ファースト・ピリオド 私を追う少年達

 四月七日、土曜日午後六時を少し回り、教員室でまだ終わらない仕事を、私にそれをお願いしてきた越後と一緒に続けていた頃に一本の電話を教育事務課から受け取っていた。

「はい、総合教員棟一般職員室の仁科彰です。・・・、・・・、・・・、聖稜の学生から連絡?廻してください。・・・、・・・、・・・、はい、お電話代わりました。私立・海星高校の仁科彰です。えっ?内の生徒が?木場公園の橋の下・・・、名前は・・・、・・・、・・・、紀伊さとみ・・・、はい、わかりました直ぐにそちらに向います・・・。越後さん、私、少しの間外出してきますが、直ぐに戻ってきます」

「あっ、仁科くんっ!私だけ、独りこんな場所に残してどこにいくのよっ!」

 こんなにも早く彼女が発見されてしまった。内心の動揺を抑えて、越後に外出する事を告げると、椅子に掛けていた上着を握って直ぐに職員室を出ていた。

 北の校門を使ってその場所に向かおうとした時に門の前で、一人の内の生徒と激突してしまう。

「すみません、大丈夫ですか?」

「いったぁ~~~いっ!仁科先生何処に目をつけているんですかっ!」

 ぶつかってしまったのは女の子で、去年私が担当していたクラスの若槻瑞穂・・・、紀伊さとみと非常に仲が良かった生徒だった。

「若槻さんか?部活は五時までですよ?早く帰りなさい・・・」

「あっ、先生待ってくださいっ!さとみガッ、さとみが、どこにもいないの」

 私を呼び止め、その言葉を向ける彼女の顔を見る事が出来なかった。

「すまない、私は急いでいるので・・・」

 私がそこから走って立ち去ろうとすると彼女はしつこく食い下がり、私の後をつけてきてしまった。止む無く、途中で走るのをやめて、彼女にその場しのぎの説明をして、二人で河川に向ってしまった。

 その場に到着すると目を向けたくない紀伊、彼女の遺体がブルーのシートの上に寝かされていた。昨日の恐怖が甦って心の中では穏やかで入られなかった。その場を取り仕切っていた警察や誰かが私に何かを言っているようだったが、答えられるはずもない。私には演技など出来るはずもなく、素で本当に深い悲しみと恐怖していたから、実際何も口に出来なかった。私から何かを聞きだすことが無理だと解かったそれらの者は私の前から去って行く。

「センセいっ、先生っ、ニ・シ・ナ先生っ!」

「アッ、ああ、修一君か?」

「俺以上に蒼ざめてるぜ、大丈夫かよ?」

「心配ない。それよりも・・・、修一君・・・、妹が」

「クソッ、一体誰がさとみを・・・、許せんぇ」

「修一君、君はその歳で現在大学三年まで進級しているとても優秀な生徒なんですよ。復讐など考えてはいけません。警察の方々に任せなさい」

〝復讐をしてはいけない〟、私がこのような言葉を彼に掛けるのは甚だ滑稽だった。私自身が嫌に成る。彼や彼女等と一緒に居るのが辛かった。だから、私は直ぐに学校へと戻ってしまう。


 翌日、私の所に交換学生とは違う聖稜の生徒二人が訪れていた。そして、その内一人は昨日、私が電話で会話をした人物だった。その生徒の私に向ける瞳は既に私が犯人であるのではと言う疑いの目だった。視線を逸らせば余計に怪しまれると思った私は普通に彼の目を見て、彼の尋ねる事に簡単に答えていた。しかし、私の言葉の多くは嘘ばかり。

 その会話の流れの最中、矢張りその生徒は私にアリバイを聞いてきた。あるはずがない。彼女を殺したのは紛れもなく私だから。彼の問いに言葉を選んで嘘をつこうとした時に、悪運良く、同僚が私の助けが欲しいと叫んでいた。そして、それを理由に私は二人の聖稜の学生から身を退いていた。

 今日、学校へ来ていた目的の会議が始まった。それは一部の教師とここの経営陣だけ、PTAの関与を許さない紀伊さとみについての会議だった。私は黙っているしかなかった。その場に居るのが辛すぎる。

「彰君、辛そうだな。大丈夫か・・・、フッ、それもしょうがないか。キミは紀伊君の去年の担任だったのだからね・・・。まったく誰が彼女を・・・」

 教師の一人が私の事を心配してくれて、その様な言葉を掛けてくれる。しかし、答えられるはずもない。暫く会議は続き、その結果、彼女の事は行方不明と扱い、報道関係には圧力を掛けて、それが漏れないようにする事に決定したい。

 会議が終わるとみなすぐに部屋から出てゆく。その場に残ったのは私と理事だけ。

「・・・、彰?何か心配事でも御座いまして?わたくしができる事でしたらなんでも言ってくれていいのですよ」

「ママー、誰が聞き耳を立てているかわかりませんから・・・、学校の中では・・・」

 私はそれだけの言葉を残すと、会議室を出て行ってしまう。戸籍上、私は理事の息子であるがその事実を知っている人物はこの学校には居ない。私は誰も居ない場所で精神的な情緒不安定からその時に起こる癖、爪を噛んでいた。

 それを暫くしている私を呼ぶ声が聞えてきた。振り向くとその声を掛けてきた人物は三年の明智肇だった。彼は紀伊とはとても親しい関係にある学生だった。彼は私に彼女の事を尋ねて来る。しかし、本当の事など答えられるはずがない。

 その生徒の作る悲しい表情と目を見るのがとても辛かった。彼が私に向ける言葉が嫌だった。若し、彼が口にする言葉が現実の物になってしまったら、私はまた・・・。それだけはもう嫌だった。

「仁科先生に私の気持ちの何が判るというのです?仮令どんな事があっても私は、私のこの手でさとみに手を掛けてヤツを突き止めて見せるっ!必ず、私の手で・・・」

 明智のその言葉を口にするときの瞳は、私が昔作ったことのある瞳その物だった。復讐の為に何かをするという目。彼はそんな瞳を向けると走って行ってしまった。

 私はあの人の悲しむ顔を見たくないから、捕まるわけにも、殺されるわけにも行かない。若し、明智が私のところに辿り着いてしまうのなら、その時は矢張り・・・、しかないのだろうか。

 翌日の四月九日、月曜日。二人の聖稜二年生が交換学生として一週間おくれで編入してきた。東城計斗と来栖勝彦。その二人は昨日、私が会議の前に会った事のある学生たちだった。この時期おくれの編入。彼等は間違いなく目的があって突然やってきたことは直ぐに理解できた。

 その目的とは紀伊さとみの事について調べる為だろうと。三年の明智だけではなく、その二人も私の過去を暴こうというのか・・・。耐えられない。

「仁科くん、顔色が悪いですよ?紀伊さんの事で疲れているのならお休みなされたほうが?」

「・・・、越後さん?大丈夫です。心配をお掛けしました。・・・、・・・、・・・、もう直ぐ授業が始まりますね。行きましょう・・・」

 私は無理に笑顔を作り彼女のそう答えていた。今日一日は何とか体裁を繕い、私が受け持つクラスで失態をするようなことはなかった。そして、放課後が訪れる。

 私はどのクラブの顧問でもなかった為に、放課後は比較的自由だった。独り第三音楽室のグランドピアノの椅子にピアノの鍵盤に指を乗せていた。そして、その指を動かし始める。ピアノを弾く事に集中して私は今いるこの部屋に誰かが入って来ていた事に全く気付いていなかった。

「ほぉんとぉ~~~に仁科くんのピアノ演奏って凄いわね。どこか哀しみを誘うような感じがするんだけど。また、その部分が評価を受けているんですよね」

「越後・・・さん?何時からここへ?私に何か用事でも」

「用事がないとここへ来てはだめなのですか?」

「私に何の用事も無いのならクラブの顧問に戻ったらどうです。貴女が離れている間、演劇中に生徒が怪我をしたら大問題ですよ」

「仁科くん、やっぱりわすれてるぅ~~~。五月の連休の私の部の講演会の舞台の演奏曲を作ってくれるって約束したじゃない」

「・・、・・・、・・・・、覚えていますよ。シナリオだけじゃ、いい曲が思い浮かばないんです。全体の流れの生徒がどのように演技するのかをこの目にしないと・・・」

「でしたら、今からでも見に来てください」

「・・・、失礼。今は気分が優れないので・・・」

「仁科くん、まってぇっ!どうしたの、なにか変よ?昨日から変」

「越後さんには関係ないでしょう・・・。心配される所以はありません」

「どうしてそんな事を言うの?私達同僚でしょう、どうして心配しちゃ駄目なんですかっ!」

「同僚程度で私の何がわかるというのですっ!一体、越後さんに私の何がわかるというのです。私の事など気に掛けている暇などあるなら貴女がやらなければならない事を、遣りなさい・・・」

 私は越後にそう答えると彼女の呼び止める声に応えず、音楽室を出ていた。


 翌日も、またその翌日も表面上の顔を崩さないように教師としての一日を終えていた。しかし、それが終わると殺してしまった紀伊の事と、これからの事が私の頭の中を往復し、苦悩し続けるだけだった。

 四月十二日、木曜日。今日、私は同年代の同僚の和泉から、急編入してきたあの二人の男子がこの学校の怪談を聞きまわっている事を知らされた。

「和泉、その会談とはどのような内容なのでしょうか」

「僕はそういうのは嫌いなんでね。全然知らないんだ。物理の椿田先生なら知っているんじゃないのかな?あの先生はそういう話が好きだから・・・。あっと、昼休みはもう直ぐ終わりそうだ。次の準備をしないと。仁科も遅れるなよ」

 どうしてまた、あの学生たち二人はその様なことを調べているのだろうか?私には理解できなかった。放課後、私は椿田に会ってその怪談と言うのを聞かせてもらった。全部で七つ。その中には私が授業やそれ以外の時に使っている第三音楽室の物もあった。

「哀しい旋律を奏でる楽器か・・・」

「どうしたのかね、仁科君?話はこんな物だぞ」

「椿田先生、時間を取らせてしまい。申し訳、御座いませんでした」

「いや、いいんだよ。私は季節関係なしにこういう話を聞かせるのが好きなんでな」

 部員達が帰ってしまったサイエンス・クラブの部室で私は椿田にその話を聞かせてもらっていた。そして、それが終わった頃は午後七時を過ぎてしまっていた。

 私は椿田から聞かせてもらった怪談の内、二つの物がほぼ同時に起こるという北の校門に来てしまっていた。そして、門の直ぐ隣にある大樹の傍まで来ると、紀伊を殺してしまった事を思い出す。

「ハッ、椿田先生の聞かせてくれた話と、紀伊さんを殺してしまったこの場所に一体どのような関係があるというのです?何故、私はあの時に紀伊さんを加奈に見間違えてしまったのは何故だ?」

 考えても答えは出てこない。私がそれを調べれば彼女が私のことを知った理由が見えるのだろうか?しかし、私がその事を生徒たちに聞けば私の行動が直ぐに広まってしまうだろう。そうなれば、あの二人に怪しまれてしまうだろう。

 私はそうすることを諦めて自宅に戻って行った。

 それは四月十五日、日曜日の事だった。私がそこに訪れるのは大抵、午前二時を過ぎた頃だった。今日はいつもの牧師ではなく、二人のシスターが礼拝堂の中にいた。

 私はその二人のシスターの前に跪いて懺悔をする。彼女等が私に掛けるその二人の声はまるで鸚鵡返し。それから、懺悔が終わって教会から出た時の事・・・。

「先生、こんな夜更けに教会で懺悔ですか?何のために、誰の為に?そんな事をしたって、仁科先生がした事は償えナインダッ!まさか、先生がさとみを殺したなんて、どうして、どうして?どうして、さとみを殺したんだッ!私は仁科先生を尊敬していたのに・・・、私はまだ、全部を理解したわけじゃない。先生の過去に何があったかまだハッキリと分ってない。でも、先生がさとみを殺した事だけは解かったんだ。さとみが、・・・、さとみが、それを教えてくれたんだ」

「明智君、私にはキミが言っていることが何なのか、まったく理解できませんが。何かの間違いでしょう・・・」

「知らない振りして、よくもそんなに冷静で居られますね。先生が警察に捕まって裁判で死刑判決を受けるくらいなら、どうせ、他人に殺されるくらいなら、誰が遣ったって同じでしょう?だったら、俺の手で裁いてやる。うわぁあぁぁぁぁあぁっぁぁぁぁぁぁっぁっ!」

 私は彼の言葉を聞きながらずっと後退していた。周りには誰も居ない公園の中の樹木に囲まれた場所。明智は逆手に持ったナイフを振り上げ、それを持って私に襲い掛かってくる。その時の私は酷く冷静だった。彼の一撃を躱すと、彼の持っていたナイフは私が背にしていた樹木に深々と突き刺さっていた。明智はそれを抜いて又、私に襲い掛かって来ることは容易に分る事だった。しかし、その刃物は直ぐに刺さった場所から抜けなかった。必死にそれを抜き取ろうとする明智、彼に隙ができる。私は既に人が殺せることがわかっているあれをスラックスのポケットから取り出すと彼の喉元に当てて・・・。

 明智は私に何をされたのかも分らないで地面に倒れこんでしまった。あれから一週間。こんなにも短い間に私は又、この手で人を殺してしまっていた。それをしてしまってから悔やんでも意味はないのに私は後悔する。これから先もまた、私は、私の事を調べようとする者をこの手に掛けなくてはならないのだろうか?何時まで、その様な事を続けなければならないのか。答えは分っている。私が、今すぐにでも、警察に出頭して自供すればいいだけのこと。しかし、其れはできない。出来ないんだ。

 樹に刺さったままの刃物を抜き取ると、明智は確か、右利きだったはず。抜き取ったナイフの剣先を彼の人差し指に軽く押し当てて、血が流れ出すのを確認すると、彼の左手の甲に『ナナカイのノロイ』と椿田に聞かされた怪談のすべての真相を知ったときに起こる最後を示す文字を書いていた。そして、彼をその樹木を背に寄りかからせると、ナイフをその場に捨てて、公園を立ち去った。ナイフの心配をする必要はない。調べた所で出てくる指紋は彼だけの物。

 今の私は常軌を逸している。・・・、今の私は?違う。十五年前のあの日から私はすべて変わってしまったんだ。仮令、名前が、変わっても、国籍が変わったとしても、十五年前の私は、矢張り私でしかない。

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