第25話 送別

 フェルナンドが公爵家に住む様になって三日後、その日は朝から躁鬱とした曇天で、皆の気分を表しているようだった。


 「支度はできたかい?アナトーリア」


 ドレイクはこの日、ある場所にアナトーリアと一緒に出掛ける用があった。それは今日、王都を去る事になっている人物の見送りの為。


 「お父様、支度はできました。直ぐに参りましょう」


 「わかった。今日はフェルナンド殿下も用があるから、私とエレイナが一緒に行くことにするよ」


 「ありがとうございます」


 アナトーリアはフェルナンドと出会ってから、両親の目にもわかる程、明るく元気を取り戻している。それは一重にフェルナンドの予想不可解な行動の所為なのだが、当の本人に悪気はなく、ただ今はアナトーリアを酷く甘やかしている。エレイナがそれとなく「甘やかすばかりでは良い関係を築けませんよ」と注意すると、今度は兎猫ラキャットを使って魔法の練習をさせている。これにはドレイク達もむやみに反対は出来ない。この国の女性は魔法を学ぶことが出来ないのだ。だが、こういった魔獣を使役したり、その魔獣を通してなら魔法を扱う事を許されている。


 だから兎猫ラキャットのルルを通して、フェルナンドと連絡が取れる様にまでなった。簡単な魔法はルルが使える。兎猫ラキャットは個体によって成長や能力に差があるのだが、アナトーリアのルルは攻撃魔法が得意なようで、主に植物を操る能力が高い。防御の方は、フェルナンドが贈ったピアスに付けた防御魔法がある為、学園で何かあっても特に問題はない。しかし、何かあった時に直ぐに連絡が取れるに越したことはない。その為に必要な訓練なのだ。


 そう言う訳で、フェルナンドは午前中はドレイクについて公爵家の内情を勉強し、午後はエレイナとマナーの特訓、その後でアナトーリアの体調が良い時にルルを使って魔法を学んでいる。元々、アナトーリアは魔法に興味があったので、フェルナンドにとって彼女は熱心な生徒だった。土が水を吸う様にどんどんと知識を吸収していく様にフェルナンドは感心していた。


 実はフェルナンドの用も今日見送る人物に関係していた。その事をドレイクにもアナトーリアにも敢えて伝えていなかった。男同士の話がしたかったからである。


 王都の通行門の近くの広場に王家の紋章が入った馬車がある。その中には今日、王都を離れるアルフォンソが乗っていた。アナトーリア達は、アルフォンソを見送る為にきたのだ。


 二台の馬車は、誰も降りることなく窓越しの会話を交わした。それは二人が王都では顔が知られているので、民間人に姿を見られれば混乱が生じないようにとの配慮でもある。


 「暫くは会えないが、これが今生の別れではないだろう。今度会う時は、僕ももう少しまともになって帰って来るよ。これからは友人の一人として接して欲しい。ああ、それから遅くなったが、婚約おめでとう。叔父上と幸せになってほしい」


 抑揚のない声で、静かに言葉を紡ぐのは、まだ指輪の魔力の所為で時々混乱してるからなのだろう。かつての堂々と凛とし、皆を引き付けた姿はなかった。ただ水面を彷徨う一輪の花の様なか細い存在の様に見えたのだ。


 ──おいたわしい


 ドレイクにはアルフォンソに対する怒りはなく、ただ気の毒に思っている。それは同情や憐れみではない感情で、言葉では言い表せられない複雑な感情だったのだ。


 アナトーリアも同じ様に感じていた。もし、何事も無ければアルフォンソと今頃は婚姻式の準備に追われて、幸せな時間を共に過ごしていたかも知れないが、そんな気持ちは一年経っても戻らなかった。砕けた心はもう元には戻らず、ただ時だけが静かに過ぎた過去の出来事。しかし、対照に不安もある。もし記憶が戻ったら、フェルナンドとの婚約を後悔するのではないかと──


 「殿下もお元気で、また会える日を心待ちにしております」


 「殿下、今までありがとうございます。殿下もどうかお幸せになって下さい」


 今のドレイクやアナトーリアがアルフォンソに掛けられる言葉はなかった。こうしてアナトーリア達はアルフォンソに別れを告げたのだった。


 その様子をこっそりフェルナンドは見ていた。フェルナンドもアルフォンソの見送りに来ていたのだが、表立って姿を表そうとは思っていないからだ。


 フェルナンドは、ここへ来る前にアルフォンソと少しばかり話をしていた。辺境地カンザスでの他愛のない世間話程度だが、アルフォンソの気を紛らわせる為の手段を他に思いつかなかったからだ。アナトーリア達がアルフォンソの見送りに来ることを予め知っていたので、自分は一緒に来ないという選択をしたのだ。


 こうしてそれぞれの思いに区切りをつけ、公爵家に戻り、いよいよ明日からアナトーリアの学園生活が始まるのだった。

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