第三話 役目
まずい 、彼女が意識を失った。よりにもよってこの状況で。エーベルの怪我がショックだったのだろう。ただ、とりあえずすぐに止血しなければ、姉は死んでしまう。まだ彼女は目覚めそうにない…まさか、これが、ぼくの役目なのだろうか。
久しぶりの肉体だ。この体を動かすのも、もう10年振りだが、憎たらしい事に自分の体。とてもよく馴染む。さて、まずはエーベルの止血をしなくては。脇腹の刺傷。嫌でもオリビアが脳をよぎるが、この世界には魔術がある。少しでも延命することが救命に繋がるはずだ。
ベッドのシーツなどを使い、エーベルの止血を終えたその時
ギィ…
ドアが押される音がした瞬間、ぼくは飛び出した。手にはエーベルの履いていた靴のヒール。ドアを開け侵入してきた不審者の眼球に、根元までヒールを叩き込んだ。
ぐちゅり
手に伝わる慣れた感触。手に来る反発を無視して壊す、あの感触だ。
「がッ…」
断末魔をあげて一人が倒れた。それに驚く後続の金的を思い切り蹴り上げると、倒れた不審者の手からナイフを奪い、股間を抑え蹲る後続の首笛をかき切る。勢いよく血が吹き出し、辺り一面を赤く染める。このナイフが最初から汚れていたかなど、もう誰にも分からない。
「くそッ…二人も殺られたッ」
なるほど、スリーマンセルか。最後に残ったこの不審者の男の後ろにはもう、人影は見えない。男の切払いをバックステップで躱すと、出来立て死体のナイフを踵で空中に打ち上げる。
「曲芸師かよ!」
男がナイフで牽制しながら呪文を唱えた。
「其を穿つは電撃よ《ショック・ボルト》」
「ん。短いな」
手元のナイフを男の眼球目掛けて投げつけると、男は咄嗟に手で防御し、電撃をあらぬ方向へ飛ばす。ぼくはそのまま宙を舞っていたナイフを手に取り、滑り込みで男の足元を潜り抜け、その流れで内股を斬りつけた。そして背後を取り後頭部にナイフを深く刺し入れる。
「魔術は短いものもあるし、速度が銃弾より速いものもあるのか。気をつけないとな」
一応陰ながら彼女の生活を見守っていた事もあって、この城の間取りはあらかた把握していた。流石に隠し通路なんかは分からないが。
「とりあえずはどうにか安全を確保するところからだな。火の手が上がってる匂いはしないし、一旦掃討するか?」
ぼくは三人の死体をドアの前に積みバリケードにすると、他の部屋の安全を確認しに行くことにした。最優先目標は他の生存者の確認だ。エーベルに回復魔術も掛けてもらわなくてはならない。
廊下を歩いてしばらく経ったが、不自然なほどに何も無い。
「おかしい。魔術師が戦ったのなら相当な跡が残るはずだ…全員不意を突かれて暗殺されたとしても、侵入の形跡くらい残るはず」
「いや、魔術を使って痕跡を消されていたら、ぼくには何も分からない。となると、襲撃者はかなりの魔術師ということになる。どうしたものか…ぼくは魔術戦の知識も経験も全く無いからな」
そんな事をボヤきながら階段を降りていた途中。踊り場で、鏡が目に入った。そこに映ったのは、純白なネグリジェを赤く染め上げたオリビアの姿だった。
「―ッ!?」
咄嗟に手を見ると、その両手は赤にどっぷりと漬かっていて、半ば乾きかけてすらいた。
「あ…え………?オリ…ビア…?なん、で…」
ドクンッ
視界が霞む。足元が覚束ない。指先の感覚が無い。動悸が収まらない。
ドッドッドッドッドッ
目の奥がチカチカして、頭がクラクラする。
ぐにゃり
景色が歪んだ。
わたし、ちょっぴり早起き。でもきっと、この時間はまだまだ夜中。どうしたのでしょう…何も記憶がありません。
わたしは何をしていたのかしら。あんなに怖かった階段の踊り場で眠っていたなんて。なんだか頭がクラクラします。嫌な夢でも見ていたのかな。
ふぅ…と一息ついて、寝汗を拭うと、なんだか指がカピカピしています。なんだろう、そう思って手を見ると…赤。
「あッ…!?」
ズキズキと、頭が痛みます。記憶を無理矢理、引き剥がしているみたい。
「思い出した。わたしは部屋で、エーベル姉様が倒れて、赤」
チカッ
脳裏に火花が散りました。目の裏が焼き付いて視界が白に埋め尽くされていく。
「あれ、わたしは何を? どうやってここまで、どうしてこんなに赤いの? 思い出せない」
体の自由が利かない。また、倒れる…
「あ、そうだ、知らない人がいて、わたしは姉様の靴を手にとって…アレ…? わたしは、なにを、した?」
ドンドン流れてくる。思い出してはいけないこと。嫌な予感がする。これを見たらわたしは…
“落ち着いて”
「声が、する。頭の中に、声がする。この声は、だれ?」
目の前にぼんやりと浮かぶのは、わたしより一回り年上の男の子。何度も夢で見た男の子。その全身は夥しい程の赤に塗られていた。
”大丈夫。君は悪くない。信じて、ぼくは君の味方だ”
「だいじょうぶ? わたしが? どうして?」
顔もはっきりとは見えない、朧気な幻覚。でも、確かに彼は微笑んだ気がした。初めて聞いた声。だけどなぜか、初めて聞いた感じがしない。
”ここまで君の体を連れてきたのはぼくだから。ぜんぶ、ぼくがやったことだから”
「そんな、わたし、かってに、しらぬまに、ひとを」
まただ。また彼に手を汚させてしまった。また…? 初めて見る人なのに。でも、わたしは彼を知っている。彼の実在を信じられる。
”ごめんなさい。でも、それはぼくが勝手にやったこと。君は何も悪くない”
「そんな、だって、このては、こんなにも、あかいのに」
分かってしまう。彼はちゃんと生きていて、この手の赤は彼がやったことで、わたしがやったのではないと。前のように、わたしの手は綺麗なままだと。前のように…? だから、なんで。
”その赤はぼくの手のもの。君の手の赤じゃない。君の眠ってた間、ぼくが勝手にやったこと”
「この手はわたしの手じゃなかった? この赤はわたしの赤じゃなかった?」
これは絶対に良くないこと。彼の善良さを利用している。彼の気持ちを利用している。すべての
”そうだよ。そんなことより早く自室へ。エーベルが君の助けを待っている”
だけど、この後悔は今することじゃない。彼が赤に塗れて稼いだ時間、無駄にするべきではない。わたしは、わたしの手でできる事をしなくては。今はまだ、この記憶は、眠らせておこう。いつか、向き合うその日まで。
「はっ…そうだ。そう、エーベル姉様が大変なの」
わたしったら何をしていたのかしら。この赤はわたしの赤じゃない。わたしは何もしていない。
わたしは階段を駆け上がる。エーベル姉様の待つわたしの部屋まで。入口に横たわっている人を蹴散らして、ドアを押し開けて中へ飛び込みます。
「姉様!」
わたしのベッドに横たわる、赤いエーベル姉様。シーツで傷口は縛られているけども、じわじわと染み出して、わたしのベッドも赤。
この手の赤も、床の赤も、入口にいた三つの赤い塊も、全部わたしの赤ではない。だから考えなくて良い。今やるべきことは、エーベル姉様を助ける。それだけ。
「姉様! 息は…ある。でも衰弱しすぎてる…回復魔術じゃ助からない」
回復魔術は人間の再生力を急速に促す魔術。著しく被術者の体力を奪う。かといって、見殺しにするなんてもってのほか。
「お母様…わたしは、家族の誇り。わたしは、神から祝福された、最高の魔術師。やれます…やれますよね」
大好きな本、『時の魔術師ガスパール』。何度も、何度もお母様に読み聞かせてもらった宝物。そこに出てくる大魔術師ガスパールは最期、時の魔法を使って自らの時を止め、今も何処かで眠っているという。
「魔術はイメージ。姉様を、時の眠りにつかせる」
わたしのこの金の髪は、世界で最も魔術に優れている証。これくらい…やってのけます。
呪文は分からない。脳内のイメージだけで、未知の魔法を組み立てる。魔術ではない。限られた者しか使うことのできない大魔術、魔法を使うのだ。
「………………」
集中しなさい。イメージしなさい。
歪な結界、絶たれた空間、濁った流れ、止まった時計、隣り合わせの不思議な世界。
「
わたしの髪が光りだす。全身をものすごいエネルギーが駆け抜けていく。指先から青い光が放たれ、エーベル姉様の体も青い光に包まれる。
姉様の呼吸が止まった。
「姉様!?」
姉様に駆け寄ろうとした瞬間、姉様に一番近かった左手が止まった。いや、正確には少しづつ動いてはいるみたいだけど。
「成功だ…姉様の時を止めたんだ」
その後ゆっくり時間をかけて左手を引き抜くと、浮遊の魔術を姉様にかけた。
「行こう。姉様」
姉様を運びながら階段を下ってゆく。このお城にはもう誰もいないみたい。階段の踊り場に差し掛かった時、そこにいたのは青髪青目の少女だった。
「お父様、こちらの区画も掃討が完了致しました」
燃える街の中を歩き続ける。先程まで暗黒街と化していたこの街には、もう何も残ってはいない。任務を終え、帰投する先には見慣れた5人の人影が。
「おお、ラインハルト。ご苦労だった。これであらかた反乱分子は片付いたかな」
皆は一つの死体を囲み、議論を交わしていた。私の声に父様が振り返り、私に労いの言葉をかけてくださる。我々は今夜勃発したクーデーターの残党処理をしていたのだ。
「でもお父様、どうして突然クーデーターなんて」
そう疑問の声をあげたのはオスカー。彼もあちこち駆け回ったせいか煤で汚れていた。
「話によれば、人間の国で勇者降臨の神託が下ったとかなんとか。私たちの暗殺でも条件に、和平を申し込まれたんじゃない?」
オスカーの疑問に答えるのはブリッツ。この二人は双子だからか普段も有事もツーマンセルで動く、正に阿吽の呼吸と言える。
「なるほどブリッツ。じゃあこの変な魔道具も人間の仕込みかなぁ」
そう言ってオスカーが見下ろした死体の手元には魔力の痕跡を感じる懐中時計のようなものが落ちていた。
「そうねオスカー。この魔術を封じる魔道具、お父様が気づいてくださらなかったら、やられていたかもしれないわね」
ブリッツの言う通り、掃討開始直後は魔術の使用が封じられていた。お父様がいち早く気づき私たちも早く手を打つことができたが、仕掛けに気づけなければ皆やられてしまった恐れもある。恐るべき魔道具だ。
「そうだな…人間の技術もここまで来たか」
そう。人間。私たちを魔族と呼び、長年敵対してきた種族。魔術の才に乏しく、力も弱いが、如何せん数が非常に多く、多数の特殊個体を有する。彼ら特殊個体の力は非常に強力で、単体の性能では私たちを軽く凌駕する者すらいる。先程ブリッツが口にした勇者もその特殊個体の一つであり、先代の勇者は歴史書に名を残すほどの強力な個体だった。
だが近年の人間の最も恐るべき点は、その技術力であった。この魔道具のような技術により、一般個体の力でさえ無視できないものとなって来ている。
更に人間の技術は種族を問わず別け隔てなく力を与える。これからは今回のクーデーターのように、人間以外もその技術を与えられ私たちに牙を向くことが増えるだろう。此度もお父様の慧眼により、城の防衛を担当していたお母様に援護していただかなければ、こうも容易く片付く事はなかった。
現時点で私たちの魔術が人間の技術に対して確実に勝っているのは、お父様の空間を操る魔術と、お母様の時間を操る魔術のみ。これらの魔術ならば人間の魔道具を無力化できるが、私たち兄妹の四属性の魔術では単純な地力勝負となってしまうだろう。
「ラインハルト…」
つまりは私たちも新たな戦術を考えなければならない…
「ラインハルト!」
「はい! お父様」
「なんだ、ラインハルト。考え事か? 戦は家に帰るまでが戦なんだぞ。お前もまだまだだな」
「はい…肝に銘じます」
「よろしい。それでは帰投する。留守番のエーベルとオリビアの様子も気になるしな」
お父様が軍靴を鳴らして踵を返すと、私たちもそれに続く。後にした暗黒街の火の手は、私の調整通り既に収まりつつあった。私はお父様の後を継ぐライデンバッハ魔術帝国の次代皇帝として、完璧にならなければならない。それにはまだまだ経験を積まなくては。
こうして私たちがお母様と合流して城に帰ると、そこは死体だけが残されたもぬけの殻だった。
地球上での限界値に達したので超絶美少女に異世界転生するそうです。 @elegantapple
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