悪魔は裏切らない(6)

清十郎の提案に使い魔は呆気にとられるが、啖呵を切った手前しぶしぶ主人を呼ぶこととなった。

使い魔の鷲がブツブツ呟くとしばらくして玄関のドアが勢いよく開かれる音がした。


「我を呼びつけておいて出迎えもなしとは、つくづく下賤よの」


三人が急いで玄関ホールに駆け付けると、そこには黒の外套に身を包み身なりの整った白髪の老人が佇んでいた。


「なんだ、人もおるではないか」


「あなたは、そう、ようこそアガレス伯爵。お会いできて光栄ですわ」


悪魔の正体を瞬時に見抜き、ティティスが挨拶を交わす。


「先ほどから違和感を感じていたが、そうかこれが調停の力か、ということは貴様がボティスか」


「伯爵にまで名前を知られているとは光栄ですわ、ここではティティスと名乗っております」


「人の世に紛れて暮らすとは、噂に違わぬ変わり者だな。今回は暴れる気もない、大人しく話し合いの場に着くとしよう」


「ご配慮痛み入ります。本日は用心棒も不在のため、大変助かります」


妙に緊張感漂う空気でアガレスとティティスが話を進める。


「し、渋い・・・」


「おい、命を狙われている相手に魅了されてどうする。魂まで売り渡す気か!」


アガレスに見とれる沙那に対して清十郎は釘をさす。

そうこうしているうちに、ティティスとアガレスは話し合いの場を移すべく会議室へと向かっていた。

清十郎たちも慌てて彼らの後を追って二階中央に位置する部屋へと向かった。


大きなテーブルが向かい合っている室内に人と悪魔が揃って座る。重苦しい空気を沙那は感じているが、清十郎は何食わぬ顔で座っている。唯一の同族である彼がここまで落ち着いていることが沙那の中では逞しく思えた。


「さて、わざわざこのような場に呼び出して何ようかな?」


アガレスの何気なくも威圧感のある声が室内に響く。


「何用って、ここは調停所なんだから今アンタが受けてる契約についてに話し合うに決まってるだろ」


アガレスの質問に清十郎が乱暴に答える、その姿勢に沙那は相手を刺激しないかと肝を冷やした。


「ちょっとあんまり刺激しないほうがいいんじゃない?」


「これでも気を使っているつもりだ」


ティティスは、そんな沙那と清十郎のやり取りを横目に微笑んでいた。


「騒がしくてすみませんね」


「いや、構わん少し昔を懐かしんでいた」


アガレスは年相応の落ち着きで優雅に座っている。悪魔の年齢が実際にはどのくらいなのか沙那には計り知れなかったが、自分より上な事は間違いない。


「それで今回の契約についてですが、報酬を要求している事を鑑みるとすでに貴殿の仕事は終わってるという認識でよろしいですか」


清十郎に話させると肝が冷えるので沙那が代わりにアガレスへ質問をする。


「仕事とは、ずいぶん低俗な物言いをするのだな。悪魔との契約はもっと崇高なもの、人が賭けるものに値する働きを約束するものだ」


アガレスは心外だとった感じで否定して見せた。沙那はこの悪魔の性格を少し垣間見た気がした。


「こっちは場合によって一つしかない命を懸けてお願いしているんだ、それなりの働きをしてもらわないと割に合わないからな」


「うむ、賭けるものの価値をちゃんと熟知しておる」


清十郎の言葉にアガレスはさも当然と答える。


「悪魔にとって契約が絶対なように、人間にも絶対守るべき法がある。悪いが今回アンタに支払われる報酬はもともと宮脇の手にないものだ、彼女の命は彼女だけのものだ」


清十郎は力強い言葉でアガレスに対抗する。


「何を言うかと思えば、確かにあの男の元でそこの娘の命を預かっている主従契約を確認した」


「まったく、何年前の知識だよ。あんた等にとっては一瞬のことだろうけど、人間の長い社会の歴史ではすでに奴隷契約は無効なのさ。時代錯誤も甚だしい、あっさり騙されやがって」


「なんだと!?毎月少額の金銭で長時間酷使され、得た利益は主人が吸い上げる。それなのに奴隷ではないのか?」


アガレスは心底驚いたように答えた。


「アガレス様、確かにあなたの目には一部の特権階級が贅を尽くし、それに多くの人が虐げられているように写っているかもしれません。しかし、すべてを捧げているわけではないのです、ある者は有り余る力を、ある者は得意な才能を、ある者は自らの時間を対価として生きているんです。そこには精神・肉体的苦痛も、ましてや命を脅かす契約なんて含まれていないんです」


沙那は優しくアガレスを諭す。アガレスも時代の変化に驚き、しばし口を紡いでいる。


「契約を急ぐ気持ちも分かるが、暫く時間をくれないか?この時代の事を知ってからでも遅くはないだろ、コイツも逃げも隠れもしないから」


清十郎は隣に座る沙那を叩いて言う。人の命だと思って軽く言う清十郎に沙那は怒りの目線を向けていた。


「まさか人の世が数百年ほどでそこまで変わるとは、わかった、しばしこの世界を見てみることにしよう」


アガレスはしばらく考えた後、清十郎たちの意見を受け入れた。


「儂も歳をとったせいか急ぎすぎたな、すっかり周りを見る目も衰えた」


「いえ、寛大な処置に感謝いたします」


「しかしまだお主の命諦めたわけではないぞ、じっくり見させてもらった後、やはり正当な報酬であったと判断されれば容赦なく頂く」


沙那の気の早いお礼にアガレスは得物を狙うような目を向ける。


「その時は法を預かる者として、この身を捧げます」


沙那の目には意思が宿り、力強くアガレスを見つめていた。


「命をかけないと言っておきながら、信念をかけた力強い顔付きをする。本当に人間はわからんな」


アガレスはそう言うと静かに席を立ち、ゆっくりと出口に向かって歩いて行った。ティティスが手を差し伸べるが、彼はそれを振り払い夜の闇へと消えていく。


「話の分からない爺さんじゃないし、公平な判断を下してくれるだろう」


「でも、私への要求が途絶えるってとこは」


「あぁ、弁護士先生の元へ行くだろうな。自業自得さ、何の代償もなしに悪魔の力を使ってたんだ」


「何とかならないかしら」


「アンタもお人好しだね、そうやって何でも首突っ込むから今回みたいなことに巻き込まれるんだ。失ってから気付いても遅いんだぞ」


清十郎の言葉は夜の闇より暗く重くその場に響いた。


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「はい、どうぞ開いてますよ」


晴れた日の昼下がり、仕事にひと段落ついた宮脇の部屋に控えめなノック音が響く。宮脇は機嫌よく挨拶し来客を部屋へと招き入れる。


「仕事中恐れ入るよ、本来は終わった後に来るべきだが生憎鳥目でね、暗がりが苦手なんだ」


そう言って入ってきたアガレスだが目は笑っていなく、すでにその目は獲物を捕らえて光り輝いていた。

すでにその瞳から逃れる術を失った宮脇は、海中に沈められ吸い込む空気が尽きたかのように、恐怖に支配されて言葉を失っていった。


「どうしたのかね?君のお得意のおしゃべりはまだ可能だぞ、何か言ってみたらどうかね」


アガレスは獲物を弄ぶかの如く不敵に笑っている。


「どうして?私はちゃんと報酬を払った。いまさらアンタに狙われる覚えはない」


「最後の最後が言い訳か、彼女とは器の違いが知れたな。悪いが未だ報酬は未払いでね、督促状は出せなかったがこの場で徴収させて頂くよ」


アガレスは皺だらけの手を伸ばし未だデスクに腰掛ける宮脇の頭の上に置いた。宮脇は抵抗することも出来ず、声にならない声を上げ続けていた。


宮脇法律事務所にはたくさんの警察が詰め寄っていた、今まで行ってきた数々の悪事がリークされ捜査の手が宮脇に及んだためだった。

そんな押し寄せる警察官の波をものともせず、老人は事務所からゆっくりと出てくる。彼は目の前に立つ女性に気付き笑顔を向けた。


「彼に報いを受けさせたんですね」


沙那は目の前の老人に向かって話しかける。


「そうじゃよ、相応の仕事には相応の報酬があってしかるべきだろ?」


話し込む二人の横には救急車も駆けつけて、意識不明となった宮脇が運ばれて行った。


「本来なら彼は人の手で裁かれるべきでした」


「うむ、そいった意味では儂は彼を苦しみから救ってしまったことになるな。なんせ彼から知を奪ってしまったからな」


「なんて残酷な」


「年を取ると物忘れが酷くなってな、人の知識と言えど美味に感じてしまうんじゃ」


そういって悪魔は無邪気に笑う。


「とてもそうは見えませんね、だって今の貴方は少年みたいな目をしていますから」


「ほほほ、相変わらず知人によく似とるわ。お転婆も過ぎると今度こそ火傷じゃ済まなくなるぞ、年長者からの忠告じゃ」


「これが性分なもので、でも、ご忠告感謝いたします」


アガレスはそれだけ聞くと沙那の横を通り過ぎて去って行った。沙那が振り返ると音もなく彼は消え、代わりに不機嫌な男がその場に立っていた。


「沙那、用が済んだなら行くぞ。仕事はまだ残ってるんだ」


「まったく、呼び捨てはやめて下さい神為さん」


「神宮寺って呼びにくいんだよ、それと見習いが口答えしない」


「何かにつけて見習いって、パワハラで労基に訴えますよ」


「うちが普通の会社だと思っているのか」


清十郎のあっけない言葉に沙那はため息を漏らし、二人はその場を後にするのだった。

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