第6話
昼休憩の直前に数学を持ってくる、この学校のスケジュールはいかがなものだろうか。
人間の器官の中でも圧倒的にエネルギーを消費する脳をフル回転させて、空腹を極限状態にさせる魂胆だろう。が、三時限目で既にエネルギー不足に陥る身体を持つ僕には、はた迷惑な話である。
黒板の数式がぼやけてき始めたのと、念願のチャイムの音が聞こえてくるのはほぼ同時だった。
僕はカバンを開いて弁当を探すしたが、今日は母親が弁当を作ってくれる日では無い事に気づいた。
僕は食堂へ向かった。本能的に小走りになっていた。
食堂へ来たのは初めてだった。
僕は、意地汚いと思いつつ他人の食べているものに視線を注ぐ。
カレーが一番コスパが良いと踏んだ僕は、食券を買い、カレーを受け取った。
空席を探す僕の視界に、一人の人間がクローズアップされた。
辻だ。
なぜこの雑多な風景の中で、辻の存在が周りから浮いて見えるのだろうか。
幸か不幸か辻の席の斜め前は空席だった。
刹那の間に僕は、疲れ果てたはずの脳内で高速にあらゆるシュミレーションを行った。その結果、あの特異なる空席へ向かう決心をした。
僕はなるべく音を立てずに席へ座った。
辻は僕の存在に気づかぬまま、オムライスを口に運んでいる。
僕と辻の間に妙な時間が流れた。いや、そういう表現はお互いがその空気を感じている時に使うものであって、今は不適切だ。
カレーの味はあまりしなかった。
昨日の電車と距離はほぼ同じだが、格段に話しやすいシチュエーションではある。
僕の視界の右端に、辻がいる。心なしか、彼は僕の方向に顔を向けている気がした。
機械的に体を右に回転させた。彼は視線を外さない。僅かな沈黙。
「昨日、仮入部に居たよね?」
気づけば声が出ていた。
彼は一言「ああ」とだけ言う。少し予想はしていたが、そのあまりの素っ気なさに、昨日から神経を無駄遣いしていた気分になった。
「あの、俺健二っていうんだ。よろしく」
言葉を強引に絞り出した。一人称を"俺"にしたのは、この時が初めてだった。
「俺は悠人。辻悠人」
ただ自己紹介をし合っただけなのに、不思議と心のわだかまりが薄れていった。
「辻君は、打楽器経験者なの?」
自然と出た言葉に後悔した。同級生に君付けをした気恥ずかしさは、相手が辻であるからこそ余計に大きかった。
「打楽器は好きだけど、経験者ではない」
彼の言葉の意味をすぐには理解しかねた。彼が僕の君付けを気にしていないように見えたことによる安堵も理由にあるが、返答があまりに予想外だったからだ。
「え、経験者じゃない?」
彼は小さく頷き、再びオムライスを食べ始めた。
僕の脳裏に昨日のドラムの音が過った。
カレーの味はほぼ無くなっていた。
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