第2話
「その”検査”、いつ終わるの?」
「結果が出るのは二日後だね」
「なんでよ!!」
「そんなこと言われても困る。ほら、菌たちも困ってる」
「いや、いるかまだ分からないんでしょ?てか、本当に教室でできるの、検査なんて」
「何事も工夫すればね。知は力なりだし、何かを学ぶためには自分で体験する以上にいい方法はない」
「ベーコンとアインシュタイン?」
須藤君は驚いた顔をした。
「なに?」
「いや、なんていうか片山さん……あんまり知的なイメージがなくて……」
「どういう意味!?」
「びっくりしたんだよ。今のが引用だってよくわかったね。それに言った人も」
私は少しばかし得意げになった。そして、こんなことで得意げになるような自分だから、嫌な目に合うんだ、と思い出す。
考えてみれば、確かに須藤君は変なことしているけど、でもそれって、私だってひとのこと言えない。
別に同情したわけではないし、彼はそんなこと気にも留めなさそうだけれど、私は気を取り直して須藤君の話を一応ちゃんと聞いてみようと思った。
「それにしてもそれは何?」
私は机の上のガラス皿を指す。ガラス皿の中には薄茶色のゼリーのようなものが綺麗に入っている。
「これは卵黄加NGKG寒天培地」
「は?中二病?」
「いや、そういう名前の培地なの」
「そもそも培地って何なのよ」
彼はあー、みたいな顔をして天井を仰いでいた。どう説明したらいいか悩んでいる、みたいな仕草。正直言って結構むかつく。バカにされているみたい。
「なによ…」
「いや、結構ヒトに説明するのって難しいんだよ。自分の知識をさ」
なんとなくわかった。私もそうだったから。多分、自分がしていたことだから、無意識に今のがむかついたのかもしれない。
須藤君は整理がついたような顔をしていった。
「培地っていうのは、栄養がいっぱい入ってるゼリーとかジュースみたいなやつで、菌を増やしたいときに使うものなんだよ。ゼリーは個体培地、ジュースは液体培地って呼ばれてる」
「菌を増やしたいときなんてあるの?」
「菌って増やさなきゃ目に見えないから」
「あ」
私は納得した。確かに菌って目に見えない。
須藤君は続ける。
「だから今からしようとしている検査っていうのは、調べたいもの、今回はご飯だけど、そこに菌がいるかどうかを見るために菌を増やそうとしてみる事を言うんだ」
「そっか、目に見えないなら見えるようにしなきゃ調べようがないもんね……」
「目に見えない生物を微生物っていうんだ。人の目で見えるのは0.1mmくらいの大きさが限界だから、それより小さい生物は全部微生物だよ」
「菌もそうなの?」
「そうだなあ。菌っていうのも結構大雑把なんだよね……。えっと今から調べようとしてるのは細菌の一種なんだけれど、細菌っていっても難しいよね……」
「分かるよ、細菌くらい。大腸菌とか乳酸菌とか酵母とかでしょ?」
「大腸菌と乳酸菌は細菌なんだけど、酵母は真菌だね」
「え、なにが違うの?」
「核があるかどうか」
「核って?」
「生物でさすがにやってるじゃん」
「忘れたし」
「核は細胞の中でDNAが入ってるとこ。細菌には核がなくてDNAがそのまま細胞に入ってる。真菌はDNAが核膜ってのに包まれていて、それを合わせて核っていうの」
「てか、それ重要なの?一緒じゃん?」
「片山さんさ、カブトムシと片山さんって生物として同じ?」
「そんなわけないじゃん!」
「だよね。細菌と真菌の違いってカブトムシと片山さんの違いより大きいから」
「……そうなの?」
「生物を分類するときに一番最初に分けられるポイントだよ、真核生物と原核生物って」
「真核と原核?」
「えーと、真核は核がある生物、原核は核がない生物。真核生物は酵母から人間まで含むけど、原核生物は細菌と古細菌を含む」
「またわからんのが……古細菌?」
「まあ、細菌に似てるけど全然違う生物で…ちょっとややこしいから別の機会にしよう。とにかく、片山さんもカブトムシも酵母も真核生物だけど、大腸菌や乳酸菌は原核生物なんだよ。」
「てかその違いって何で決まるの?」
「遺伝子の距離とかなんだけど……説明するの難しいかも」
須藤君は本当に説明しずらそうにしている。なんだか悪い気がしてきて私は話を戻すことにした。
「えっと、それじゃ、今から”検査”するのは食中毒の原因になる細菌で、細菌は目に見えなくてだから増やす必要があって、培地っていうゼリーで増やすんだね」
「そうだよ」
「てか、さっき机になんか吐いてたでしょ?あれはなに?」
「ピペッターがなかったからさ……」
「ピペッターってなに……」
「えっと、じゃあ細菌がいるかどうか検査する方法を教えるよ」
須藤君は机の上から長細いチューブみたいなものを取り出した。
「これがピペット」
「ふうん」
「で、本当はこの綿が入ってる上の部分に吸引するための装置をつけるんだけど、それがなかったから、口で吸ってたんだ」
「この綿のおかげで口で吸ったり吐いたりしてもピペットの中に口腔内の微生物が入らないようになってる」
「へえ」
私は少し感心した。
「で、こっちにはごはんを水に懸濁して薄めたやつを作る」
「なんで薄めてるの?」
「こうしないとピペットで吸いづらいからね。それにたくさん菌が食品にいると多すぎて検査できないことがあるんだ」
「多すぎて検査できないって?」
「えっと、まあこの培地の上にびっちり菌がふえてきて数を数えられないってことだね」
「数える必要あるの?」
「いや、たとえば食中毒菌が食品にいたとしても数が少なければ人間に被害を与えないこともあるし、逆に数が多ければとても危険って場合もあるから」
それで、と須藤君は言葉をつづけた。
「このごはん液をピペットで1mL吸って、培地の上に出す」
「コンラージ棒っていうのでこの培地のうえのごはん液を刷り込む」
「そして十分に乾いたらシャーレのふたを閉める。で、本当はこのシャーレを一定の温度の場所にいれなきゃいけないんだけど、インキュベータがないから自分の部屋にしばらく置いとく」
「気になるんだけど、口でピペット吸うの、きたなくない?つばとか飛ぶんじゃないの?」
「そうなんだよね。慣れてないとつばが飛んで自分についてた菌がが入っちゃうんだ。だから本当は電動ピペッターとか使った方が良いんだけれど」
「自分の菌が入ったらまずいの?」
「だって、ご飯の中に菌がいるか調べてるんだよ?自分の菌も入ったら、ごはんにもともとついていたか、自分の口の菌なのかわからなくなっちゃうじゃん」
あれ、と私は思った。
「菌ってどこにでもくっついているんだよね?それもピペットとかその容器とかにもついてるんだよね?そしたらごはんの菌とピペットとかの菌が混ざっちゃうじゃん」
私がそう言うと、なぜか須藤君は嬉しそうにした。
「いいところに気が付くね。実は、この実験道具は滅菌してるんだ」
「滅菌……。まあ、言葉から想像はつくけどさ」
「まあ、聞いてよ。例えばこの培地、砂糖とか大豆の粉みたいなやつとか色々は言ってるんだけど、米にも菌がついてるんだから、砂糖や大豆にもついていると思わない?」
「確かにそうだね」
「そのまま培地を作って放っておくと検査をしてないのにもともと付いてた菌が増えてくるんだ」
「へえ」
「それを滅菌して、まあ、要は使う道具や培地の菌を殺してから、目的の菌を増やすのに使うんだ」
「どうやって滅菌するの?」
「それはもちろん、はかいこうせん!!」
「……」
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