第0夜「メイテイ」

0-1

 昔から、感情という物に、どうにもうとかった。

 他者に対してもそうだけど、取り分け自分に関して、機微がつかにくかった。



 物心が付き始めたタイミングで、両親を交通事故で同時に亡くしたのが原因だと思う。

 それも、お喋りに夢中になるあまり、ガードレールを突き破った車に気付かず、俺を庇う態勢を両親に取らせてしまったばっかりに。 



 違う。

 君は悪くない。

 みんなこぞって、そう言ってくれる。



 けど、俺は未だに自分を責め続けている。

 父さんと母さんが死んだのは、俺のお喋りの所為せいに違いないと。



 だから、言葉が。

 誰かと喋るのが怖く、嫌いになってしまった。



 それは、高校生になってからも同様で。

 その愚鈍さ、会話やコミュニケーションの下手ヘタさにより、周囲から明らかに浮いていた。



 俺が送り続けていたのは、そういう学校生活だった。



蛍音けいと

 学校の方は、どうだ?」



 食事中、不意にジジに尋ねられる。

 軽く咽てから、即座に取り繕う。



「どう、って……なにが?」

「友達は出来できたか?

 彼女とか?」

「べ、別に……普通だよ。

 今まで通り……」

「そうか……」



 言葉にこそ出さないが、見るからに気落ちするジジ。

 隣でババも、神妙な面持ちだった。



 あ……と思った時には、すでに手遅れだった。



 改まって言うまでもいだろうが。

 これまでの人生において友達、彼女などという特別な存在が出来できことは、一度たりともい。



 そもそも、『Sleapスリープ』が一般的になり、慣習化された、このリモート時代に。

 リアルで遊びたがる層など、どの程度、現存していることか。

 どう考えても『Sleapスリープ』の方が、財布にもスケジュールにも心身的にも負担が少ないのに。

 

 

 決して、居直っているわけではない。

 だからといって、特に不満、不安はかったし、クラスメートと最低限のやり取りはしていたし、大して不便はいと思っていた。

 ……放課後や休日に遊びに誘われたりはしなかったし、ゲームばっかやってる帰宅部だったけど。



 ただ、そんな俺も、もう高校生。

 あと数年で大学生、あるいは大人として、社会に進出することになる。

 であれば、このままというのは、いくなんでも好ましくない。

 どんな業種だろうと、仕事すればいやでもフレンドリーさが求められる。

 クラスや学科は同じでも、授業が選択式に変化する以上、大学も同じ。

 今までのように、ほとんど毎日、顔を突き合わせて、話を聞いたりノートに纏めたりと受け身、受動的なだけではいられないのだ。



 それに、歳を重ねればおのずと、体力も財力も気力も減って行く。

 同級生や同僚と遊びに行こうにも精々せいぜい、月一とか隔週とか、そのくらいのペースになる。

 放課後に買食いしたり休みに出掛けたりと、そんな冒険は不可能になる。

 現状とは、何もかもが異なってしまうのだ。



 ……いや。そうじゃない。

 そんな、言い訳染みた理屈とか、大人った分析とか、そういうんじゃなくて。

 ただ単純に、寂しいのだ。

 


 小、中と来て、流石さすがに高校まで無味乾燥なのは不味まずいだろう。

 手遅れながら危機感を覚えた俺は、えず小説を読んでみることにした。

 話術の参考になるのではないか、それが無理でも話のネタくらいには、と思ったからだ。



 というわけで、ずは図書室を物色することにした。



 何か、こう……無いだろうか?

 インパクトがって、面白そうで、誰かに推薦したくなる、意味を知ってから改めて読み返したくなるようなタイトルの本は。



 などと思っていると、恋愛もののコーナーで、それらしい物を見付けた。

 題名はズバリ、『私が終わるまで、付き合って』。



 ……悲恋物だろうか?

 見た感じ、『難病を理由にヒロインが、意中の男子と、偽の恋人関係を結ぶ』チックな話のようだが。

 


 泣ける系は、女子ウケが良さそう。

 となれば、それ目当てで男子も食い付きそう。

 実写化された暁には、あわよくば映画ワンチャン、主演イケメン目的で誘えそうとか、思いそう。

 


 そんなわけで、思い切って手に取って見て、あらすじに目を通してみる。



『大学二年の空閑くが 大翼だいすけは、学園一の美女、五十公野いずみの なぎに一目惚れする。

 男女問わず人気のなぎに恋人が出来できないのには、とある理由がった。

あたしが退屈したら、いつでも撤収、サしゅうしてもい。この絶対ぜったい条件を呑んでくれるなら、君の行動次第であたしが自殺してもいなら、付き合いましょう」

 かくして大翼だいすけの、なぎに振り回される毎日が始まる。

 彼女を、退屈さしゅうさせないために』



 思わず、声が出そうになった。

 あまりに、予想外ぎて。

 そして、それ以上に自分向き、好みぎて。



 わけが分からない。

 放っておいても、断っても死にそうだからというのは頷けるが、なんりにって、こんな問題児と交際したいと思うのか。

 こんな条件を出していたら、誰も付き合おうとしないのは当然だし、「フラれた腹いせに妙な噂をでっち上げ株を暴落させようとしてるクズ」などとあらぬ誤解を持たれたくないあまり、大っぴらには明かせないのは必然じゃないか。

 そして、思わせ振りなタイトルで釣っておいて、裏表紙あらすじで早々に明かしていくスタイルは、ちょっと攻めぎ、いさぎよぎじゃないか。

 さらに、こんな、なんとも人に薦めづらい小説を初手から引き当てる辺り、自分は本当ほんとうに捻くれているじゃないかと。

 言いたいことは、山程ほどる。



 でも、まぁ、なんだ。

 こうして導かれたのも、なにかの縁だ。

 それに、気になる内容ではある。

 折角せっかくだし、読んでみよう。

 念の為と用意していたブックカバーを掛け、ペシミスト疑惑が浮上するのを避けた上で。



 こうして、この日から図書室で読書に明け暮れる日常が始まった。



 やがて早朝の、委員すらない図書室で、窓から入り込んだ風でカーテンと髪を揺らしながら読み終え、背凭れに体を預け、一息く。

 


 正直、面白かった。

 来る日も来る日も、ダラダラとゲームにばかり勤しんでいた自分にとって、すべてが新鮮で、劇的で、魅力的だった(ゲームもゲームで楽しかったけど)。

 告白シーンから物語が紡がれるのも、最終的にヒロインが涙ながらに「生きたい」と叫ぶシーンも、胸を打たれた。

 両親を看取ることだけを生き甲斐にしていたヒロインが、天涯孤独となり惰性的に生きていた所を、「だったら、今度は俺のために生きてくれよ」と懇願する主人公の格好かっこ良さたるや。



 まさか、白黒と文字だけで構成された世界が、こんなにもリアルで、カラフルで、賑やかで、生き生きしていて、ここまで没入するとは、夢にも思わなかった。

 さながら、禁断の箱でも開けたかのごとき中毒性の高さ。

 


 なんて考えて、はたと気付きづいた。

 もしかして今、自分は喋れている?

 感想を、言葉を連ねられている?

 いや……思い返してみれば、最初から長めにツッコんでいたよーな……?



 これだ。

 自分が絶えず探し求めていた世界、答えは、本の中にこそったのだと。

 通りで、今まで見付からなかったはずだと。



 そこまで来て、俺の頭の中に、恐ろしいアイデアが浮かぶ。  



 もし。

 もし自分が、物語を書いたら。

 自分が思うままに、自分の好きなように、言葉を並べたら。

 もしかしたら、感情を理解出来できるのではないか、と。

 


 自分は今度こそ、誰かと一緒に、特別になれるのではないか、と。



 腕時計の示す時間は、まだ午前七時半。

 ホーム・ルームまで、あと一時間弱。



 流石さすがに完結までは敵わずとも、プロローグくらいなら。

 覚悟を決め、まだ名前すら書いていない真新しいノートに向かい、シャーペンと消しゴムを用意し、見様見真似で執筆を試みる。



 もりだったが、無理だった。

 ノートに触れたペン先が、微動だにしなかったのだ。



 どうして?

 文字は、気持ちは、不鮮明ながらも溢れているのに。



 きっと、あれだ。

 最初から長編に挑んでいるから、駄目ダメなんだ。

 もっとシンプルに、軽い気持ちで、短編から始めてみよう。

 と自分に言い聞かせ、気持ちを新たに、ペンを構える。



 結果は同じ。

 やはり、具現化は敵わなかった。



 こうなったら、と躍起になった。

 小説じゃなくてもい。

 一言、たった一言、それらしい台詞セリフを掛けさえすればい。



 そんな調子で大分ハードルを下げ、そこまで譲歩してようやく、梃子でも動きそうになかったシャーペンが横に移動する。



『あなたが好きです』



「……」



 しばらく眺め、堪らず吹き出した。



 なんだ、これは。

 いくなんでも、稚拙、抽象的、直接的過ぎる。

 こんな、なんでもない、ありふれた一言が、作家人生のスタート地点にして、け?

 冗談じゃない。



『あなたの声が好きです』

『あなたの口調、言葉選びが好きです』

『あなたの髪が好きです』

『あなたの優しい所が好きです』

『あなたの強かさが好きです』

『あなたの歌が好きです』

『あなたのギャップが好きです』



「……」



 具体的には、なった。

 が、いささか面白みに欠ける。

 もっと、意外性、独自性がしい。

 


 こうなったら、感想を書くことにしよう。

 丁度、この本の作者やヒロインに手紙を送る、みたいな感覚で。

 


『あなたの、人間関係や恋愛を「無料ダウンロード」「課金」、自らを「アンスト」「ノイキャン」「サしゅう」などと称する、自分をマシン、アプリ扱いする達観的な所が好きです』



『あなたの、「エアコンの風みたいに作られた息苦しい言葉より、外気みたいな、生々しく騒々しい言葉が好き」と言う、付き合う理由が好きです』



『あなたの、飴を噛み砕くくせが好きです。「嫌いな連中の悲鳴を聞いてるみたいでスッキリするから」という物騒で意味深な発言からして、どうやら飴を見立てているらしいのもセットで好きです』



『オーケーサインが「互いに車の窓を開けたら」な所が好きです。

 ラストで、二人が何気無い会話をしつつ、真冬に窓を全開にして暖房は付けている所が、意味分からないのに分かり味過ぎて好きです。

「冷えたから」という大義名分を得て、肌を寄せ合い、今度こそ身も心も結ばれる、しめやかなエピローグが好きです』



『あなたの、時代錯誤なまでに女性らしい丁寧な話し方が好きです。

 特に、「けど」ではなく「けれど」な所が好きです』



『あなたの、「女子」ではなく「女性」として扱ってしがる所が好きです』



『あなたの、「校門」「ミス○」「紅茶」と、電話やメッセで開口一番に主語しか告げず、説明不足な所が好きです。「ラグい」なんて文句垂れながら、うれしそうにハンカチで汗を拭ってくれる、ちょっと女王様、お姉様気質な所が好きです』



『あなたの、気分屋で自分勝手で直情的で怠惰な割に、意外と気遣い屋な面が好きです。特に、会計を別々にして割り勘にさえしない所とか、早朝や真夜中に呼び出したら決まって珈琲をサービスしてくれる所が好きです。でも、素直に感謝を伝えられないので、わざとプルタブを開けて飲み掛けを装うけどバレバレな所が、いじらしくて好きです』



『あなたの魔性さが好きです。初デートから自宅に誘い、速攻で押し倒して来る所はドキドキしたし、ぐに正気に戻って何食わぬ顔で、美味しくて健康的な御飯を振る舞い、「君は長生きしなさいよ」と揶揄からかって頭を撫でて来る所が、笑っちゃうくらいに好きです』



『「ダラッシャ」という口癖が好きです。それを主人公に言われて、恥ずかしそうに「……うん」と返し、キスをするラストが大好きです』



 といった具合に夢中になって書いていると、不意に用足しをしたくなった。



 ノートをしまいたい。

 が、こんな肝心な時に、トケータイが充電切れ。

 これでは、デジタライズが出来できない。



 しかし、無防備にしておくのは思わしくない。

 かといって、トケータイが鞄、筆箱としても機能している以上、隠せそうな物もい。



 仕方しかたく、死角に隠れるように立て掛け。

 そのまま、トイレに駆け込んだ。



 誰にも気付かれない、気にも留められないと過信していた、俺のノート。

 戻って来た時には、それが無くなったいるとも知らずに。 

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