第35話 隠し事

この日は、マダムフルーレが来ていて応接間は賑やかになっている。訳は、もうすぐ開かれる社交界の用のドレス作りの為。すでに何点かは作っていたが、フェルナンド様と初めて参加する社交界。彼の色に合わせたドレスはまだ持っていない。だから、この際だから一年後のウェディングドレスやイブニングドレスを一緒に作る事になった。


 「まあ、お嬢様はとてもスタイルがいいので、こちらもお似合いですよ」


 マダムフルーレが見せたのは、最近はやりのマーメイドタイプのドレス。それに流行の先取りをして、コルセットなしのゆったりとしたドレスも何点か見せてきた。


 「アナトーリア、好きな色を選ぶのもいいけれど、結婚したら着られない色や形もあるから、少し大人びたドレスも誂えましょう」


 母にそう言われて私も頷いた。見ているだけで楽しい時間だが、何着も試着させられた時にはぐったりとしていた。時々、父とフェルナンド様が様子見で覗こうとしたのだが、母がきっぱり「いけません。女同士の打ち合わせです。殿方は大人しく待っていなさい」と言われシュンとした姿は大型犬の耳が垂れているよう。


 でも、フェルナンド様はルルを通じて、何かと話しかけてくるので、父から


 「殿下だけ狡いです。これは兎猫ラキャットも禁止ですかね」


 などと言われて、危うく取り上げられそうになっていた。少し涙目になっているフェルナンド様を可愛いと思うのは不敬なのかもしれないが、どうしてもそう思ってしまう。


 5才も年上の男性に可愛いなんて失礼よね。


 私はここ最近、フェルナンド様のぎこちない仕種にも慣れてきている。私も恋愛に関しては経験がない。心配したキャサリン様が色々な本を貸してくれるけれど、『田舎令嬢シリーズ』は借りない事にしている。


 理由は簡単でとても恥ずかしいからだ。


 そんな私の気持ちを察してくれて、最近では恋愛小説を読んでいる。私には大人向けの小説はハードルが高すぎる。


 結局、夜会に着ていくドレスはフェルナンド様の色で光沢のある白いドレスに金色の刺繍をあしらったマーメイドドレスに近いドレス花の蕾をイメージしたデザインで、歩いたり踊ると裾が広がって、花が咲いた様になる仕組みなのだとか。まだ発表されていない新作で、私達は社交界では話題の人物。そういった人物に来てもらえると光栄だといってくれた。


 斜めに傘を畳んだ状態の美しいドレスを見ながら、ふと思ったのは、


 そういえばフェルナンド様は社交をしていないと言っていたけれど、エスコートやダンスは出来るのかしら?


 「アナトーリア、何を考えているの?」


 「フェルナンド様は社交がお得意ではないと伺いましたが、ダンスやエスコートはどうなのでしょう」


 母に尋ねると母は、「ほほほ」と言ってお茶を濁した。何だか怪しい素振りにいつもは晩餐の後は疲れたからと自室に行くことが多いが、この日はこっそり母の後を付けてみた。


 すると、母は屋敷の中にある大広間に入って行く。中を覗くとフェルナンド様がいた。


 「今日も宜しくお願いします」


 そう言って母の手を取っていた。蓄音機から流れる音楽に合わせて踊る姿は見とれる程美しかった。だが、同時に胸の奥がチクリと痛む。


 これは練習だからと自分に言い聞かせてはみるもののどうしても我慢が出来ず、部屋に入って


 「フェルナンド様、お母様。何をしていらっしゃるのです」


 「こ…これはその…」


 「あら、誤解しないでね。練習よれ・ん・し・ゅ・う」


 言い淀むフェルナンド様と違い母は無邪気に微笑みながら言っているが


 「練習なら私とすればいいではないですか。踊るのは私なのですよ。それとも貴方もまた……」


 私はその時不意に出た自分の言葉に驚いていた。『また…』それはどういう事?誰の事を言っているの?失った記憶の中に似たような出来事があったのだろうか。でもそれはフェルナンド様には関係がない。これは誰に対する怒りなの。この苦々しい想いは誰に向けてなのだろう。私は一体フェルナンド様を誰と重ねているのか分からなくなった。


 混乱している私をフェルナンド様は優しく抱きしめた。


 「悪かった。最初から君に相談すれば良かったんだ。君に呆れられたくなくて無理して背伸びする必要などなかったのに、かえって不安にさせた様だ。申し訳ない。改めてお願いする。練習に付き合ってもらえないだろうか」


 まだ気持ちの整理がついていない私は静かに頷いた。フェルナンド様は安堵した表情で


 「今度は嫌だと思ったら殴ってくれて構わないから」


 耳元でそっと囁かれて、顔を熱くしたのは内緒だ。


 「な…殴るだなんて、王弟殿下を」


 「王族なんて名ばかりだよ。君の男でいられればそれでいい。君がそうしてくれるだろう」


 「そ…そんないい方は狡いです」


 「クスッ、でも何年も諦めていたんだ。君は手に入らないとね。夢が実現するもしないも君の気持ち次第だということには変わりない。それとも俺と結婚するのは嫌か?」


 「だから、それが狡いと言うのです。私は…」


 その先の言葉を飲み込んだ。フェルナンド様に惹かれている事は認めるが、もしかして違う誰かに姿を重ねているような気もする。はっきりと分からない気持ちを伝えたら、後悔しそうだと思ったからだ。


 私は素知らぬ顔を作って、その夜、フェルナンド様とダンスをしたのだ。

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