セカンド・ピリオド 罪の始まり

~ 一九九七年七月二十日、日曜日 ~

 今日も私はいつもと変わらない家族団欒の夕食を摂っていた。丸いテーブルの私の左隣に妹の梓紗、右隣に母親の夏月、そして、正面に父親の正孝。どんなに経済的に苦しくても父さんも、母さんも笑顔を絶やさない人だった。どんなに辛くても、学校で苛められる事があっても妹の梓紗はそんな事には負けなかった。私はそんな家族が好きだった。とても誇らしかった。いつもだったらそのテーブルにはもう一人、私の右隣に座って夕食をとってくれる人がいた。それは母さんの妹、私の叔母の秋葉。しかし、今日はどうしてなのか来ては呉れなかった。

 秋葉叔母さんが居てくれなかったのはショックだったけど、それでも家族と一緒に食事が出来るのは嬉しい。今日はただの祝日なのに、いつもより豪華な料理がテーブルの上に並んでいる。その理由を夏月母さんに聞いても微笑むだけで、はぐらかすような事を口にするだけで、本当の事は教えてくれなかった。

 それから、楽しい会話のまま、その夕食が終わりを告げる。いつもなら、私は夕食後リヴィングに置いてある父さんが小学校の入学時に買ってくれた相当高額なピアノで何か一曲演奏するのだけど、その椅子に座ると急に眠気が差して来て、そのままそこで眠ってしまった。そして、その眠りのまま私は幸せな夢を見ていた。

 夢の中には私の大切な人達が楽しそうにはしゃいでいた。私はその中で矢張りピアノで演奏している。その夢の中には無論、私の幼馴染みや、妹がいた。二人の笑顔が眩しかった。しかし、その笑顔も急に曇り始め、やがて哀しそうに涙を流し始める。そして、遂には周囲が火の海に変わり果て、梓紗も、加奈も、泣き叫び始めた。

 私のその夢の中で身体中に悪寒と同時に火に焼かれるような熱さを感じていた。やがて、私の目は覚め、それが現実だった事を知る。私の周りを囲むような火炎と、それが燃やす周りの物から出る黒煙によって眼前の視界が遮られていた。だが、妹の泣き叫ぶ声が聞える。

 口元を鍵盤に敷いてある布で抑えてどす黒い煙を吸わないようにしてから、私は死ぬ覚悟で、火の中に飛び込み、梓紗の声が聞える方向へと走り出した。

 梓紗の私に助けを呼ぶ、叫び声が聞える。煙の所為で、前が見えなかった。一瞬だけ空気の流れが変わってその向こうに、妹の姿が見えた。しかし、それと同時に何かが妹に倒れこんできて、最後に一回、私の名前を呼んだきり、その後はなかった。

「アズさぁぁぁぁぁぁぁっぁあぁぁぁぁぁあっぁぁああぁぁウグゥ、ゲホ、ケホ、オウェ・・・」

 口に当てていた布を取ってそう叫んだ時に高熱の煙を吸ってしまい咳き込んでしまった。肺が異常に熱い、とても胸が苦しい。そして、その時に総てを悟った。今日の夕食が豪勢だった理由。秋葉叔母さんがいなかった理由。私はこの様な事を考えた父さんが許せなかった。しかし、それ以上にこのような事になってしまう原因を作ったその人物が許せなかった。

 このままではいずれ私も周囲の火と、それにより作られる煙、熱によって死んでしまう。しかし、こんな所で死ぬわけには行かない。

 この家には一生、元からの機能を使わないだろうという部屋が一室あった。それは地下シェルター。外からはサイレンの音が聞える。消防車が来ているのだろう。しかし、これから先に私がすることはどんなに憎悪していても人間である以上してはならない事、人道に反する事だった。なら、表向きにでも死んでいる方がいいだろうと思った私は助け出される訳には行かない。

 崩れかけた一階へ向う階段を転げながら下へ降りて、リヴィングまで降りると中央のテーブルを蹴り飛ばして、その下にある板をずらし、そして、更に下にある鉄板をずらそうとその把手に手を掛けた。その時に酷い痛みを感じた。しかし、私はそれに耐えて、それを体が通り抜けられるくらい開くと手を放してその中に入る。その時に私の手の皮膚が・・・。痛みを堪えて、中に入ると足を使ってそれを閉めて、中から鍵をかけ、更に下に続く階段を転げ落ち、その先にある扉を開けて、中に入ると、又、その扉を閉じて、鍵をかける。

 シェルターのつくりが悪かったのかその中はまるでサウナの様に暑かった。その暑さがあちこちやけどした部分を更に痛めつける。全身から滝のような汗が流れ出し、家の消火が終わって全体の熱が沈静化する前に私はミイラになってしまうのかと思うほどに身体からそれが流れ出していた。

 今私が居る部屋には簡易水道が取り付けられていた。蛇口を捻って水が出るか確認する。活きている様だった。しかし、出てくるのは冷たい水ではなく、熱湯だった。私はそれでも我慢して、救命セットの中にあった器を使ってそれを何回も口に含む。

 それから、どれくらいの時間が経ったのだろうか?シェルターの中の温度はだいぶ下がっていた。部屋の中に添えつけられている温度計を確認すると摂氏四十度以下になっていた。しかし、火傷を負って、長い時間サウナの様な場所に居た私にはその温度でも未だに苦しい。

 物が表皮に触れると痛みが感じる。その痛みに耐えながら、タオルで体を拭うと救命セットの中にあったコールド・スプレーを使おうとして、軽く握った時にそれは滑る様に床に落ちる。私の両手を見ると火傷で指紋が潰れていた。床に落ちてしまったそれを拾おうと、再び手を伸ばすのだが、また、それはするりと私の手の中からおちてしまう。三度目、更に強く握り締めて缶の中身がなくなるまで手の届く身体部分に吹き付けた。握力もだいぶ落ちてしまっていた。唯一、救いだったのはそれでも指だけは確りと動いてくれる事。

 それから、又どのくらいの時間が経ったのだろうか?部屋の温度が三十度前後に成った頃になっても、誰もこのシェルターの蓋に気が付かなかったのだろうか?この部屋には誰も訪れなかった。

 だいぶ、痛みも落ち着いた私はかなり冷静になっていた。倉庫代わりに使っていたシェルターの中を見回すと冬物の服や色々な雑貨が仕舞われている事に気がつく。私の服は全部、自室の押入れの中に仕舞っている筈だった。しかし、その中に私の服が紛れ込んでいないか、探してみると、矢張り一着もない。両親の物ばかりだった。父親の正孝はその頃の私よりも十センチ以上も大きかった。くまなく探してみるまだ袋から出していない下着が何枚か見付かる。今着ている服を捨て、それに着替えて、適当に掴んだ袖の長いシャツを着てみるとかなりだぶ付く。黒いジーンズが一着だけ有った。かなり丈が長い。裾をまくり、何とか普通の格好に成った様な気がした。

 その時に今まで感じてなかった空腹を覚える。しかし、倉庫代わりに使っていたこの場所に食べる物など何一つなかった。その空腹を堪える為に水を飲み我慢する。

 私は又暫く、その中でただ、無駄に時間を過ごす。時間を示す物がなかったためにどれだけの時が刻まれたのか知る事は出来ない。まだ、火事があったあの日なのか、それとも、もう何日も、何週間も経ったのか、今の私にはわからなかった。やがて、どうして私がこの中に居るようになったのか思い出した。私が何のためにこの場所に残って、生きることを選んだのかを。

 私はこの部屋の中を闇雲に探しているときに晒しに巻かれていた一振りの柄のない短刀を見つけた。中子の部分に何か刻印されていたが、擦れていて読み取る事は出来なかった。私はそれと元々着ていた私の服をシェルターの中にあったサックに入れると、それを持って地上に出様とした。

 その場所から出る前に私がここに居た痕跡が残らないように出来るだけ、元通りにしておく。

 シェルターにかけていた鍵を開けて、静に蓋をずらす。その隙間から中に明るい光は入り込んでこなかった。時間を知る事は出来ないが、夜だと言う事は分かる。それを慎重に開けて、ゆっくりと頭だけ出して、周囲を確認すると矢張り、夜だった。周りにはここが私の家だと言う事を認識させる壁などなかった。見えるものは月の光に照らされた焼け残りの黒ずんだ柱とかだった。

 更に周囲を確認する。あたりの住宅の窓からは光が漏れていない。深夜だと思われる。人の気配を感じなかった私は素早くその中から飛び出して、シェルターの蓋を閉めて、その上に辺りに散らかっていた物を置いて私が出てきた事が判らない様に蓋を隠した。

 ここは大田区久が原。私の家から北東に十五分程度進めば東海道新幹線の線路が見えてくる。その線路を脇を辿って東京駅を目指す。日比谷公園に到着するのに何時間が掛かったのかわからないが、頭上には既に太陽が出ていた。真夏だというのにも係わらず、私は熱さを余り感じなかった。相当歩いたはずなのに身体から、汗があまり出ていなかった。周りの人達は半袖姿で、手やハンカチで汗を拭っている。しかし、私は長袖でも平気だった。私の様に長袖の人間もまばらに居たので私の姿を見て変に思われる事はなかった。私は人に余り顔を覗かれないようにシェルターの中で見つけた父さんの野球帽を深々とかぶっている。

 その公園の木陰で休憩を取る。目を閉じて、うとうとすると、あの時の光景が頭の中をよぎって眠る事は出来なかった。眠りそうになれば、その様な光景が頭に浮かびまた目を開ける。その行為を何回も繰り返している内に、周囲の言葉から今日が何時なのか理解していた。

 あの日から、もう八日もたっていたのだ。よく生きていたものだと感心する。これは神が私に復讐の機会を呉れた物だと感謝した。空腹も慣れてしまえば余り気にならなく成っていた。後は私の体力が尽きる前にあの男を背中のサックの中のもので捕らえるだけだ。

 公園の中の時計で午後六時を過ぎた頃に又、私は歩き出した。そこから新大橋まででると、北に向って歩き出す。途中何人もの人間がすれ違って行くが、私を怪しんで声を掛ける物など居なかった。ただ通り過ぎる赤の他人同士。そして、私は誰にも捕まらず。途中清洲橋を渡って清澄公園まで来ていた。私はそこで一休みする。公園の中に落ちていた週刊誌に塩見事件と言う物が載っていた。ただ、手を伸ばし何の考えもなしにその本を開くと、その中には中等部からの友達の昭元雄太と言う人物の歳の離れた兄と同じ名前が書かれていた。

 私はその記事によく目を通すと、矢張り、それは雄太の兄だと言う事が解かった。ところどころ破けていて、完全にその内容を理解する事は出来なかったけど、私にとって有利な状況である事を理解した。

 しかし、私はその時に雄太の事を思い出す。私が自分の両親や妹を失ってこのような気持ちになるのに、今から私が、彼から、その親と兄を奪ったらどの様な気持ちになるのだろうかと?一瞬の躊躇いのような物が私の心を捕らえた。その時に私がとった行動は、ジーンズのポケットに入っていた、たった一枚の茶色い硬貨を使って電話を掛ける事だった。しかし、電話に出てくれたのは留守番電話の機械の声だった。それでも、私は、

「雄太君は僕にとっても大事な友達だけど、昭元定次を許さない。僕は復讐してやる」と言葉を残していた。

 もしも、私が本当にあの男を殺す前に彼女が私の行動を停めてくれるのなら・・・。しかし、私のこの電話を掛けるという行為は将来、私と、彼女を苦しめてしまう物でしかない事を今の私が判るはずもない。

 公園の中に誰もいない事を確認してサックから短刀を取り出すと中子を握り、その上から巻いていた晒しで弱くなっていた握力を補うように縛って、手から落ちないようにした。

 周囲を確認しながら、一歩一歩、昭元の家に向かう。今午後八時過ぎ。この時間に雄太が家にいない事を知っていた。だから、彼の目に私があの男を殺す所を見られずに済む。

 昭元定次に家が見えてきた。門を開けて中に入り、玄関先の呼び鈴を押す。そして、直ぐに陰に隠れて、その中から定次が出てくるのを待った。

 扉が開き、中から人が出てきた時、相手の顔が良く確認できなかったが、何も声を出さないで握っていた短刀をその人物の心臓辺りに突き刺していた。まるで生卵の黄身に針を指す様にその刃は男の体に簡単に埋まって行き、鮮血が刺し口から、滲み出ていた。声が出ない様に相手の口元を押さえたけど、切れ味が凄かったのか、その男はグッタリしてしまった。

 私は刃を抜くと意味も無く、何回もその男に刃を立てる。その時に男の顔を見ると定次ではなかった。ここに来る前に週刊誌に顔が載っていた洋平と言う男だった。

 定次ではないと言う事を理解すると、土足のまま、その家に侵入した。何かの音が聞える。私はその音がある方に、足を運び、ゆっくりとその部屋の中を覗くと定次がテレビを見ながらゴルフのクラブを磨いていた。

 私は何も考えないで、直ぐに飛び出し、定次に持っている刃を向けたが、外してしまった。その男は私に驚いて持っていたクラブを振り回すが、私には全然当たらなかった。ただ回りに有った瀬戸物などが割れて大きな音を出すだけだった。

 定次は私を見て何を思ったのか、〝金なら幾らでも遣るから助けてくれ〟と口にしていた。いまさら金など手にしても、両親も、妹も、そして、良心も戻ってくるはずが無い。

 冷たい視線をその男に向けると、私は何も答えないで、定次に刃物を振り下ろしていた。その後は憎悪のままに数え切れないほど、定次を刺していた。そして、何回かそれをしている内に縛っていた晒が解けて、刃が私の手から離れていた。

「あっ、あぁぁぁ?アッちゃんなの?」

「ええぇえっぇぇぇっ新田君なにやってんのよッ!」

 私はその声に耳を疑った。どして、彼女等がそこにいるのか理解できなかった。

「ナチさん?・・・、加奈・・・なのか?うわぁぁぁぁあっぁぁっぁぁアッァあああぁぁぁあぁぁぁ、僕を見るなぁぁああぁぁぁぁぁぁぁっぁぁ」

 あまりの予期していない出来事に私は大叫びして、近くにあったなにかを思いっきり投げつけていた。

「加奈ちゃん、危ないッ!」

「あすかちゃん・・・、朱鳥ちゃん・・・、きゃぁぁあぁぁぁぁあっ!」

「かな・・・ちゃぁ・・・ん・・・、にっぃ・・・げぇ・・・て」

 私の投げつけた何かは幼馴染の方に向かっていた。しかし、彼女を庇った那智がそれの身代わりとなってしまい頭にそれを受けて血を流しながら、倒れこんでしまった。私はその場から動けなかった。まるで枷か、何かで縛り付けられているように。

 加奈がその時に私に向ける目は悲しみなのか、怒りなのか、それとも憎しみなのか、私にはわかってやることは出来ない。加奈がその様な瞳のまま私の所から走って外に向ってしまう。追いかけてやる事が出来なかった。もしも、その時に彼女を追いかけて捕らえていたのならば、あの人に罪など犯させる事などなかったのに。

 外から、急ブレーキを踏んだ時にタイヤがきしませる音と、何かが、何かに、衝突する音が鳴っていた。しかし、放心状態となってしまっていた私にその音を認識できるはずも無く・・・。

「彰ちゃん?ほんとうに彰ちゃんなのね?彰ちゃん、ワタクシよ?アキハ、秋葉叔母さんよ?私の声が聞えませんの?あきらちゃん」

 そう口にする人は私の方を握ってゆすりながら、何度も、何度も、私に呼びかけていた。そして、何度目かの呼びかけに、今までの狂気と放心状態から開放される。

「アキハ・・・、秋は叔母さん?・・・、えっ、どうして?」

 私は言葉と一緒に私の両手を眺めていた。血で真っ赤に染まっていた両手。その血が私に火を連想させる。我に返ったはずなのに、私は再び、恐怖で身を震わせながら、その場にしゃがみ込んでしまった。

 頭の中が混乱して、その後の事はどうなったのか記憶に留まってくれなかった。

 気が付けば、私は熱い雨に打たれていた。回りの湯気で視界がハッキリしないけど、ここはどこか見覚えのある場所だった。しかし、全身の温度が上がってくると、私はその場に倒れこんでしまう。

「あきらちゃぁ~~~ん、まだ、お体洗い終わりませんのォ~~~・・・、・・・、・・・、ええっ?アキラちゃん、彰ちゃん、あきらちゃぁぁぁぁぁっぁあぁぁん。いやぁぁっぁあああっぁぁぁ」

 そんな声がその場所に木霊する。しかし、意識を失ってしまっていた私はその声を耳にすることはなかった。

 その場所に倒れてから、どのくらいの時間が過ぎたのだろうか?私は秋葉叔母さんの家で寝かされていた。体中に包帯が巻かれている。

「気が付きましたのね、彰ちゃん」

「秋葉叔母さん?僕は・・・、僕は生きているの」

「大丈夫ですわ、彰ちゃんはちゃんと生きています。私、とても心配してしまいましたのよ。あれからもう一週間も目を覚まさなかったのですから。お医者様は彰ちゃんが全身に大火傷を負いながら何日も生きていた事に驚きになられていました。でも、私は、わたくしは、彰ちゃんだけでも助かって本当に良かったです」

「僕、・・・、ぼくは・・・・、ぼくはこのてっ」

 それ以上の私の言葉は秋葉叔母さんに手によって遮られて声を出せなかった。

「彰ちゃんは悪夢を見ていただけなのですよ。彰ちゃんは何も悪い事などしてはいません。ですから、何も御心配なさらぬよう養生してくださいませ」

 おばさんのその言葉が嘘だと言う事は理解出来て当然の事だった。夢であるはずが無い。あれは現実だった。しかし、秋葉叔母さんのその言葉を受け入れてしまう。

「秋葉叔母さん、御免なさい」

 私の声に微笑む、彼女。まるでその表情は夏月母さんと同じだった。その微笑を頭の中に刻んだまま、私は再び、双眸に瞼を重ねる。

 それから、私は、秋葉叔母さんが、定次を殺した後、彼女が、那智朱鳥と私の幼馴染みがどうなったかを知らないまま、一九九七年の八月が終わる前に海外に出されてしまった。

 そして、私が、幼馴染みの死を聞かされたのは三年後のウィーンで国際音楽コンクールで私が最優秀賞を頂いたと時の私の母親となってくれていた秋葉と、六年後のローマ音楽芸術祭に演奏者として呼ばれた時に知り合った地元でも有名な医者からだった。

 私はそのコンクールで秋葉母さんに本当のことを教えてもらった時に私の所為で母さんが負う事になってしまった罪に対して、言葉にしたとしても意味がないのに何回も、彼女に頭をさげて謝っていた。そんな私に母さんは何も言わず抱きしめてくれるだけだった。そして、初めて、私は彼女を秋葉叔母さんではなく、秋葉母さんと呼んでいた。彼女は私のその呼び方を耳にして、嬉しそうに涙を流す。

 その様な姿を見た私は心の中で誓った。一生、この人の為に生きていこうと、護っていこうと。どんな事があっても、彼女はずっと聖人のままであって欲しいと。その頃を境に私は母さんが喜ぶ様にと必死に私の才能を生かし名声を得る為に努力した。

 フランス、ドイツ、オーストリアで有名な音楽コンクールには毎年参加して、毎回最優秀は取れなくても、それでも、何かの功績は治めていた。そして、その甲斐あって二十二歳の秋にイタリアのローマで開かれた最も伝統のある祭典のピアニストとして呼ばれたのだった。

 そして、その時に、私の指の動きを不思議に思った医者レオーネに声を掛けられて、色々話している内に彼は日本の事を話し始めたのだった。私はその事実に感謝した。しかも、那智は記憶喪失であるが、彼女の世話をしている牧師と一緒にローマの教会に訪れているという。直接、彼女に会う事はなかったが、確かに彼女は生きていた。偽善だとわかっている。この様な事をしても、私の罪が償われるはずが無いのは重々承知だった。それでも、私の所為で、いや違う。私が殺してしまった私の幼馴染みの加奈に対する懺悔の為に、その贖罪の為に那智だけでもこれから幸せになって欲しかったから、私の生活に困らない程度、金を残すと、その殆どを那智が世話になっている日本のプロテスタントの教会に寄付をし始めた。

 オーストラリアのウィーンで暮らす事九年間。母である秋葉は、彼女の休みが取れると、どんなにそれが短くても、数時間しかあえなくても、必ず私のところに来てくれていた。私はそんな母が好きだった。その度に私は夏月母さんや、妹の梓紗、父さんの正孝を思い出す。その三人が居た方が秋葉母さんにとっても今以上に幸せだっただろうと思うのに、それは現実にはない。だから、今の幸せそうにしている彼女のそれを壊したくなかった。

 しかし、その幸せもそれほど長く続かない事を、私が予想できるはずもなかった。

 そして、秋葉母さんが私の生まれて二十四度目の誕生日を迎えた時に日本に帰ってきて欲しいと頼まれた。私は無論その言葉を受け入れて、彼女の願いで一年間、教師になるための勉強をして、翌年、教員免許を貰い、更に、新しい制度の学校の教師になるための審査委員会の審査に掛けられると、その場所で教育者としての性格が認められると私立・海星高校と言う仁科家の親類が母体で、秋葉母さん、彼女が理事をしているその学校に就職していた。それは二〇〇六年の三月の桜の花弁が咲き始めた頃の事であった。

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