飼われた狼は犬になる(3)
「誰か!誰かいないか!?」
大声と共に入って来たのは野良犬と見まごうばかりの風貌の男であった。全身はずぶ濡れで、髪も肌も泥だらけである。
男は倒れこむように玄関ホールに足を踏み入れ、傍らに抱えるもう一人の男をその場に降ろす。
「ちょっとなんですか?傷だらけじゃないですか!?救急車、救急車の手配を!」
沙那は横たわる男の姿を見て慌てふためく。顔は青白く呼吸も荒い、出血が酷く着ているシャツは半分以上赤く染まっていた。血は未だに止まっていないのか床まで赤く染めていく。
沙那は傷口を探し出し手で圧迫しながら止血を試みる。
「怪しい奴らがいると思って戻って来てみれば、やっぱり厄介ごとか」
騒ぎを嗅ぎつけて清十郎が玄関から現れる。その手には買い物袋をぶら下げていた。
「む?清十郎、その匂いは肉まんじゃな?」
「雨の中わざわざ買ってきたんだ、味わって食えよ」
バエルは清十郎の話しもそこそこに、すでに袋を奪って肉まんを頬張っていた。
「ちょっと二人とも呑気に食べてないで手伝って下さい」
そんないつも通りの二人を見て沙那は声を荒げる。
清十郎は面倒くさそうに倒れた男性に目を向けるた後、バエルに目配せする。バエルは心中を察したのか頷いて清十郎に応える。
「よし、俺が代わる。お前は救急車手配しろ」
「代わるってどうにか出来るんですか?」
「まぁ任せろ」
半信半疑で清十郎に場所を譲ると彼は手際よく応急処置をこなしていく。その手際は確かに自慢するだけのことはあり、沙那の出る幕はなかった。
「神為さんって元救急隊員とかですか?」
沙那はティティスに尋ねる。
「違うわよ、ただ知識を得ているだけよ」
沙那の清十郎に対する謎は深まるばかりであった。
出来ることが終わる頃にはサイレンの音も聞こえ始め、程なくして救急隊が到着した。
傷だらけの男は一人救急車で運ばれ、もう一人の男は病院の場所だけ聞いてこの場に残った。
「すまない、助かった」
泥だらけの男は頭を下げる。
「それを言うためにここに残った訳じゃないだろ?」
血のついたシャツを着替えながら清十郎は男に尋ねる。
「わざわざ怪我人を背負って病院でもないこんな辺鄙な建物に来たんだ。それなりの訳があるんだろ?」
「辺鄙で悪かったわね」
清十郎の後ろでティティスが睨みながら言う。
「それってやっぱり調停の依頼ですか?」
沙那は恐る恐る口にする。
「しかも悪魔側からの申し入れじゃ。そうじゃろ、駄犬よ」
バエルは挑発するかの如く言い放つ。
「うるさいぞ雌猫、お前がいると分かっていればここには来なかった」
「それが悪魔にものを頼む態度か、主人の躾がなってないみたいじゃのぉ」
バエルと男はお互いが牙を剥きだしにして牽制しあう。
その二人を止めることは人間の沙那には出来なく、助けを求めるようにティティスに向き直る。
「二人ともそこまでよ、バエル、護るべき用心棒の貴方が喧嘩を吹っかけてどうするの」
ティティスの正論にバエルは口を紡ぐ。
「それとアナタ、グラシャ=ラボラスね?」
「あぁ、そうだ。」
ボラスは自らの正体を明かす。
「それで悪魔がどうしてここに?さっき怪我で運ばれた奴が契約者だろ?処置している最中体に刻まれた印章を確認した」
清十郎はボラスに語りかける。
「あぁ、実はアイツを、宗一を助けてやって欲しいんだ」
ボラスの言葉にティティスとバエルは目を丸くしする。沙那はそんな二人を不思議に思い、清十郎に語りかける。
「二人は何を驚いてるんですか?」
「グラシャ=ラボラスといえば残忍で有名だ。一説によれば呼び出したものですらその牙にかけたとか。そんな奴が人助けとは耳を疑って当然だ」
清十郎の話を聞いて沙那も納得する。
「お前、何を企んでるんじゃ?」
バエルが不審に思って聞き返す。
「本来の契約として宗一は自分の命をかけていた、もちろん最初は大歓迎だったさ。組織の抗争の手伝いで人は殺し放題だし、最後には契約者もやれるなんてこんな最高な依頼はないからな」
嬉しいという話の内容とは裏腹に、ラボスの声は沈んでいきだんだんと思い詰めるように言葉をつなげていた。
「それなのに一体どうして心変わりしたの?」
沙那は辛そうなラボスの話を遮って質問する。
「宗一は俺なんだよ、どう転んでも救いのない俺と同じなんだ」
まるで自分の事のようにボラスは心配している。
「そうか、最近話題の不二澤組襲撃の件か」
清十郎は、ボラスの話を聞いて思い当たる節があるのか話し出した。
「そもそも彼の傷は事故とかで負ったものじゃなかったからな、創傷、銃槍があった。そんな傷を負う出来事なんてたかが知れてる」
「確か犯人については敵対組織の利根川組の構成員が疑われてるけど確たる証拠はないとか」
沙那も自らの把握している情報を語る。
「あぁ、最初は宗一も襲撃が成功すれば利根川組の幹部として迎え入れられると思っていた。だが、事態はそんな簡単じゃなかった。今となってはその利根川組からも追われてる、信じてたものに裏切られて奴はもう自暴自棄なんだ。宗一はすでに生を諦めている、信じていた者に裏切られて死を迎え入れようしている。そんな姿が不憫でならねぇ」
ボラスの声は悲しみに震え、遠吠えのような悲しみはその場の人々に響いた。
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