悪魔は裏切らない(2)
その夜、宮脇法律事務所では夜遅くまで灯りが灯っていた。所長室ではデスクに座り、物思いにふける宮脇の姿があった。
本日会いにいった投稿者は事件当日現場付近を撮影していた、そこには鮮明ではないが争う二人の姿が映し出されていた。
それが万が一にも警察の手に渡ると起訴され最悪実刑もありうる。しかし、ここで警察より先にこの事実に気づけたのは幸いであった。
宮脇は意を決して投稿者に連絡を取った。
『もしもし、本日お伺いしました弁護士の宮脇です』
『先ほどはどうも』
突然弁護士から電話のかかってきた男は何事かと身構える。
『実は唐突なお願いがありまして、先ほど見せていただいた動画、そちら私に戴けませんか?もちろん相応の謝礼はいたします』
宮脇は田沼を守るため不利な証拠を消すことにした。それは一歩間違えれば自分の弁護士人生すら左右される危険な橋であった。
『先生、今日あなたが訪ねて来てさすがにニュースに疎い私もピンときましたよ。この画像例の議員の息子が逮捕された事件でしょ?』
宮脇は相手の話を聞いて自らの過ちを呪った。相手は第一印象から金銭での交渉が容易であると踏んだが、意外に頭が回り金の匂いを敏感に嗅ぎつけていた。宮脇は悔しながらも相手の誘いに乗ることにした。
『私の意図を汲み取って頂けるということで宜しいですか?』
『えぇ、先生とはいい取引が出来ると信じていますよ』
彼は自分の撮った画像の価値を最初からわかっていたのだ、それでいてSNSからまんまと罠にかかってくる魚を待っていたのだ。その後とりあえず少額を振り込む約束をし一旦は電話ん切った。
「金で済めばそれに越したことはなかったが、欲の出た人間は信用出来ない。仕方ない、奥の手でいきますか、問題は生贄ですね」
宮脇は再度頭を抱えて悩み出した。
「先生、失礼します」
誰もいないはずの事務所に澄んだ声が響く。宮脇はハッとして顔を上げそこにいる人物に目線を向ける。
「神宮寺くん?いつからそこに?」
「先生が電話をかける頃からです」
「話を聞いていたのか?」
「はい」
沙那の瞳には尊敬の念は消え、その色は決別を宿していた。宮脇は悲しみと共に舞い込む幸運に笑みを隠せずにいた。
「先生、どうされるおつもりですか?」
宮脇はどう答えるか一瞬悩む、返答如何によっては沙那の口を封じなくてはいけなくなるからだ。
「弁護人の不利になるようなことは看過できない」
「しかし、証拠をもみ消すことは犯罪です」
「わかっているよ神宮寺くん。私はあくまで彼にお願いをしたまでだ」
「真実がわかっているのにそれを見過ごすことはできません」
「君は若いな、その気持ちは素晴らしいがもう少し先を見据えた方が生きやすくなる」
「私にとってはここで見過ごすこと、それこそ握りつぶすことなんて出来ません。私が私でなくなってしまう」
「そうか」
宮脇は言葉に詰まって俯く、彼女の瞳は決意に染まりその色は陰ることなく光り輝いている。一瞬の隙を期待したがその意思は固く、説得すら難しいことを悟る。
「先生、どうか考え直して下さい。先生ほどのお方なら後ろ盾がなくてもまたやり直せます」
事はそれほど簡単ではなかった、ここで田沼議員を裏切ることはただいち顧客を失うことではない。そこから芋づる式にいままで行った不正の数々が明るみに出るだろう。それは宮脇の弁護士生命はおろか人生そのものの終了に他ならない。
「わかった、明日投稿者の彼に掛け合ってみる。一緒に警察に行ってもらうように頼んでみるよ」
「お願いします」
沙那の瞳は冷たく、その色は疑惑に満ちていた。宮脇も沙那が今だ疑いの眼差しを向けていることは承知であったが一時の時間を稼ぐためにあえて見送った。
事務所に一人となりしばらく沈黙が訪れる、宮脇は決意を固めるように目を閉じて意識を集中させた。
「神宮司くん、悪く思わんでくれ。人は信用できない、悪魔は裏切らないんだよ」
宮脇はここにはいない部下に詫び、決意を込めて立ち上がる。そのまま事務所の地下へと降りていった。
地下室は厳重に管理されており、自分以外の者の立ち入りを固く禁じている。鍵を開けて室内へ入ると得も言われぬ寒気を感じる。
今ではその感覚に刺激されて興奮を覚える、すでに自分がそちら側の人間であるという自覚が宮脇にはあった。
小さな部屋には本棚が置かれ、すでに表紙のはがれた古い本が並んでいる。殺風景な部屋ではあるが、床の幾何学模様が不気味な雰囲気を醸し出していた。
「また、力を貸して欲しい・・・・」
宮脇は欲にまみれた願いを込めて儀式を執り行う。強い想いに応えるように床の模様は輝き、空調のない部屋には風が巻き起こる。
宮脇は動じることなく作業を続け、恋焦がれるように来訪者を待った。
「またしても呼び出すとは、人は何と愚かな」
しわがれた声が狭い室内に響き、宮脇の前に鋭い眼光が輝く。
部屋は一気にむせ返るような熱気に包まれ、大きな羽音が響く、宮脇の目の前には鳥に似た大きな何かが存在していた。
「おお、序列2位にして31の軍団を預かる大公爵アガレスよ。我が呼びかけに応えて戴き光栄に存じます」
宮脇は平伏して目の前の悪魔に媚びへつらう。アガレスの姿が変化すると共に異彩を放っていた空気は段々と落ち着いていいき、しばらくすると室内は元の平穏を取り戻していた。
「貴様の美辞麗句など聞きたくもないわ、口先だけの矮小な人間よ」
声の主はいつの間にか人の姿となりそこに佇んでいた。白い髪と髭を伸ばし声の感じと同じく見た目もしわがれている、かなり高齢のように見えるが話し方は威厳があり立ち振る舞いも堂々としていて若々しく感じた。
袖の長い黒い外套を纏い、そこから伸びた手は細いながらも鋭く鋭利な刃物の様であった。
「今度は何用で呼び出した」
アガレスの威圧ある言葉に気を失いそうになりながらも宮脇は答える。
「私の依頼人、田沼の害になるものを遠ざけて頂きたい」
「して、見返りはなんとする?」
「はい、我が部下の神宮寺を差し出します」
田沼の邪魔になる証人と自らの障害になり得る沙那を一遍に処理できる、宮脇は自らの采配でつい顔が綻んでいた。
「自らの保身のために部下の身を差し出すとは」
「彼女は私に命を賭してくれていますので」
宮脇の詐欺まがいの口約束に、アガレスは辟易した表情を浮かべた。
「使い魔を送る、後はそいつに任せればいい」
アガレスは短く告げると、興味を失って早々に宮脇に背を向けた。
「ありがたき幸せ」
宮脇がその背中に向かって感謝の意を述べると、アガレスの姿は闇に紛れ忽然とこの場から姿を消した。
悪魔の居たその場所には凛々しい鷲が一羽鋭い眼光で宮脇を見つめていた。
「使い魔か、よろしく頼むぞ」
宮脇が声をかけると、それに返事をするかの如く鷲が短く鳴いて返したのだった。
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