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フィアの部屋を訪れると、中から話し声が聞こえてきた。来客中ならばと引き返そうとするが、聞こえてきた声に思わず足が止まった。
逡巡の後、ノックする。
「フィア、今いいかい?」
「あ!はいっ」
間もなく招き入れられたが、やはり人影はない。
「今誰か来ていなかったか?」
問うと、フィアは素直に肯いた。
「ラベゼリンが。偶に遊びに来てくれます」
本当に偶にですけど、と付け加える。
「そうか。
成功の鬼神に気に入られているのならフィアは間違いなく大成するだろう。
「それで…何かありましたか?」
「ああいや、昼のお礼を改めてと思ってね」
「そんな!あれはいつものお礼なので」
本日の昼食はフィアが用意してくれた。『父の日』のプレゼントだと言ってくれたのが嬉しくて、こうして返礼を持参したのだ。
「ではこちらも常のお礼だ。僕もフィアには世話になっているからな」
持っていた箱をテーブルに乗せて見せれば、フィアの瞳が輝いた。
「こ、これ…!フェラルの…!」
塔で人気の店、フェラル・カフェの焼菓子の詰め合わせだ。本当に気持ち程度の品だが、どうやら好みに合ったようで安心する。
「先日僕も頂いたが、とても美味しかった」
「ありがとうございます!…お時間あれば、一緒にどうですか?」
えーと、と室内を見渡して、
「ルガッガなら用意できます」
「じゃあ、少し頂こうかな。ミルクたっぷりで頼むよ」
「はい!」
ルガッガは意識の覚醒作用があり塔でも好む者は少なくない。ただチョコレートと同様に輸入に頼らざるを得ない品なので少し高価で学生には手が出し辛いのが難点だ。フィアの出してくれたものは恐らくファズ先生からの貰い物だろう。彼はルガッガを特に好んでいる。
「君はブラックかい?」
「あー、眠気覚ましに頂いてたんで…慣れちゃいましたね」
ちょっと意外だったが研究員には間々ある事だ。
「頻繁に飲むんじゃないなら構わないが、身体には良くないから気を付けるように」
フィアは苦笑いで肯いた。しまった。説教になってしまったか。
「処で先生、隠し部屋への再挑戦はまだしませんか?」
「ん? ああ、あの感じだと今はまだ実力不足かな」
そうですか…とフィアはカップを両手で包んだ。
「フィアは、あの部屋に何があると思う?」
その質問に数度瞬きをして
「知恵を司る聖霊の隠し部屋ですから、きっと彼の遺した膨大な知識ですよ」
「なるほど。それはいい!」
ターミナルの解析に難航している今、だからこそ隠し部屋への再挑戦を提案してきたわけだ。
「多分、これは本当に私の予測なんですけど、リブラビスは其処にあったんじゃないかなって思ってます」
リブラビス。聖霊の遺産、神殺しの魔弓。
10年程前、塔が玄霊戦に送り出した最後の魔術師が持っていた武器。
「彼は隠し部屋を見付けて、魔弓を得た……というか、魔弓の製造方法を知った」
ああ、そう言えば自作したと聞いている。オリジナルは600年程前から史書に登場しなくなった。彼の作った魔弓は再現力を高く評価され、
「それは面白い推論だ」
フィアとの一時を楽しんでいると、カリカリカリ…と何かが遠慮がちに扉を引っ掻く音が聞こえてきた。
「? ちょっと見てきます」
フィアが扉を開くと、ウサギのようなものが飛び込んできた。
「わっ!?」
「これは…ファズ先生の使い魔だね。何かあったかい?」
一直線に僕に向かってきた使い魔を抱え上げる。
『ご歓談中申し訳ない。ちょっと対処に困りまして…』
ファズ先生の声だ。本当に申し訳なさそうな声と、本当に困惑した様子が伝わってくる。
「先生が狼狽えるなんて珍しいね。どうした?」
『その──』『あら、繋がったのね』
ファズ先生の報告を遮って、別の声が割り込んでくる。なるほど最低な展開だ。
『ルエイエちゃん、父の日のプレゼントありがとう。お礼に会いに来てあげたわよ~』
「母上──…」
望まない来訪者に思わず拳を握り締めた。
「母上におかれましてはご健勝そうで何よりです」
「ふふふ。魔術の腕はまた少し上がったみたいだけれど、態度は相変わらずねぇ」
余裕の笑みが本当に癪に障る。
「でもまだまだだわ」
僕の現状精一杯の呪いを贈ってやったのに、瑕ひとつ付いていない。思わず舌打ちしそうになった。
「それでねルエイエちゃん。お礼も勿論するけれど、貴方、後見人をやってるんですってね?」
しらばっくれようと口を開く前に、母はすっとその細い指で僕の背後を示した。
「きっとその子ね?」
「フィア!?」
「す、すみません…ルエイエ先生のお母様、見てみたくて…」
目の前の母を警戒し過ぎて背後を疎かにしていたと反省する。着いてきていたのに気付いていなかった。
「ふふ」
止める間もないひと振り。フィアに向けられた電磁の魔術は──
パンッと呆気なく弾かれた。
「吃驚した…なんですか?」
母も僕も目を見開く。
今のは決して即席の簡単な魔術ではない。術式を予め組み上げておいて保持し、あの一瞬で動作させただけだ。恐らく端からフィアに掛けるつもりで準備して来たのだろう丹念に仕込まれた高度な呪術はしかし、弾かれた。目の前できょとんとしているこの学生に。
甚く自尊心を傷つけられただろうと振り返れば、母は未だ目を開いたままだった。
「…やだ。ルエイエちゃん。この子、なに?」
「…僕も驚いていますよ。フィア。君今何を?」
「えっ…あの…攻撃されたので、防ぎました…」
肩を竦めて消え入るような声で絞り出す。うん、それは解る。
じぃっと穴が開く程フィアを見ていた母が一歩詰める。咄嗟に立ち塞がるが手でぐいっと押し退けられた。
フィアに息がかかる程顔を寄せて曰く。
「あなた…本当は幾つ?」
「…?」
どういう意味だろう、推察が成り立たない。フィアも怯えながらも小首を傾げている。
「面白い子。ターミナルを使ったのね?」
瞬間、フィアは僅かにたじろいだ。
「あはは、ふふふ!そう。いいわ、いい見つけものをしたわ。ここは退いてあげる。でも手ぶらで帰るのも癪だし、スナフ君とでも遊んでから帰るわ。またね、ルエイエちゃん、フィアちゃん?」
「すぐに帰って下さい。もう来なくていいので」
取り敢えずは厄介者を追い払う。
本当にこの人と顔を合わせると碌な事がない。
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