悪魔は裏切らない(4)
外に出ると前方の木に立派な鷲が威嚇するかのように睨んでとまっていた。その瞳はまるで意思を宿しているかのようにしっかりと沙那を見つめて離さない。さも自分が狙われた獲物のように錯覚した沙那の足は自然と早足になっていた。
不気味な視線に追いかけられた沙那は取り急ぎ近くの警察署に駆け込む事にした。不気味な鷲、未だ接触のない宮脇、不可解なことを言って恐れる親子。すべてが沙那の常識のすぐ外側に位置していた。そんな状況で自分の安心できる場所を求めていた。
警察署は商店街のはずれにあり、人通りも多く賑わった場所であった。いつもの謙遜に囲まれ、沙那は少し落ち着きを取り戻していた。
「これで警察署から所定の担当者につないでもらえば、事件の真相は一気に進む。ここまでしたんだからもう今の事務所には戻れないわね、また一から就職活動か」
安心感からか沙那の頭の中では未来を考える余裕が出てきていた、そう言っているうちに警察署の前まで到着した。そして、いざ一歩を踏み出そうとするが、なぜか意思とは反して沙那の足は前に出ない。
「え?なんで?」
それはまるでペンギンが空を飛ぶことを夢見るように、考えられても実行できないジレンマさがあった。
歩き方を忘れてしまったかのようにその場に立ち尽くす沙那。それを不審に思ったのか玄関に立っている警察官が声をかけてきた。
「君、そんなところに突っ立って何か用かい?」
沙那は気付いてもらえたことに安心し、事の経緯を話そうと口を動かす。
「いえ、なんでもありません。お騒がせしました」
そう言わされて沙那はその場を後にするように動かされる。それはもちろん自分の意志とは無関係だった。
不審に思われながらも警察官は沙那の後は追わずに自らの業務に戻っていく。
声にならない声を上げて沙那は叫ぶがもちろん誰も聞こえはしなかった。
心を置き去りにしたまま沙那は歩き続けた、行き着いた先は商店街から離れた静かな公園であった。公園のベンチに座ると沙那は疲労感とともに体の自由を得る。
「な、なんなの。なにが起こったの?」
沙那は自分の体を抱きしめるように抱え込み、誰にともなく尋ねる。
「田沼の不利になるようなことは何人もできない、大人しく諦めろ」
答えなどあるわけないと思っていた質問に対して急に何者かが応えてくれた。
沙那はハッとして声の主を探すがそこに人影はなかった、あるのはただ隣に置かれたごみ箱に止まる一羽の鷲だけであった。
「あなたの声なの?」
沙那はその獰猛な姿に驚きながら、半信半疑で話しかける。そんな沙那を静かに見据えて鷲は話し始める。
「うるさい、騒ぐな、私はただ報酬をもらいに来ただけだ。余計なことをせず大人しくしていろ」
「え?話した?鷲が、なんなのあなた」
「私は偉大なる悪魔、アガレス様の遣い。契約に基づき貴様の命をもらいにきた」
「命って?悪魔ってなんなの?もしかして宮脇先生の差し金!?」
「下等な人間なんぞに使われる私ではない、お前はあの男によって我が主に捧げられたのだ」
宮脇の余裕な態度、親子の不可思議な話、自分の身に降りかかった異変、それらはすべて悪魔によるものなのか。未だ頭の整理が追い付かないながらも、沙那はこのままこの鷲についていくのは不味いと感じていた。
「そう、悪魔ね。勝手に人の命捧げてるんじゃないわよ」
理解の追い付かないことに混乱しながら沙那は叫び、落ちていた石を鷲に投げつける。驚いた鷲は空へと逃げるが、その隙に沙那は駆け出した。
「逃げられはしない、狙った獲物を逃がすと思うか?」
鷲は上空にいながらもその鋭い眼光で沙那を捕捉し逃さない。狙いを定めると空から襲い掛かった。
「痛い!!」
沙那の背中に上空から鷲の爪が降りかかる、鋭い爪は沙那の服を軽く突き破りその背中に傷を残す。
「あまり抵抗して傷だらけになると私が主に叱られる、大人しく諦めてくれないか?」
ふてぶてしくも言い放つ鷲の言葉に悪態をつきながらも沙那は止まることなく逃げ続けた。目の前に地下鉄の入り口を見つけて急いで地下への階段を下りる。鷲はその様子を上空から見てめんどくさそうにため息をついた。
「もう印は刻まれている。どこに行こうと無駄だというのに」
行く当てもなく地下鉄に揺られる沙那、現実とは思えぬ出来事に頭は考えるのを拒否しているが、痛む背中が現実を思い知らせる。自分の想像を超える展開にどうしていいかわからずジッと床を見てふさぎ込んでいた。
「そういえば、」
そこでふと真央に言われたことを思い出す。彼女もここまでの展開を予想していたとは思えないが、一抹の望みをかけて渡されたメモを確認する。
「神事調停所?」
そこには事務所の名前と住所が書かれていた。
「なに?私の再就職先でも案内してくれるの、今は仕事より命のほうが危うってのに」
紙を見つめる沙那の視線は自分の左手の甲に移る、そこには見慣れないアザが刻まれていた。
「何これ?どこかでぶつけたのかしら、それにしても鳥のようにも見えるわ」
左手の甲には丸い枠に幾何学模様が並び中央には鳥が描かれていた。それが先程見た鷲を連想させ沙那は不気味に感じる。慌てて擦って消そうにも消えず刻印のように沙那の手に刻まれた。
「まるでマーキングね、絶対逃さないってわけね。それならせめて誰かにこの証拠を託さないと」
沙那は万が一のことを考えてSDカードを誰かに託すことにした、自分が悪魔に捕まり真相が闇に消えるのを何よりも恐れていたのだ。
「問題は誰に託すか、真央に渡してもすぐ宮脇の手に渡りそうだし、かと言って他の弁護士仲間なんて近くにいないし」
沙那が悩んでいると手から握りしめていた紙が滑り落ちた。
「調停所、真央が紹介してくれたくらいだからまともな会社だと信じたいわ。今は他に当てもないし悩んでる時間も勿体ないもんね」
沙那は覚悟を決めて紙に記載されている神事調停所に向かうことにした。
地下鉄を降り地上に出ると沙那は空を気にする、曇った空は薄暗く、ビルに囲まれたオフィス街は沙那の視界を遮った。
「星も満足に見えない都会の空をこんなに気にすることになるとはね」
沙那はやり切れない気持ちを皮肉に込めて吐き出す。目的の建物は地下の出口からに数ブロック先だった。普通に歩いても5分とかからないだろう、沙那は意を決して地下から飛び出して走り出す。するとそれを待ってたかのように空から鷲が襲いかかる。
「来ると思ったわよ」
沙那は上空から襲いかかる鷲に対して買っておいた傘で攻撃を防いだ。
「一応対策はしてるんだから」
なんとか一撃をやり過ごして再び沙那は走り出すと、目の前に別の鷲が現れる。驚きはしたがすんでのところで地面に転がりながら爪をかわす。
「ちょっと、使い魔って一羽だけじゃないの!?」
叫びながら沙那は必死に逃げる、目的の建物はもう目の前だ、光明を見出した沙那の前にさらに鷲が二羽待ち受ける。
「こっちだ」
諦めかけた沙那に向かって救いの手が差し伸べられる。沙那の左腕を掴み、力強く引かれた体は彼女を目的の建物の中へと誘う。
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