205

学長室に戻ると、またしても見たくない顔が待っていた。この短期間で2度も現れるとは勘弁して欲しい。僕の机に凭れ掛かってヒラヒラと手を振っている。

「なぁにその顔。もっと喜んでくれてもいいじゃない?」

随分な無理を言うものだ。

「何かご用ですか?」

「んふふ。ねえあの子、フィアちゃん。とってもいいこね」

思わず殺気立つ。

「やぁねぇ。少しお話をしただけよ」

すぐに帰れと言うわけにもいかなくなった。仕方なく来客用のソファに腰掛け、一応、正面の席を勧める。

「あらありがとう。お茶は出ないの?」

「水くらいはご自由に」

テーブルの上の水差しを視線で示す。

「まあサービスの悪いこと」

さっさと用件を言えと目で訴える。

「そうねぇ。あんまりにもフィアちゃんが健気でいい子だったから、これはお節介よ。本当に単なる助言。穿ち過ぎないように聞きなさい」

内容を聞いてみないことには判断できない。先を促す。

「ターミナルの解析は一旦停止なさい」

「何故」

「貴方には手に負えないものよ、今はまだね」

「………」

「聖霊の隠し部屋の攻略が先ね。あそこに辿り着けたら『意味』が解るわ」

何のか。母の言葉の意味か、ターミナルの存在理由か、それとも他の何かか。

「あの子にあんな業を背負わせたのは貴方なんだから、これ以上苦しめてはダメよ」

「…何の話ですか」

「貴方ならその内解るでしょう。あの子に聞いても無駄よ、答えられないの。話してはいけない約束なんでしょうね」

それは恐らく、度々感じる違和感の正体なのだろう。

僕の知らないフィアの話を母から聞くのは腹が立つ。

「用件は以上ですか」

「そうね。忠告はしたわ」

「ああそうだ」

立ち上がる母にひとつだけ声を掛ける。

「トビオカ先生が会いたがってましたよ」

「あら。トビー先生、今塔にいたのね」



「当面、ターミナルについては術式解析のみに集中する」

元より凡そその予定ではあったが、改めて協力者たちにもそう明言する。流石に研究の全面停止とはいかないが、実験的なアプローチは禁じておく事にした。

これを聞いたフィアは狼狽えて

「あの…ひょっとしてお母様から何か…」

「ああ。だが気にしなくていい。言いたくないことや言えないことは黙ったままでいい」

僕だって、口に出来ない苦難を見抜いて助けてあげられるようになりたい。母伝など悔しくて仕方がない。

「君が言っていたように、聖霊の隠し部屋を頼りにしよう」

フィアが何を背負っているのかはまだ解らないが、あの母が同情するような事だ。可能な範囲で話してくれるヒントは取り零さないように気を付けねばならない。フィアの苦労は僕の所為だと母は言った。正直全く心当たりがないのだが、そうでなくとも。

「僕は君の助けになりたい」




──ルエイエくんは先生になるの?


バッタを追い回すのに疲れてふたりで芝に寝転がっていたら、ふと彼はそう問い掛けてきた。

そうだよ、と僕は返した。

いつになるかは解らないけど、いずれ僕は塔を継ぐ。それは魔術師協会の長になることで、魔術師養成施設の長になることだ。今はまだ学ぶのみの身だが、いずれは学びながらも教える身になる。

──じゃあ『くん』なんて呼べないねえ。先生。ルエイエ先生。私にとってはもう先生だもんね、ルエイエ先生って呼ぼうか。でもさぁ


「先生、ルエイエ先生」

「…ん…」

「ダメですよ、机で寝ちゃ」

頭を起こして確認する。なるほど。書類に目を通している間に落ちたらしい。よし、涎は垂らしていない。

「近頃は前にも増して頑張ってますもんね。健康には気を付けないとですよ」

そう言いながらフィアは湯気の立つカップを机の端に静かに置いた。

「…凄い匂いだな。これは確か──」

セヴァムと言ったか。ケセド発祥の、複数の薬草を煎じた茶だ。

「最近いらっしゃった、あの──…植物学の先生に頂きました。オリジナルブレンドだとか」

体に良いらしいですよ、とにこやかに微笑まれればとてもじゃないが飲まないわけにはいかない。

「香りは特徴的ですけど、味は調えられてましたよ」

「なるほど」

そうは聞いても中々に覚悟がいる。

カップを手にひとつ目を閉じ、思い切って口を付ける。

「──本当だ。スッキリした味だね」

後味も悪くない。飲み易い。

「先生。目が覚めたら、手合わせしてみませんか?」

「手合わせ? というと…魔術を使った模擬戦かな」

そうです!とフィアは意気込む。ふむ。偶にはいいかと思案しているとフィアはふふん!と胸を張った。

「先生。多分、手加減はしていられませんよ?」

「ほう? それは楽しみだ」

実際に母の呪術を払った前歴もある。真剣に相手をさせて貰うとしよう。



「これは驚いた…!」

攻性術自体の技術も威力もかなりの高さだ。その上幻術を織り混ぜて翻弄してくる。これは確かに手を抜いていられない。

「えへへ。攻性術はスナフ先生のお墨付きです!」

「なるほど」

攻防戦は白熱してフィアも随分興奮しているようだ。こういう手もあったかと思う反面なんだか申し訳ないような気持ちにもなるので誘導は自重しよう。

此方が様子見で放った術はやはり呆気なく霧散させられた。一応万一の時の為にと仲裁役と医療師を呼んでおいたが、この調子だとふたりの出番もあるかもしれない。フィアの成長は嬉しいが、僕にも師としての矜持がある。少し出力を上げていこう。このまま競り合いが続けば体力の劣る僕が不利だ。次で決めようと大型の術式を組み始めれば、さとられたのか気があったのか、フィアも大術を組み始めていた。先程までの雑な魔力放出が止み、急に効率的に動かし始める。先程まではわざと必要量以上の魔力を消費させていたのだろう。この大術はその余力がないほど大掛かりという事だ。不覚にも口の端が上がっていくのが解る。ああ、魔術の競い合いでこう思うのは久し振りだ。

「あははっ! 凄い! 楽しいな…!」

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