第34話 平穏な学園生活
父の執務室を出る前に
「まだ何も起きてはいないが、用心に越したことはない。ドル―マン侯爵令嬢の言うとおり、表向きは彼女と不仲な様に見せて、お互いの情報を確認し合った方がいいだろう。令嬢は変身術も身に付けているようだから、学園でもきっと分からないように話せる。しかも彼女の母親には、エイバン侯爵家や国王陛下も恩がある。メリンダが助けてくれなかったら、レジーナ皇妃の命はなかった。レジーナ皇妃を隣国に連れて行ってくれたのは他ならぬメリンダだったのだから、だが、どういう経緯でドル―マン侯爵家に嫁いだのかは分からない。この手紙には、お前の周辺にまた同じような事が起きるかもしれないと書かれている。何か掴んでいるのか、それとも彼女の『予知能力』で知ったのか触れられていない。こちらでも引き続き調べるから、安心しなさい」
父は大丈夫だと頭を撫でてくれ、フェルナンド様は怯えて震えていた私を抱きしめてくれた。でも、それを見ていた父から「1メートル以内の接触は赦しません」と言われて離れていった。離れ際に私の手を軽く握ったのは内緒だ。
私ももう少しフェルナンド様の胸の中にいたかった。名残惜しそうにお互いの顔を見ながら、私達は自室に戻った。
次の日からはいつものお馴染みの光景が繰り広げられていた。窓から庭を見ているとフェルナンド様が動くポストを見習い執事と一緒に追いかけている。老齢執事の目の前にくるとポストは観念したかのようにピシッと背を糺して口から郵便物を出した。
周りは、笑いを堪えているのか。肩が少し揺れている。私は窓辺にその姿を見ながらクスクスと笑った。フェルナンド様が来てから屋敷はどんどん賑やかになっていく。五月蠅いとか喧しいとは違い温かい気持ちにしてくれるそんな賑やかさ──
学園への送り迎えも最初のぎこちなさが無くなって来ている。きっと他の人から見れば私達は上手くいっている婚約者同士に見えるだろう。
──良かった
最近は、そう思える様になった。これもフェルナンド様のお蔭なのだと考えている。それでも時々、何時まで経っても記憶が一部ない自分に不安がよぎる事がある。
私の中で別の誰かが、早く思い出せとせっついているような気がする。私は何か重要な事を忘れているような気がした。まだはっきりとは分からないが、それが王家が私に拘る理由の様に関係しているのではないか──
でも、学園でも初日の態度とは違って、マルロー公爵令嬢もローガン侯爵令嬢も何もしかけて来ない。話をしたこともない。彼女らはドル―マン侯爵令嬢と常に行動を共にしていた。
ドル―マン侯爵令嬢は、別人の姿になって私達と一緒に過ごしていた。
美味しいお菓子とお茶、最近の流行や恋バナを話したりしている。彼女とキャサリン様と過ごすこの時間は私にとっては楽しいものだった。
そんな時、
「あと、一月ほどで社交界が始まりますね。私、実は王都の社交界が楽しみなんです。素敵な出会いがあるといいなあと憧れているんです」
「もしかして、『田舎令嬢シリーズ』の様な」
「そうそう、それです。私もあんなロマンスがあったらいいなあと思っているんです」
「クス、そんなにその本は面白いのですか?」
「アナトーリア様はお読みになった事がありませんの?今や全貴族令嬢の必須のおすすめ本ですのに……あ、私一冊持っていますの。宜しければお貸ししますわ」
キャサリンは一冊の本を取り出した。
──田舎令嬢、王都で侯爵令息に求愛される
と書かれていた本に妙な既視感があったのだが、気にしなかった。だが、何気なく寝る前に読んだのがいけなかった。ついつい続きが気になって結局最後まで読んでしまったのだ。
翌日、目の下に隈をつくって学園に行くとキャサリン様から感想を聞かれたが、恥ずかしくて言えなかった。まさか、あんなに卑猥な言葉や行動が沢山表現されている小説だとは思っていなかった。
ふと、過ぎるフェルナンド殿下の行動がこの小説と被るのは何故なのだろう?私の密かな疑問に答えてくれたのはダリルだった。
「えーお嬢様も読んだんですか?あれ間違えてアマーリエ様から借りたんですよ。俺もちらりと読みましたが、女の人って結構好き物なんですねー」
と言われ、「勿論殿下も読みました」そう答えられ顔から火が出そうなほど真っ赤になっていた。その様子を見た侍女が慌てて
「お嬢様、お熱があるのでは」
お医者様を呼びに行こうとしたのを止めて、自室の寝台の枕に顔を埋めて悶えていた。
王太子妃教育で、閨の事は学んだけれど、まさかあんなに露骨に書いてある本が世に出回っている事に衝撃を受けている。そして、それを読んだことをダリルに知られてしまった事が恥ずかしくて、その日は夕飯にフェルナンド様の顔をまともに見ることが出来なかった。
私もあと一年足らずであんなことをするのね
そう考えているとまた、体が自然と火照ってくる。そんな私を不思議そうに首を傾げて見ているフェルナンド様を見て、更に顔を真っ赤にするのだった。
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