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 別段、気にしてなんてなかった。

 誰かに盗まれていようと、風に飛ばされていようと捨てられていようと、どうでもかった。

 だから、ノートが消えていても、バッグを軽く漁ったりこそすれど、ぐにあきらめ、新しい小説を探しに行ったのだ。



 俺にとって大事なのは『ノート自体』でも『怪文書』でもなく、『文字を書けるようになった』という事実、進歩、回復だから。

 ゆえに、意に介してなんていなかった。



 ーー自分の教室の黒板のど真ん中に、飾られているのを見るまでは。



 ご丁寧に、所狭しとチョークで罵詈雑言コメントを付け足した上で。



なにこれ、きっも」

「意味不明だし無駄に長過ぎ」

「告ハラうっざ」

「くっだらなっ」



 黒板に描かれ誹謗中傷が脳内再生され、心が抉られる。



 頭が痛い。

 目眩がする。

 呼吸が覚束おぼつかない。

 


 なんだ?

 なんなんだ? この状況は。

 どうして、こんなことになった?

 俺は今まで、地味に過ごして来たじゃないか。

 誰にも、迷惑なんて掛けてないじゃないか。



 などと思っていると、フラフラしている体を、男子に蹴られた。

 そいつは、腹にグリグリと踵を押し付けて来て、愉悦に満ちた表情をしていた。



「これ、誰宛?

 誰に向かって、書いてんの?」

「ちがっ……。

 あれは、小説の……」

「小説ぅ?」



 おどけた雰囲気とは裏腹に足を振り被り、俺の体をサッカーボールに見立てて思いっ切り蹴る。

 背中を壁に強打し、吐血しかけた。

 


「ヒュー」

「ナイッシュー」

馬鹿バカ言え、ゴールし損ねたっつの。

 あいつ、まだ生きてんだろが」



 囃し立てるギャラリー。

 よく見れば、他のクラスメートたちも、コピペでもしてるかのごとく、似た顔色だった。



 ああ。そうか。

 誰でも、なんでもかったんだ。

 ただ、退屈凌ぎに、元来のおびただしい暴力性を発散、解放し、自己の優位性を見せびらかしたかったんだ。

 けなんて、その程度でかったんだ。



 ここは元々、そういう場所だったんだ。



「でさぁ、『タサカ』くんさぁ。

 あれ、『タザカ』だっけ?

 面倒だから、今日から『ダサカ』な。

 つーわけで、ダサカよぉ」



 俺に近付いて来て、毟りそうな握力で髪をひんづかみ、男子はげる。



「お前、二次にじコンだったの?

 終わってんなぁ。

 そんなだから、ボッチなんだよ

 流石さすが、ダサカくん。

 逆に尊敬するわぁ」



 ……ここは、理不尽だ。

 俺だけで、楽しんでたにぎないのに。

 誰にも話したり、迷惑掛けたりしてないのに。

 向こうが、面白半分で甚振いたぶって来てるだけなのに。

 そんなやつが、さも英雄、正義、人気者みたいに持て囃され、称賛される。

 そいつに合わせて、クラスが一丸になって、手拍子しながら『ダサカ・コール』をして来る。

 


 そんな連中に限って、しくてしくて堪らなかった、言葉を沢山たくさん、持ってたりする。

 黒板を、俺の視界を、埋め尽くさんばかりに占領、独占してたりする。



「……ぁ……」



 文字が。

 俺の頭の中に広がっていたピースが、音を立てて崩れ去り、消滅して行く。

 あとに残ったのは、空っぽで真っ白な世界だけ。



 空白だけが、俺の眼前に、途方もく広がっていた。

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