第八章 過去と現在の繋がり

 二十一日、土曜日。学校の授業は無いはずだけど、海星高校を覗いておく事にした。すると、仁科秋葉は出張で東京には居ないはずだと学校にいた教職員に教えられた。彼女が何処にどれくらいの期間出張しているのか尋ねると、海星高校と姉妹校の一つ山陵学園と言う所に出向いているらしかった。場所は京都府の京都市伏見区にある。

 しかし、俺はその出張先の京都に向かおうか、そうしないか、ほんの一瞬だけ行動に迷いを持った。アリバイ工作の為の空出張かもしれないと思ったからね。本当に仁科秋葉、彼女がその場所に行く予定があるのか確認を取る為に、山陵学園に問い合わせてみる事にする。すると、確かに今日から三日間、海星や山陵などの私立系学校を経営する経営グループと教育会合があると知らされた。そして、更にその会合に集まる殆どの人物は既に昨日から京都に来ているらしい。

 だけど、昨日、仁科は殺人を犯しているんだ。それに出席する可能性は低いと思う。そこに出向く可能性は・・・、・・・、・・・、・・・、・・・、解からない。

 東京の事は田名部達に任せて、俺は行くだけ、京都に行ってみよう。現地に行ってからの融通は車でそっちに向かった方が断然有利だけど、移動時間は新幹線を使ったほうが速いのは大凡の常識を持った大人なら誰だってわかる事。今は行動時間をなるべく大切にしたい。だから、世界最速特急みらいを使ってそっちに出向く。

 東の京から西の京まで僅か一時間と三十七分。自動車で来るよりも二倍時間も早く疲労感も感じない。実に素晴らしい。・・・、財布の中身が温かければ何度も利用したい所ですね。京都駅から降りるとJR西日本サービスブースで予約したレンタカーに乗って伏見区桃山町遠山にある藤ノ下と言う旅館に向った。その場所に会合の関係者が集まるはずだったから。

 見慣れない土地はやっぱりカー・ナヴィがあると便利だね。地図帳をめくると言った手間が省けて便利。その性能と使い勝手も年々向上して、初めて其れが登場した頃に比べると進歩の凄さに驚嘆してしまう。でも、其れは日本と言う国の特色なんだろう・・・。何故か、追うべき者と別のことが頭に浮かんでしまった。だから、そんなコトは直に忘れてカー・ナヴィゲーションにしたがって目的地へと急行した。

 京都駅から出て国道二十四号線を南に十五分程度進み府道七号を東に向かい更に十分くらいで藤ノ下に到着した。そして、直にレンタカーから降りて旅館の中に向った。

「僕はこう云う者ですがこちらに仁科秋葉さんは来られているでしょうか?」

 いつもの対応の様に名刺をカード・ケースから取り出すと今すぐに逢いたい人物の事を旅館の帳簿を管理している女の人に尋ねていた。

「ようこそおいでやす・・・。はい、ニシナ・アキハ様ですね。少々お待ちやス・・・、・・・、・・・昨日から東京よりお越しになっております仁科秋葉さまで宜しいでございましょうか?」

「きっ、きのう?」

 俺は何だか途轍もなく嫌な予感がしたけど、言葉を続けていた。

「彼女は昨日、ここへどのくらいの時間に来られたかお聞かせ願えないでしょうか?」

「はぁ、時間ですか?・・・、帳簿には午後九時三十三分となっておりますが・・・、それがどうか、なさったのでしょうか?」

 クッ、九時半ちょっとすぎ?それって、橋場雅巳が殺害されてた時間の数分後じゃないか。そんな短時間で東京から京都まで来るなんって物理的に不可能だ。ここまで来て彼女が犯人じゃないとでも言うのかッ!

「それは仁科さん、本人に間違いないですね?」

「その様なことをお言いになられましても・・・」

 俺は冷静になって仁科秋葉の写真を見せるとその女の人は首を・・・、縦ではなく横に振ってくれた。間違いない、偽装工作だ。更なる確信を得る為に会合の出席者等に会って彼女を見かけたか、どうか尋ねて回った。でも、仁科が既に来ていると言うのは誰も耳にしているのに、面会した人物は誰も居ないと言ってくれた。

 俺が去った後に彼女がここを訪れないとは否定しきれないけど、可能性としては薄いと思った訳で、東京に帰る事にした。しかし、保険を残しておいた方が良いだろうって考えて、会合関係者じゃなくて帳簿を管理していたさっきの女の子に写真の仁科秋葉がここに顔を見せたら、渡してあげた名刺の携帯に真っ先に知らせて欲しいとお願いしておいた。

 古都の街並みを眺めながら駅に向ってレンタカーを走らせていると、つい観光気分に浸ってしまいそうになった。ゆっくりと京都見物の旅をしたいって思いに駆られるけど、今はそんな事を思っている場合じゃないんだ。駅に到着してしまうと諦めてレンタカーを返して駅内に入り、自動切符売り場まで向った。

 帰りも新幹線と思って財布の中身を確認・・・。レンタカーの支払いでその中には千円札五枚と一万円札一枚しか入っていなかった。財布の中の景気の悪さに、どんよりと心が淀んでします。乗車券と特急券をかったら・・・千円も残らない。

 大きな溜息を吐きながら、切符を買うと電車が来るまで事件の推理をしようと考えた。しかし、仁科秋葉が十四年前の事件とどういう風に関わっているか完全に解かった訳じゃないんだ。俺の思っている事はあくまでも仮定、推測でしかない。


 俺の推測は仁科秋葉は共犯者で、事件の起こった日に犯人の逃亡の助けをした。彼女も身長が162センチと大きい方で、六センチ以上の踵の有る靴を履けば犯人に成り得なく無いけど、調書には昭元宅内に女性物の靴跡は那智朱鳥と橘加奈の物しかなかった。だから、仁科秋葉が直接の犯人ではないと思われる。

 彼女は昭元の家を訪れた時にその家から逃げ様と飛び出してきた二人の少女の内、どちらかを過って轢いてしまった。この事件を追っていた最初の頃におばあさんから聞いた急ブレーキの音はその時に聞えて来た物だと考えられる。妥当な線は橘加奈の方が轢かれたと予測している。

 何故なら、朱鳥さんの方は既に家宅内で傷を負っている様な痕跡を残していたから、二人が同時に飛び出したとは思えない。加奈さんの方が咄嗟の判断で朱鳥さんを抱えて逃げ出すなんて事は、殺人現場の緊迫した状況では無理だろう。場慣れしていなければ、殺人犯を目の前に冷静ではいられないだろうからね。田名部の調べで車の人を当てた様な疵は一つしかなかった事から、多分、この推測はそれほど間違っては居ないだろうね。

 仮定として轢いてしまった加奈さん、傷を負っている朱鳥さん、未だに誰だかわからない犯人を車に乗せると昭元家から走り去った。そして、その帰り際に現在松永を名乗っている雄太とその親友、橋場雅巳はその車を目撃。雄太は珍しい車の外見だけを気にして、社内に気を取られる事は無かったけど、橋場は別で、外見よりもその中を覗いていた。

 擦れ違いの一瞬だろうけど、橋場雅巳は仁科秋葉の顔を見た。彼がその顔を見間違える事は可能性として低い。その理由は十四年前は彼女、理事長職だけじゃなくて、一教員としても学校に勤めていた。その頃の生徒で彼女の顔を知らないって生徒は少ないだろうね。それにそれだけじゃない。仁科は橋場や雄太のクラスの授業を受け持っていたことまで調べはついている。橋場の素行は教師側には悪かったらしいけど、どの時間にも授業に出ていた彼が彼女の顔を覚えない訳は無い。

 そして、現在に至って何が原因でそうなったのか判断材料が無くて推測すら出来ないけど橋場は十四年前の事を仁科に持ち出して、それをネタに彼女を強請った。最近飲み屋での彼の景気が良かったのはそれから得た金の為だろう。そして、昨夜、橋場雅巳は誰かに殺害された。しかし、彼は死に際に捜査の手がかりの手助けになるモノを残してくれていた。それはANと言う文字。AKIHA・NISHINA、仁科秋葉。イニシャルだけじゃなくて、彼女にはその他に二つもANが隠されている。

「アッ、ともう直ぐ電車がくる頃ですね。キヨスクでお昼を買っておこう」

 推測を止めて、時間を確認すると売店まで足を運び、牛乳とうぐいすパン一つを手に入れて、新幹線へと乗車した。

 走り出した電車の窓を眺めながら、買ったパンをかじりだす。外は曇り始め、何時しか雨が振り出していた。東京に到着するまで約一時間半近くある。そんな訳で、昨日作れなかった報告書をその中で作る事にした。現在のすべての特急は指定席にコンピュータや携帯電話の使用を前提として作られた車両が必ず連結されている。頻繁にそういった電子機器を扱う人達にとって非常に有り難いサービスをJRは提供してくれている。だから、回りを気にもせずにラップトップを取り出して、報告書を作り始めた。

 午後四時十二分、東京駅から山手線に乗換え秋葉原駅を出るとこちらも雨は大降りだった。傘なんって持っている訳ない。俺は走って事務所まで戻る。事務所の中に入ると軽くシャワーを浴びて、新しいスーツに再び着替えて、何処を探そうか考えながら車に乗り込んだ。そして、車を発進させようとした時に携帯メール用の着信音が鳴り出した。

 余り其れを利用しない俺にとってその音は珍しかった。何だろうと思いつつもその内容を確認すると、

『このメールを見たらすぐに、海星に来てください!』

 その内容はとても簡易な物だったけれども、そのシンプルさが逆に俺の頭を混乱させる。余計な事を考えずに即行で学校に向かった。

 高校に到着して、車を駐車場に廻すと、そこには仁科秋葉の車、ジャガーXJ8が停まっていた。俺は自分の車のドアを閉めると鍵をそのままにして校舎の中に入り、理事長室を目指した。すると、そこには・・・。

「うぅんっ?ぇえっ、確りしてくださいっ」

 理事長室の机にうつ伏せになる様に仁科秋葉が倒れていた。出血も酷い様だった。俺は駆け寄って彼女の容態を確認しようとした時に、机の隅に〝遺書〟と書かれた封筒を発見した。まさか、自殺?そう思って、それに手にしようとした時に仁科、彼女が苦しそうに俺に訴える。

「あっ、あぁああ・・・、アキラを追って、ここにいた・・・、二人があぶな・・・」

 彼女はそれ以上言葉を俺に向けてくれない。アキラ、二人が危ない?何のことだ?何のことも無い。彼女を殺ッた人物が其れを目撃した人物を追っている、って事だ。俺は彼女の刺された部分を着ていたスーツを脱いで両腕の袖で縛ると、理事長室から遺書を握ったまま出ていた。

 ズボンのポケットから携帯を取り出すと田名部に連絡を入れる。

「僕です、草壁です。即急に救急車を海星高校の理事室に廻してください。それと、高校周囲を閉鎖してください。直ぐにですよ、直ぐにっ!」

「ハッ、了解であります。本官も至急、そちらに出向します。では・・・」

 携帯電話と一緒に俺は遺書をポケットに仕舞い込むと、校舎内を駆け回り、人影を探した。

 窓の外を降りしきる雨、雷鳴も聞えてくる。外の天気の所為なのか人影が居く、暗闇の学校と言うのはなぜか、異常な不気味さを感じる。でも、そんな恐怖心は犯人を追うことだけで頭の中を占拠されている俺にとってどうって事はないよ。しかし、なんでこう、高々、高校如きでこんなにも広いんでしょうか?若し俺が移動している場所が仁科秋葉が追いかけて、と言った人物とは見当違いの方向だったら危険に晒されている二人を助け出す事が出来なくなってしまう。絶対それだけは嫌だ。もう嫌なんだ、そういうのは・・・・・・。

 もう、俺は種としての本能を剥き出しにして全身の神経を研ぎ澄まし空間に張り詰めた特殊な嫌気、緊迫した場が生み出す気配を敏感に感じ取って全力疾走でそっちの方に向かって行く。

 六棟もある校舎の内の一番後ろ、裏校門がある方の三階を走っていた時に、そちらの窓から見える校門付近から光のような物が見えた。よく目を凝らして確認すると人影が三人。逃げる二人と、それを追う一人。

「あれかっ!」

 普通に階段を下りては間に合いそうも無い。窓の外から身を乗り出してその下を確認する。クッションになってくれそうな物は何も見当たらない。駄目だ、飛び降りたら俺が怪我するだけだ。早くしろ、間に合わなくなるぞ。

 その時に俺の目に飛び込んで来てくれたのは火事などで脱出する時に使う緊急具。今は火事じゃないけど人の命が掛かった緊急時、それを使わない手はない。遣い方は解かっている。非常に簡単だ。ボタン一つ押せば後は勝手に設置してくれる。

 瞬間的に布袋が外に放り出されるとそれは地面へと降りる。俺はその布袋の中に入り一気に地上まで滑走した。着地した時にしたたか、お尻を打ちつけたが、その痛みに耐え、人影の方に走り出した。その校舎から三十メートル近くあったけど一気に走り出した。

 俺の目がはっきりと人影を確認できた時、刃物を持っていた男が其れを振りかざそうとした瞬間だった。襲われそうな二人はその二人が持っている懐中電灯の光の所為でよく確認できない。

「そこまでですっ!」

 言葉で言ったって止まる様な事はないって解かっていたから、口を動かすのと一緒に走りながら、携帯電話を思いっきり武器を持つ手にぶつけてやった。小さい頃から十何年間も野球のピッチャーをやっていたお陰で俺の投げた物は見事に命中してくれる。持っている物は落とし、その男は俺の携帯がぶち当たった手を痛みで押さえながら、痛みに顔を引き攣らせてこっちの方に向き直って狂気の目を投げつけてきた。

「そこの二人、左に避けてっ」

 走る速度の絶頂に達していた俺はそのまま刃物を持つ男にとび蹴りを食らわした。そして、彼はその勢いに吹っ飛ばされ、背にしていた何かの樹木に激突した。俺の方も殊の外、勢いが付き過ぎてそのまま男の方に倒れこんでしまう。それは校舎三階から、地面に降り立ってそうなるまで時間にして僅か十数秒の出来事だった。

 その後、高々二人の男が倒れこんだぐらいで地面が陥没する事なんてありえないと思うけど、それは起こってしまった。俺と男は地中に引きずりこまれる。・・・???なんだ、三人。数が合わないですね。俺は男の上に乗ったままその三人目を確認していた。

 三人目は紛れもなく人であるけど、白骨化している。衣服も地中の虫食いが酷いけど・・・、学校の制服だと言う事が分かる。まっ、まさか・・・。俺がその答えを見出そうとした時に上の方から声が聞えてきた。

「くさかべさぁ~~~ん、大丈夫ですかぁ?」

「その声と、その顔のキミは・・・、計斗君、何でキミが・・・」

 俺は俺の体の下敷きになっている男の両腕を後ろに廻させて、暴れない様にしてから、再び、計斗少年に言葉を向けようとすると、遠くからパトカーのサイレンの音が聞えてきて、其れは次第に大きくなり近くで停まった。

「草壁せんぱいっ!本官であります。お怪我はないでありますか?」

「僕のことより、先に手錠出して、この人を・・・」

「本官が、でありますか?」

「そうですよ、それは僕の仕事ではなくキミの仕事。ほら、早くしなさい。他のデカに手柄を持っていかれてしまいますよ」

「本官で宜しいで有りますか」

「良いから、早くしなさい」

 三メートル近くある穴に田名部はその長身を生かして、体半分を居れ手を伸ばすと、名前も顔も分からない・・・、顔も分からない?顔・・・?その男の顔を確認すると、記憶の片隅から其れを引っ張り出す。この男、確かに名前は知らないけど、計斗少年と初めて出会ったあの河川に来ていたこの学校の教師。

「草壁先輩、何を考え事をしているでありますか?早くそこから・・・」

「ああ、田辺君ありがとう」

 彼の腕に捕まり、スーツを泥だらけにしながらその穴から出してもらった。

 逮捕された男は田辺とは別の警察官二人に身柄を拘束されて、俺達のそばを離れようとしていた。その時、彼は一瞬俺の方を憎む様な視線を向けていた。そんな彼に俺は言ってやる言葉がある。

「しばらくの間、キミとはお別れです。ですが、直ぐに会う事になるでしょう。その時はキミを擁護する側ではなく、反対側に立っていますよ、きっと。覚悟していてくださいねっ」

 俺は胸を張り、右腕人差し指を強く突きつけると、毅然とした態度でそんな風に口を動かして言い放っていた。

 彼がパトカーに追いやられてから、田名部と計斗少年、そして、少年と一緒にいた女の子を連れて俺は校舎の用務員室を借りて、その場所で彼がどうしてここにいたのかを聞かせてもらった。

 その場所に居た用務員は計斗少年や、もう一人の女の子と顔見知りだったようで、泥だらけの俺にタオルを貸して拭え、って言ってくれた。更にお茶まで出してくれる。

 逮捕された教師の名前は仁科彰、仁科秋葉の子供の様だ。計斗少年が追っていた事件の被害者である・・・、確か紀伊さとみを殺害した犯人だと聞かされた。そして、彼女が殺害された理由が・・・、何の因果なのだろうか?十四年前に起きた昭元家事件の真相を調べ始め、その事実を知った為にその事件の犯人に口封じのために殺されてしまったと言う。その事件の犯人とは考え込まなくたってわかる。主犯は仁科彰、従犯が仁科秋葉。

 しかし、たった十七歳の少女が一人で昭元家事件の真相に迫っていたなんて、驚くべき才能だと感心してしまった。将来、紀伊さとみが警察や検事関係の仕事についていたならと思うと、惜しい人材を失ってしまったのだって、哀しい気分になってしまった。しかし、そんな気持ちも表情には出さない様にして、計斗少年に話を続けてもらった。

 紀伊さとみが事件の真相に至るまでにはもう一人の協力者がいたみたいだ。名前は教えてくれないけど、男の子でこの学校の生徒だった。そして、その学生も既にこの世を去ってしまっていると言う。しかし、計斗少年とあの河川で会ったのは四月七日、少年はたった十五日にして彼の追っていた事件を解決してしまう。それもまた、驚異的だね。

「計斗君、最終的な結論を聞かせてください。僕があの穴に落ちたときに一緒にいたあの遺体は誰の者なのですか?」

「俺にもそれは判らない。だって、あそこに死体が隠されてるなんて思っても居なかったから。俺が推理して思いついた場所はあの木の下じゃなくて直ぐ隣にあった学校と道路を分ける塀の中だったんだけど」

「田名部君、直ぐ特捜を呼んで壁を壊さないで、計斗君が言う場所を調べてください」

「ハッ、それでは本官は署に連絡を入れてくるで有ります」

 彼は元気良く返事をすると用務員室から出て行った。

「二人ともどうする?外はまだ土砂降りだし、計斗君が言った壁の場所が調べ終わるまで待ってくれるなら、僕が二人を送っていってあげてもいいですよ。どうせ、夘都木先輩は忙しそうで君達を迎えに来るって事は無いだろうしね」

「えっアぁッ、はい、そうさせてもらいます。瑞穂ちゃんも其れで良いだろう?」

「はい、わたしの方も宜しくお願いします」

「それじゃ、二人は暫くここで待っていてください。用務員さん、お茶、御馳走になりました」

 言って俺はその場所から出て、廊下に出た。そして、辺りを見回し誰も居ないことを確認して、さっき、理事長室から拝借した遺書を取り出してその中身を読み始めた。

 とても読みやすく綺麗な字でそれは数枚にわたってびっしりと綴られている。

『わたくし、仁科秋葉は教職員を続けてずっと、関係者皆様に教育者の鑑と言われ続けてきました。ですが、しかし、私にはその様なお言葉を戴ける程の者ではないのです。確かに私は海星高校を経営する者、そして、一教師として、常に学校で暮らす生徒たちの事を第一に考え、生徒達がこの学校で進学する為の勉学だけではなく、それ以外の多くの事も学べるように努力いたしました。しかし、しかし、其れは私自身が過去に犯した罪に対する贖罪でしかないのです。その様な私が教職者の鑑等とお呼ばれして良いはずがありません・・・』

『一九九七年七月二十日、東京都大田区久が原で火事が有りました・・・、自殺の為の。その時に亡くなられた方の家の姓は新田。家主は正孝。その方の妻の名前は夏月。それと、お子様をお二人お持ちになられていました。長男に彰、三歳下の長女、梓紗。そして、妻の旧姓は仁科。私の姉』

『私はその事件を知ったときに身を裂くような悲しみに囚われてしまったのです。私にとって大切な姉。其れに正孝さんはとても努力家で、姉だけでなく、いまだに独り身の私にも常によしなにしてくださいました。そして、子供の産めない身体の私にとって甥の彰君と、姪の梓紗ちゃんは自分の本当の子供の様に愛しかったからです。自殺の動機を警察の方に聞かされた時に私は自分の洞察力の無さを酷く蔑みました。お金に困っているならどうして私に相談してくれなかったのか、どうして親族に相談してくれなかったのか、私達なら数億の借金など直ぐにでも帳消しして差し上げましたのに。どうして、私がその事に気付いて上げられなかったのか悔やんでも、悔やみきれませんでした。ですけど、それを知ったとしても、姉も、正孝さんも私や親族の施しを受けてくれる事はないでしょう。姉は両親の反対を押し切って正孝さんと結婚をいたしました。そして、正孝さんは姉に無理をさせてしまった事に負い目を感じて、私以外の仁科家の者に近付く事は有りませんでした。その葬儀後、一本の電話を受け取るまで、ずっと私は夏季休校中の学校の理事の仕事を疎かにして泣き続けました』

『一九九七年七月二十八日、午後八時。泣き伏せている私の自宅内を電話が鳴り響く。でる気力などありませんでした。受話器を挙げなかった為に留守番電話が作動して、そちらの相手先の対応をして下さっていた。そして、その内容は〝雄太君は僕にとっても大事な友達だけど、昭元定次を許さない。僕は復讐してやる〟名前は告げてくれませんでした。ですけど、私がその声が何方の物であるか間違うはず有りません。確かにその声は亡くなった筈の甥の物でした。私はそのメッセージが何を意味していますのか気付くと、涙を拭いまして、直ぐに教え子の一人だった昭元雄太君の自宅に向わせていただきました。ですけれども、彰君が罪を犯してしまう事を停めるのには間に合いませんでした。更にそれだけでは無くて、私はその時、雄太君の家宅から飛び出して来た人影を轢いてしまったのです。・・・、ブレーキをお掛けしたのですが私の反応が遅すぎてしまいました。それも私の学校の行方不明だった生徒を・・・、そう、橘加奈さんを。私は余りにも気が動転しすぎて、逆に冷静になってしまいました。玄関には私の知らない男性の方が胸を真っ赤に染めて既に息を引き取っている御様子でした。其れを避ける様に雄太君の家に上がらせ戴きますと、彰君は呆然として、黙ったまま血の海を眺めていました。そこにも、男性が壁を背にぐったりとした状態で座っておりました。それだけではありません。その場には那智朱鳥さんが後頭部から血を流して、床に倒れていました。私は呆然としている彰君とぐったりしたままの朱鳥さん、そして、私が轢いてしまった加奈さんを車に乗せるとトランクに血の付着しておりました包丁とは違う大き目の刃物と、大きくて重いガラスの灰皿をしまって、私と、彰君の足跡を出来るだけ消すと直ぐにその場を離れたのです』

『それから、彰君に着せる為の服を買いまして、そのまま学校へと向ったのです。裏門の鍵を開けて、運動部の生徒達が部活後に使用なされるシャワー室で彰君が体を綺麗にしている間に、血まみれとなってしまいました甥の服を焼却炉の奥に投げ込みました。しかし、刃物やガラスの灰皿をそこに置いても残ってしまう事は直ぐに解かっていましたのでそれはしませんでした。ですが、そちらを何時までも持っている訳には行かなく、どういたしましょうかと考えた末に思い立ちました事は、修理中の裏門の壁に埋めてしまえば良いと思ったのです。幸い何箇所かあった穴の内、一つだけ壁が乾いていない物が有りました。その中にナイフと灰皿を入れて近くにおきっぱなしで有りました道具を使いまして、私なりにやってみたのですが上手くいかず、元の様な形には戻ってくれませんでした。そして、私は裏門の穴の修理をお願いしていました用務員の一人、沼澤康介さんをお呼びして、直ぐに其れを補修していただいたのです。次に既に息を引き取ってしまっています二人の女の子の死体。裏校門も見栄えよくいたしましょうという風に決定していて、夏季休校が終わる前に樹木を壁に沿って植え込む事になっていました。其の為に、まだ大きく掘り起こされたままになっています穴に埋めてしまいましょうと思った私は車に戻ったのですが、大変な事態が起こっていたのです。朱鳥さんの遺体だけがどこかに消えてしまっていました。車の周りをよく確認いたしますと血の後がポツリポツリと続いていたのです。もしや、彼女はまだ生きていますのではとその後を追ったのですが、それは途中で消えていました。私は加奈さんの遺体だけを穴の隅に隠して、全体に土をかけて解からなくした。後は明日にでも私が監督しながら、その場所に木を植えさせる事に決めますと彰君を連れて私の家に帰宅したのです』

『翌日七月二十九日。昭元一家が殺害された事で、どの様な関係があって沼澤さんに容疑者の一人として挙げられましたのか、私には存じませんが、私と会う前の彼はアリバイが曖昧のようでしたけれど、私が保証人として彼に掛けられた嫌疑を拭い去って差し上げました。だって、沼澤さんは本当に関係ありませんもの。そして、十四年経った今も、彼は十四年前の事を調べていました紀伊さとみさと明智肇くんを殺害した犯人として容疑をかけられてしまったのです。本当に彼には御迷惑をおかけしてしまいましたと心からお詫びしたく思います』

『私は十四年前の事件後、彰君を養子にいたしますと、嫌な事をすべて忘れさせてあげたくて、音楽の好きな甥をオーストリアに留学させました。そして、私は暇を見つければどんなに僅かな時間でも遠くに離れたそのお国に足を運ばせていただいたのです』

『ですが、私のその思いは大きな過ちでした。十四年前に彰君を警察から隠して、今までそうし続けてきた事で、彼は再び、彼の手で人を殺めさせてしまったのです。確かに、彰君は内の生徒に手をかけてしまいました。ですが、その様な行動をさせてしまいましたのは紛れもなく私のせいなのです。彰君が昔の罪をその時に償っていれば今回の様な事件は起こりえない事でありましたから。十四年前の事件が、十四年前に解決していましたら、どの様な経緯で至ったのかは存じませんけれども、さとみさんも肇くんもその事件に関わる事は無かったはずですから』

『そして、二人の生徒が事件に巻き込まれたとニュース番組に報道された翌日に内の卒業生であります橋場雅巳君が訊ねて参りました。彼は私の前で哀しそうな瞳を向けて〝この学校は不幸の塊だな。また死人か?俺は解かってるんだぜ。新田、違うねぇ、今は仁科彰っていった方が良いのかなぁ?いっとけどなぁ、俺はあんたを脅しにきたわけじゃねえからな。もう観念しろよ。俺知ってるぜ、時効って海外に逃げている時の間ってそれには関係ないんだってね。さっさと認めちまえよ。このまま、それを迎えてもあいつはまた、何時か絶対人殺すぜ〟と言葉にしてきたのです。ですが、私は義理でも母親としての情が強くて、それを拒否し、私の方から多額の口止め料を彼にお渡しして、その場をお引取り願ったのです。ですが、彼は数日に一回必ず私の所に来て、同じ事を繰り返してお言いになるのでした。私はその度にその場しのぎの為に口止め料を出していました。しかし、私と橋場君の遣り取りが彰君には強請りに見えてしまったと気付いた時には彰君は再び、その手を赤く染めてしまっていました。もう、私、独りでは庇いきれません事を理解してしまった時は何もかも遅すぎたのです』

『私は身内の不祥事を知られて、私の罪が皆様に知られたまま、生き続けられます程、強くは有りません。どうか、法の裁きをお受けせずに、自ら命を絶つ事をお許しください。仁科家親族の皆様、不名誉な行いをして、家名を汚してしまったことを深くお詫びします。お父様、お母様、先立つ不幸をお許しください。最後に夏月お姉様の元に先に逝く事をお許しください』

『最後に不躾なお願いを書かせていただきます。これをお読みになって下さった方へ。どうか、どうか、わたくし、仁科秋葉が心の底から、私の息子、仁科彰・・・、いえそれは違いますね、私の甥で姉、夏月の子供新田彰君に、私が深く謝罪していたとお伝えください』

 仁科秋葉の手記は過去の告知文だった。この遺書によって俺はすべての事を知った。そして、俺の推測推理がそれほど外れていない事を確認できた。だけど、俺に見られたのは最大の不幸だね。その言葉を俺から言ってやる事はない。殺傷事件の内、未遂や被害者側が助かり、身体的に何の障害も無く未来に生きて行く事が出来て、尚且つ心的外傷が其れほど大きい物で無いなら、まだ、情状酌量の余地もあるけど、完全に人の未来を奪ってしまった人物には容赦はしない。

 確かに恨みを晴らしたいって気持ちは俺自身痛いほど判る。でも、そんな感情を押し殺してでも人の道に外れる事はしてはだめなんです。だから、俺の口から新田彰にその言葉を言ってやる事はないんですよ。

 しかし、まあ、その感情を抑制できない方々が多いから怨恨による殺人事件は今でも、突発殺人事件よりも件数が多いんですけどね。

「はぁ~~~、そうすると橋場雅巳が残してくれたあのメッセージは新田彰と仁科秋葉二人を指すモノだったのだろうか?でも、その真相は彼が居なくなってしまった以上は闇の中ですか・・・」

 あの壁の中に有るのは当時の凶器だけだと解かった俺は田名部に挨拶をして、計斗少年と彼と一緒に居た女の子を連れて霞流探偵事務所へと向った。

 夘都木先輩の事務所には先輩自身が戻って来ていた様だった。ゆっくりと先輩と会話したかったけど、俺にはまだやる事がある。だから、軽い挨拶だけを交わすと直ぐにその場から去っていた。

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