことになって、仕舞いには、人が住めない星になってしまうのではないかと、思われてしまう暑さでもあった。お年寄りは、それでいいのかもしれないが、これからを担っていく若い人たちにとっては、こう毎回毎回夏が来るたびに、災害が起きてしまうと、不安を感じてしまうものである。本当に自分の生活はできるのか、そんな不安に襲われてしまうのだ。

そんななか、杉ちゃんと蘭は、ペットショップへ買い物に行ったその帰り道のこと。ペットショップ近くの電車の駅で、いつもどおり切符を買って、さあ電車に乗ろうと、エレベーターでホームに降りたときのことである。この駅は、東海道線でもイチオシの田舎駅で、駅員の人数も少なく、それでもって、乗車する客も少ないのであるが、駅のホームには、白いワンピースを着た女性が、ひとりベンチに座っていた。杉ちゃんたちが、駅のホームに降り立ったのと同時に、まもなく、2番線を貨物列車が通過しますというアナウンスがあった。すると、本来であれば旅客列車がやってきた時、人間は立ち上がるものであるが、何故かその女性は貨物列車がやってくると言ってたときに立ち上がった。貨物列車が大好きな鉄道カメラオタクという感じでもない。蘭は、変な人が居るもんだとしか、思わなかったが、杉ちゃんのほうは別のものを感じたらしく、

「ちょっと待て!」

とでかい声で言った。女性が気がついて足を止めたのと同時に、貨物列車は超スピードで走り去ってしまって、女性の目論見は失敗に終わった。

「どうして、止めたの!せっかく今死ねると思ったのに!」

と言ったことで、蘭も何故この女性が、立ち上がったのかやっと理由がわかったような気がする。

「当たり前だい。人間誰でも、自分の命を捨てようって言うやつはいないもんな。」

と、杉ちゃんが女性にそう言うと、

「宗教関係とか、そういうことだったら私は関係ないわ。」

と女性は、言うのだった。

「お前さんどっからきた?」

杉ちゃんが彼女に言った。

「いいから、答えてみな。」

その口調で彼女は答えなければならないと思ったのだろうか。小さい声で富士からきたと答えた。

「そうなんだね。僕らも富士からきたところなんだ、いやあ奇遇だな。それじゃあ、一緒に富士に帰ろうぜ。」

「どうして。」

と、彼女は言った。

「どうして私が死のうとしたのを邪魔したの?」

「だってそれは、しょうがないだろう。もし、お前さんが自殺をしてしまったら目撃したことで、自殺幇助になっちまうじゃないかよ。そうなりたくないから止めたんだ。わかるか。」

杉ちゃんは、カラカラと笑った。

「そんなことで。」

「当たり前だい。放ってなんておけるわけないじゃないか。一体、お前さんは何があったんだ?仕事をなくしちまったとか、そういうことか?それとも、家の中で、嫌なことでもあったか?どうなんだ?」

なんでも聞いてしまう杉ちゃんに、蘭はあまり詰問しないほうがいいのではと思ったが、杉ちゃんは、話を続けるのであった。

「それともお前さんは、学生か?なにか、失恋でもしたか?それとも、仕事にありつけなくて、自殺したいと思ったか?」

杉ちゃんにいわれて、女性は、そうですねと小さい声で言った。

「なんだか、もうこれだけ辛い世の中になると、もう生きていたくないというかそんな気持ちになってしまったからです。」

「あの失礼ですが、そういう気持ちになったのは、なにか理由があったのでしょうか?」

と、蘭が彼女に聞いた。

「理由があったわけでもありません。きっかけは、特にありません。仕事はしていませんが、家の人達はいますし、表面的には問題なく生活しています。でも、テレビや新聞では、私のような人は悪人で、医療従事者とか、そういう人だけが偉いような、そういう雰囲気になっちゃってますし。私は、何もすることがなくて、ただ、自分だけをコントロールするしかできないから、もうこんな人間は、いてもいなくてもいいだろうなと思って、死のうと思ったんです。」

そういう彼女に、ほかの人だったら、なんて答えるだろうなと蘭は思った。偉い人たちであったら、答えを用意してくれているのだろうが、僕は、何も答えになるようなものを持っていないと思う。

「まあ、たしかに、テレビは、変な事ばっかり言っていて、役には立たないわな。僕のうちはテレビ無いから、その気持わかる。」

と、杉ちゃんは彼女のはなしに答えた。

「いつもおんなじこと言っているし、嫌になるよね。それはわかるよ。居るだけでも、辛くなるっていうお前さんの気持もわかる。それで、おそらくお前さんの家族は、それで正常に生きていると思ってるから、お前さんは、なかなかつらい気持ちがいえないんだろ?」

杉ちゃんがそう言うと、彼女は黙って頷いた。

「まあそういうことなら、しかたなくできることやってさ、何か変わってくるのを、真剣に待つんだな。きっと、なんとかしたいって思ってれば必ずなにかやってくるはずだよ。自殺するのは、それが終わってからでもいいんじゃない?」

と、杉ちゃんにいわれて、彼女はやっぱりそうするしか無いんですねと小さな声で言った。

「まあ、人間は誰だって、かっこいいところに出たいと思うけど、できないやつのほうが圧倒的に多いんだ。でも、それを、なにかに使うってのは、意外にできるやつも居るんだよ。それは、持っていたほうがいいぜ。なにかやれることをみつけてさ、今は飯を作ることだって、商売できる時代なんだから、なにか持っていたら損をすることはないよ。」

杉ちゃんは、カラカラ笑ってそういう事を言った。

蘭は、杉ちゃんの発言を聞きながら、そういう事を、水穂さんにも言って貰えないだろうか、と心の中で思った。

「まあとにかくな。ご家族には、ますますお世話になると思うけど、頑張って、生きていってな。お前さんには、辛いかもしれないけどさ。いろんな人に白い目でにらまれる事の方が、多いかもしれないけど、命は、捨てないで、残しておくほうが、いいってもんだぜ。」

こればかりは、ある意味宗教的な問題でもあった。キリスト教では、自殺することは悪事とはっきり明記されている。仏教ではいけないという事は明記されていないけど、決して幸せにはなれないと、明記されているのである。

「まあ、辛いときがあったらな。どっかのお寺で写経会に参加させてもらうとか、そういう事してもいいと思うよ。誰でも受け入れて、誰でもいいよって言ってくれるのがお寺だからね。僕は勧誘とかそういうやつではないぜ。ただ、こういうのがあるよって、教えているだけだから。」

と、杉ちゃんがそう言うと、駅のアナウンスで、まもなく2番線に、普通列車、静岡行きが到着いたします、というのんびりした女性の声が聞こえてきた。

「さあ、自殺はやめて帰ろう。」

杉ちゃんが、そう言うと同時に、ここではじめて、杉ちゃんたちを乗せるため、駅員がやってきた。杉ちゃんたちが話しているときは、駅員は干渉してこないのがお決まりなのである。杉ちゃんも蘭も、駅員に手伝ってもらって電車に乗った。もう諦めたのか、女性は杉ちゃんたちと一緒に電車に乗った。杉ちゃん一行は、がらんどうと思われる電車に乗って、自宅のある富士駅へ帰っていった。富士駅に着くと、杉ちゃんたちは、女性がタクシーに乗って、自宅へ帰って行くのを見送った。

「あーあ、今日はいいことをした。何か、人助けすると、こっちも気持ちが明るくなるねえ。何か、人は、やっぱり、人の間って描くと、庵主様が観音講で言っていたが、本当なんだね。」

と、杉ちゃんは、彼女が帰っていくのを眺めながら、そういう事を言った。と、同時に、杉ちゃんのスマートフォンがなる。

「はいはいもしもし。ああ、もう富士に帰ってきたよ。どうしたの?」

蘭は、電話の相手は誰なんだろうなと、杉ちゃんの方を見た。

「ええ、ああ、はいはいわかった、じゃあ、今からそっち行くわ。あと、影浦先生にも連絡しておいてや。」

と、杉ちゃんは急いで電話を切って、

「悪いが、ブッチャーから電話があってな。すぐに製鉄所に来てくれというので、僕ちょっと行ってくるわ。悪いけど、正輔と輝彦のご飯を食べさせてくれ。」

と、購入したフェレットフードを蘭に渡して、自分はいそいそと、別のタクシー乗り場にいってしまった。蘭は、フェレットフードのパッケージを眺めながら、杉ちゃん、僕は正輔たちの餌係か、と、嫌そうな顔をしたが杉ちゃんはお構い無しで行ってしまった。

「杉ちゃん、影浦先生というのだから、多分水穂のことだよね。水穂は、どうしているのだろう。」

蘭は、別のタクシーに乗ってでかけてしまう杉ちゃんを眺めながら、そんなことを行った。昔だったら、製鉄所に行くにしても、蘭が付き添わなければならなかった。杉ちゃんが、現金の計算ができないためである。しかし、今は、スイカが普及したため、タクシー料金もスイカで支払えるようになり、杉ちゃん一人でも乗れるようになった。それはたしかに便利であるけれど、自分の役目がなくなって行くようで、蘭はちょっと寂しく感じる。

「水穂、どうしているかな。僕だったら、直ぐにいい病院を探すと思うんだけどな。」

蘭は、思わず呟いて、自分もタクシーに乗った。タクシーは、蘭をちゃんと自宅まで連れて行ってくれた。蘭は、タクシーを降りてとりあえず自宅に入る。玄関から居間に入ると、フェレットの正輔くんが、部屋の中から出てきて出迎えてくれた。輝彦くんの方は自分では動けないから、蘭が帰ってくるとおかえりとでもいいたげにチーチーと声をかけた。フェレットは、イタチの仲間だけど、人間になつく。人間を家族だと思ってくれる愛情深い動物である。意外にこれを知らない人が多いが、フェレットは、セラピーにも使えそうな動物なのである。蘭は、迎えてくれた二匹に餌をやらなければと思って、急いでご飯皿に買ってきたフェレットフードを入れてあげた。二匹は、嬉しそうな顔をして、嬉しそうに食べている。2匹とも、足がかけているくせに、食欲だけは旺盛で、元気よく食べている。

「あーあ。僕は結局、フェレットたちの餌係かあ。」

蘭は思わず呟いた。本当は自分だって、水穂さんのそばに行きたいのであった。水穂さんの、そばについて、ちゃんと治療を施してくれる病院を探して、そこへ連れていけるような経済力は自分にはあった。それがあっても、使うことはできないので、もどかしいわけである。蘭が製鉄所に行きたくないのは、そこに管理人の曾我正輝ことジョチさんが居るからである。あの男だけはどうしても蘭は許す気になれない。あいつはもともと善意で製鉄所をやっているわけではない。あいつは、ただ、自分の作った政党の知名度をあげるために製鉄所を利用していると蘭は思っているからだった。これの真偽は不明だが。

蘭がそんな事考えている間、杉ちゃんのほうは、水穂さんに食べさせるおかゆを作って、彼に食べさせようとやっきなっているところだった。水穂さんは、なんとか食べ物を口にしてくれるのだが、食べ物を受け付けないからだになってしまったのか、大概は咳き込んで吐き出してしまう。アレルギーの問題ではない。チキンブイヨンも何も使っていない、ただの塩がゆだし、ものが飲み込みにくいと感じるような年齢でもない。だから嚥下の問題でも無いと思う。残るのは精神的な問題である。つまり、水穂さんが、ご飯を食べるという事をしようとしないこと。これが、答えなのだ。ブッチャーが電話をよこしたのは、食べないのでどうしたらいいのか途方に暮れて電話をしてきたのだ。だいたい咳き込めば、内容物も出て、畳を汚す。こうなれば、杉ちゃんも、ブッチャーも、呆れてしまう。なんでこうなっちまうんだろうと杉ちゃんもブッチャーも顔を見合わせて対策を考えるが、何も思いつかないのだった。

蘭が、正輔たちに餌をあげながら、水穂たちはどうしているかなと考えていると、インターフォンがなった。誰だろうと思ったら、帰ってきたぜとでかい声で言っているのは杉ちゃんだった。

「おーい蘭、帰ってきたぞ。正輔たちの餌をどうもありがとう。」

と、杉ちゃんは勝手に蘭の家に入ってきた。

「正輔たち、どうしてる?」

と、杉ちゃんにいわれて、蘭は正輔と輝彦を見た。2匹とも、からだを寄せ合って眠っていたが、杉ちゃんが帰ってくる音で目を覚まし、直ぐに声をあげて、彼を出迎えた。

「どうもありがとうな。明日また製鉄所に行かなくちゃならないからさ。悪いけど、正輔たちを頼むよ。」

杉ちゃんにいわれて蘭は、思っていることを言ってみることにした。

「それで、水穂はどうしてる?薬はキチンと飲んでいるんだろうな?」

「ああ、ちゃんとしっかりもらってるよ。お前さんが心配はしなくていいから。」

という杉ちゃんの言葉はなにか変な物があった。

「杉ちゃん、本当の事を言ってくれるか?水穂、薬は飲んでいれば杉ちゃんが呼び出されるような症状は出ないよな。本当は、ろくなものなんてもらってないだろう。そして、杉ちゃんもそれを放置したままで居るのでは?」

「だって、しょうがないじゃないか。水穂さん病院に連れて行ったとしてもだよ。うちの病院に、傷がつくとか、顔に泥を塗るとか、そういう事を言って返されるのが落ちだよ。それだったら、僕らで世話をしたほうが、よほどいいだろ。だから、僕達は、そうしてやってるわけ。水穂さんが、病院に行って、治療を受けられないで帰ってくるのは、こっちも辛いもんがあるからな。それを変えるには日本の歴史を帰ることなんてできないんだから、それは、やめておいたほうがいい。」

蘭の話に、杉ちゃんは平気な顔をしてそういう事を言った。

「でも、医療を受けさせなければ、水穂は永久にあのままで居ることになるんだぞ。」

蘭がちょっと強く言うと、

「そのままでいいって、水穂さん言ってたよ。そのままで静かに逝かせてくれとな。だから、僕達は、それをなんとかして実現させようと思っているわけ。それが、水穂さんへの唯一の救いだからな。今までさんざん人種差別された水穂さんへのな。」

と、杉ちゃんは平気な顔をして答えた。

「杉ちゃん、言ってることがめちゃくちゃだよ。今日だって、あの時駅であの女性を助けたじゃないか。その時杉ちゃん言ってたよな。どんな不利な事があっても行きなければいけないってさ。宗教の話まで持ち出してそういうこと言ったのに、なんで水穂にはあたかも自殺を奨励するような事を言っているの?」

蘭は、杉ちゃんの言うことを、急いでそう指摘した。

「まあ確かにそうだけど、全部の人に当てはまるわけじゃない。水穂さんは、人種差別されるのが当たり前のような身分だからさ。それから解放させるには、ここから出ていくしか無い奴らも居る。だから、そういう事を僕達は、静かに見守ってやることも必要なんじゃないの?」

杉ちゃんにいわれて蘭は、思わず、拳を握った。

「なんで、そういうこと言うんだよ。水穂だって、いくら同和問題がどうのと言っても、ちゃんと、僕達の仲間じゃないか、それなのになんで、あいつにまるで逝ったほうが良いような事を言うのさ。同じ仲間なのなら、少しだけでもここにいさせてやれるように、なんとかすべき何じゃないのかい?」

「いや、そいつはどうかなあ。水穂さんへの人種差別は、長生きしたって解放されることはないよ。どこへ行っても、汚いといわれるのが当たり前のような身分だもん。それを、これ以上させないようにしてやることも、また、水穂さんのためなんじゃないの?」

「杉ちゃん!君はなんてひどいことを、ひどいことを!」

蘭は思わず、涙をこぼして泣き出してしまった。

「蘭は、水穂さんに長生きしてほしいって思っているんだろうけど。世間はどう思っているかな。日本では、個人的に幸せであればいいっていう社会じゃないからな。世間がある程度認めていないと、幸せじゃないと思うこともあるだろう。それでは、水穂さんは本当に幸せと言えるか?そういうやつだって居るんだよ。世の中にはね。」

「でも、でも、人間は、生きるべきなんじゃないのかな。杉ちゃんが電車を待っているときに言っていた、あの女の子みたいに、不利なことがあったとしても耐えていくことも必要なんじゃないのかな。」

蘭は、杉ちゃんにそう言うが、

「まあ、全部の人間に当てはまるわけじゃないよな。」

と、杉ちゃんにいわれて、黙ってしまった。それを、正輔くんと輝彦君が心配そうに眺めている。二匹は、人間の言っていることを、フェレットなりの考え方で聞いているのだろう。

「そうか、お前さんたちも、水穂さんのことが好きか。水穂さん、可愛がってくれるもんな。まあ、お前さんたちも、また会いに行こうな。」

と、杉ちゃんは、急いで正輔君たちに言った。

「杉ちゃん、僕はやっぱり水穂には生きていてほしいと思うな。それは、いけないことじゃないと思う。どんなに不利な立場だって、生きていたほうが絶対なにか得られると思う。」

蘭の考えには、ドイツで過ごしたときのキリスト教の考えが色濃く残っていた。もともと同和問題は、宗教的なことで発生したものでもあり、それと関わらなかったキリスト教の考え方では、同和問題に当てはまるものが無いのである。

「僕は、水穂には生きていてほしいと思うから。これからも、なにかしたいと思うよ。人間消えることも怖くないと思う人間なんていないからな。」

蘭は、杉ちゃんに言った。まあ、勝手にせいや、と杉ちゃんはそれしかいわなかったが、正輔君と輝彦くんが、蘭を心配そうに見ていた。





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消えることも怖くない 増田朋美 @masubuchi4996

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