悪魔は裏切らない(3)

「え?不起訴ですか?」


沙那は自らの耳を疑い聞き返した。


「えぇ、そうみたい。確たる証拠もなし、大先生の大勝利ってわけね」


あの晩から数日後、佐那は担当を外され事件の進展は入って来なくなった。同期で仲の良い飽津あくつ 真央まおに近況を確認したのだ。

真央はさすが宮脇先生といった感じで意気揚々と宮脇の戦果を語るが、佐那の耳には届いてこなかった。


「まさに悪運って感じね、噂では本当に悪魔が付いてるとか言われてるわね。って、沙那?聞いてる?」


「先生は今どこに?」


「えっと、まだ部屋にいるわよ」


鬼気迫る表情の沙那に気圧され真央は言葉に詰まって答える、彼女の返事を聞くな否や沙那は宮脇の下へと急いで向かった。


「はい、どなたかな?」


「失礼します!」


ノックも乱暴に済ませ、押し入るように部屋に入る沙那。それを待っていたかのように冷静に座っている宮脇。


「ずいぶん慌てて、予想より遅かったじゃないか」


沙那が乗り込んでくることは予測していたのか、それでいてからかうように彼女を迎え入れた。


「田沼さんの進展聞きました、不起訴らしいですね」


「そうなんだ、もしかしてわざわざお祝いの言葉を言いに来てくれたのかい?ありがたく受け取っておくよ」


沙那の感情を逆なでするかのように振舞う宮脇に腹を立てながらも、沙那は努めて冷静に話す。


「あの晩、先生は証人を説得して検察へ連れていくとおっしゃってましたよね。それを信じて私はこの件から身を引いて見守っていました。しかし、結果は証拠を握りつぶして本来は裁かれる被告を助けるなんて。被害者やそのご家族に対して思うことは無いんですか!?」


今回の事件で田沼と揉みあいになった被害者は運悪く亡くなっていた。残された遺族も働き盛りの父親を失って母一人、子一人取り残されていた。

その現実が沙那をさらに深い悲しみと怒りを呼び起こさせていた。


「あぁ、掛け合ったが駄目だったんだ。本当に証拠があれば私も正しく裁かれるべきだと思っているよ」


宮脇の口ぶりには真実味はなく、沙那はこれ以上口論しても無駄と悟った。


「本来なら先生の良心にお任せしたかったんですが、わかりました。私は私の正しいと思うことをさせていただきます」


沙那は宮脇に見切りをつけ早々に部屋を後にしようとドアに手をかけた。


「神宮司くん、最後に忠告だ。鳥には気を付けたまえ。まぁ、無駄だとは思うがね」


宮脇は意味不明な事を投げかけるが、沙那は気にせず部屋を後にした。

沙那の剣幕に何かを察したのか、ドアの前には真央が聞き耳をたてていた。沙那は彼女を一瞥すると何も言わずその場を後にしようと歩き出した。


「沙那!」


そんな沙那に真央は声をかける。少しでもこの空気を吐き出したいと願う沙那は呼び止めてきた真央を鬱陶しく見る。


「真央、私急いでるから」


乱暴に答えてその場を後にしようとする沙那に真央は早口で告げる。


「宮脇先生悪い噂も絶えないから気を付けて、もし本当に手に負えない事態だとしたらここを頼って」


真央は一枚の紙を沙那に差し出す、沙那は動揺と心配からか少し涙ぐむ彼女の意思を無下に出来ずに髪を受け取って懐に仕舞う。


「真央、ありがとう」


恐らくこれが別れの挨拶になるかもしれないと、心のどこかで思いながらも沙那はそっけなく返事を返す。

そんないつにも増して恐ろしくも頼もしく見える沙那に真央は少し安心し、その背中を送り出した。



先ほどまで晴れていた空は雲が陰り、波乱の展開を予感させるように次第に大地を黒く染め上げていった。

沙那は記憶を頼りに証拠となる動画を取った男性の住所を訪ねていた。彼を説得し今一度警察に出頭してもらう為だ。

街から外れた郊外の住宅地、背後に森を背負い目的の家はひっそりと佇んでいた。

低空を鷲が飛び交い、あたかも自分が狙われているかのような錯覚も覚える。


「どこかに野ネズミでもいるのかしら」


沙那は不気味に思いつつも、今は気持ちを切り替えて男性宅のイヤホンを鳴らした。

扉一枚隔てた室内からはボタンと連動して、微かにチャイムが聞こえる。沙那はそのまま耳を澄ませて人の気配を探ると、中から足音が近づいてくると同時に言葉を発する為、唇を湿らせる。


「こんにちは、突然すいません」


ドアが開くと同時に沙那は矢継ぎ早に言葉を急いだが、そこに現れたのは目的の人物ではなかった。

予想外の人物に沙那も現れた年配の女性も言葉を失う。


「えっと、どなたでしょうか?」


相手の女性は訝しげに言葉を発した。沙那は我に返り慌てて要件を伝える。


「突然すみません、私、弁護士の神宮司と申します。以前一度こちらに暮らす男性を訪ねてきたことがあるんですが」


沙那が名刺を渡しながら自らの素性を説明する。


「あぁ、たくちゃんが以前そんな話してたわね。あ、息子に用ですか、どうぞ上がってください」


どうやら男性の母親らしい女性はすっかり笑顔になり、沙那を家に招く。沙那も勧められるままに居間へと通された。


「今呼んできますから待っててくださいね」


そういって母親はバタバタと二階へ上がっていき息子を呼びに行く。沙那はこれからの事を考えながら男性の到着を待った。

てっきり宮脇の策略で男性に合わせないようにするか、男性をどこか遠くへ連れていくかしていると思ったがすんなり会えてしまった。

沙那はことが上手く運んでいる為少し緊張の糸が解れてきた。リラックスして待つ沙那の下に母親に連れられた男性がやってきた。


「ほら、弁護士先生がお待ちだよ。だらだらしてないで」


母親に急かされながら男性が入ってきた。沙那は立ち上がって男性を迎え入れる、男性は沙那を見て一瞬目を丸くするがすぐに元のやる気ない表情へと戻った。


「今日はどのようなご用件で?」


男性が面倒くさそうに話し出した。


「突然のご訪問すいません、今日はお願いがあって参りました。以前見せて頂いた動画、是非それを持って一緒に警察に行って欲しいんです」


沙那のお願いに男性は呆れたようにため息をついた。


「悪いが警察には行けない、画像が欲しいならくれてやるがアレは呪われてる」


男は疲れたように話し、そのまま自室へと消えていった。

しばらく待つと男はてにSDカードを持って現れる。


「これが前に見せた動画だ」


「本当に貰っていいんですか?」


沙那は信じられないといった感じで男に尋ねた。


「あぁ、好きにしてくれ。先ほどの言ったが、それは呪われてるんだ。警察に届けることも出来ず、かといってネットに上げることも出来ない。もう使い道がないんだよ」


男性は疲れ果てた様子でSDカードを見つめる。その姿は程々疲れ果てたのか価値のないゴミを見つめる目つきであった。

沙那は男性の言っているいみがわからずに聞き返した。


「警察に届けられないって、誰かに邪魔されたとか?そもそも機材があるのにネットに投稿の出来ないって」


「邪魔か、そうだなまるで誰かに邪魔されているように警察署に近づけないんだ。電話しようとしても何故かつながらないだ。ネットもいきなり切れたり。もうわけわかんねぇよ」


男性は最後には叫ぶように吐き捨てた。混乱する男性を母親が必死に宥めている。


「なぁ、先生なら何とかできるのかい?もう欲をかいたりしないから、こいつを正しく使ってくれよ」


男性は悔しそうに懇願する。


「最初はこれは金になると思ったんだ、案の定しばらくしたら弁護士と名乗る先生から連絡があって動画が欲しいって。これで金を搾り取れるだけ搾り取ってやるってね、なんせ相手は議員の息子いくらでも金を積むはずだってな。でも、弁護士先生に脅しても動じず警察に届け出も何故か出来ない、罰が当たったんだ。もう心を入れ替える、だからこの画像は先生が正しい事のために使ってくれ」


母親も男性と一緒になって懇願した。

沙那は未だに男性の話を半信半疑でいた。


「お気持ちはわかりました、こちらのデータは私が責任を持って預かります。きっとご希望に沿うことを約束します」


沙那はSDカードを受け取って二人に答えた。

二人は肩の荷が下りたのか晴れやかな顔をして喜んでいた。

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