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「大丈夫か?」
完全に立ち去ったのを確認してフィアに向かい直す。
「先生のお母様にお会いしたの、今回が初めてでした…お綺麗な方ですね」
「年齢不詳だがな。心も外見も若くて困る」
ふふ、とフィアから笑いが漏れて、少し気恥ずかしくなった。些か大人気ない対応を見せ過ぎた。『母』というのはこれだからいけない。
「スナフ先生大丈夫かなぁ」
「おや? ナナプトナフト先生と面識があったのか」
「──…え っと、はい」
フィアは上級攻性術の授業は受けていない筈だが、授業以外で縁があったのか。少し意外だ。随分親しみが込められた呟きだった。ナナプトナフト先生は外見上よくモテるのでひょっとしたらフィアもその類いかも知れない。
それにしても。
「本当になんともないみたいで安心した。あの人の魔術をノータイムで完全に無効化するとは…」
「あ、えーと…実は此方も障壁を事前に組んでました。お母様には注意するよう言われていたので…」
驚いた。そんな有用なアドバイスをしてくれるならファズ先生だろうか。
術式の事前準備は保持が難しくまた組んである事がバレやすい。僕にも母にも覚らせずに隠し持っていたとは大した技術だ。障壁自体もかなり高性能なものだった事も併せれば、上級魔術師でも此処まで出来る者はかなり少ない。それこそ母や僕くらいのものだと思っていた。
「僕も本当にまだまだだな…」
教え子の此処までの成長を把握も予想も出来ていなかった。
「あの…先生」
「ん?」
言い出し難そうなフィアに目を向ける。何度も視線を彷徨させてから
「歳を聞かれました。ターミナルの使用についても。…どういう意図だったのかお解りですか?」
不安そうな様子でそう尋ねてきた。
「すまない。僕にも意図が解らなかった」
その返答にフィアは「そうですか…」と俯いた。不安を晴らしてやれないのは悔しいが、あの人の言う事だ。意味が無い筈はない。迂闊に「気にするな」とは言えなかった。
塔の講師たちの集まりというものも、偶にはある。情報交換や顔合わせが目的だ。大切な共有情報は僕から各個通達するし報告も貰うが、講師同士で話して貰う時間も必要だろう。特に問題が起きていなければ大体半年に1度のペースでこの連絡会は開かれている。塔の講師はそれなりの数がいるから全員で顔を合わせる機会はこの連絡会くらいのものだ。形式は会議のような堅苦しい雰囲気ではなく、立食形式のお茶会…と言えばいいだろうか。講師は老齢者も多いから座れる場所もそれなりに用意してあるが基本は立ち話だ。
講師たちが歓談する様を眺めていると、ぬっと陰が伸びるように僕の前にひとり現れた。
「学長にはご機嫌麗しく…ルルイエの魔女が来たそうですな?」
「おやウイユ先生。耳が早いね」
「ナナプトナフトが荒れておりますからな」
あぁ…。思わずナナプトナフト先生を目で探す。こういう社交の場を好む筈の彼は、会場の端でソファに腰掛けている。大変に機嫌が悪そうだ。気の毒に…。
「あぁ、彼女来てたの? 会いたかったなぁ」
少し早口の高い声に目を向ける。
「トビオカ先生。お戻りだったんですね」
トビオカ先生は今は基本的にティフェレトの環境局に常駐していて塔にはいない。水質をメインに環境保全の研究を行っている。全属性に対してかなり高い適性を持つ稀有な能力がありながら、当時の塔に於いて攻性術を好しとせず外国での研究を選んだ尊敬できる変わり者だ。何故環境に進んだのか尋ねた事がある。返事は、「だって、アレはいつか誰か倒すでしょ。その後の彼の地はボロボロです。誰かが住めるようにしてあげなきゃいけない。かなり難しい筈ですよ。だからトビオカ君が準備しておきます」だった。実際玄霊はいなくなった。それでも今はまだ誰も立ち入れない土地だが、これからは環境整備も考えていかなくてはならないだろう。塔にその準備があればケテルとの『交渉』が期待出来る。
「トビオカ先生。ルルイエの魔女に御用が?」
ウイユ先生が厳しい顔をして問うがトビオカ先生はケロッとしている。
「だって彼女、宰相直属でしょ? マスカルウィンの件準備は進んでる事伝えて欲しいです」
「ご心配なく、先生。時期が来たら直接塔から国に報告を入れます」
「そう? ならいいか」
そのままふたりが歓談を始めたのを確認し僕はナナプトナフト先生の元へ向かった。
先生は僕を見るなり
「…おまえか。特に報告はないぞ」
とぶっきらぼうに吐き捨てた。うん。かなりご機嫌ナナメのようだ。
「母が無礼をしたようで申し訳ない」
「おまえが謝る事じゃないだろう。あの人は昔からあんなんだ」
苦笑いで応える。先生たちは僕よりもあの人との付き合いは長いのだ。
「隣に座っても?」
「ハ、膝に乗せてやろうか?」
「いいのかい?」
「…冗談だ。本気にするな」
もっと小さい頃は本当に膝に乗せて貰った事がある。肩車もして貰った。あれは僕がお願いしたわけではなかったが。肩に座ると視界の高さは凡そ2mくらいあって、新鮮だが結構怖かったと記憶している。
「それは残念だ」
ひょいと彼の隣に飛び乗った。
「おまえ、もう十を超えただろうが。膝に乗りたいなんて軽々しく口にするなよ」
「でもこども扱いしてくれるのは君だけだからね」
先生は力一杯面倒臭そうに顔を歪めて、盛大に溜息を吐き脱力しながら僕の頭をわしわしと乱した。
「ぼくはおまえがこどもの内はこども扱いすると決めてるからな」
「知っているとも。だからつい甘えてしまう。すまないね」
別にこども扱いされたいわけじゃないし特別大人扱いされたいわけでもない。どう扱われるかに望みはないが、立場上皆礼を尽くしてくれるから、結局こども扱いして貰えるのは新鮮だ。ナナプトナフト先生だって公式の場ではちゃんと立場を立ててくれる。
「甘やかすだけが『こども扱い』じゃないぞ。教育は大事だからな」
「…ふ! 僕に言うのかい!?」
込み上げた笑いが抑えきれない。彼も少しは機嫌が直ったようだ。
笑い続ける僕に呆れた顔で笑ってくれた。
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